2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

約200ぺージのスクラップ帖に張り込んだ、新聞小説の切り抜帖が手に入った。さし絵:岩田専太郎、大佛次郎『赤穂浪士』(東京日日新聞、昭和2年)がその新聞切り抜きだ。前日アップした岩田専太郎の絵の、違いの落差がすごい。第1回「蔭を歩く男」から「月夜鴉」までで、題字の部分が切り捨てられているので、第何回まで集めてあるのかはわからない。でもキャラクターが誕生する様子はよくわかるので、これで十分、満足満足。

果たして、与えられた文章で、さし絵が描けるのかどうか。この第1回目の全文が挿絵家に伝えられているとも限らないが、早速この侍が登場するシーンを本文から引用してみよう。 「その若い浪人者は、大門の脇に立ってこの雑踏を眺めてゐた。他にも道の脇へ出…

新聞切り抜き、さし絵:岩田専太郎、三上於菟吉『日輪』(大阪毎日新聞、大正15年)を購入した。岩田専太郎が描く女性のファッションが大正モダンで美しい。パリ「VOGU」から飛び出したような斬新ファッションだけでも評判だったに違いない。

さし絵:岩田専太郎「日輪」(大阪毎日新聞、大正15年) 新聞三段抜きのイラスト(ハガキより2.5cm小さい)は最近の新聞さし絵に比べてかなり大きい感じがする。今の新聞小説は確か2段抜きだったとおもうので、天地サイズは昔の方が一段分大きい。それだけさ…

丹下左膳のキャラクターの誕生とその工夫について小田富彌はさらに「たとえば『上三尺』というものがあります。一本独古(*金偏に古)の角帯を締めますね、ヤクザはその上からソロバン染に染めた上三尺を、グッと締めるんです。これが粋なんですな。

それから喧嘩のときは「三方からげ」をする。三方で尻をからげる、それがヤクザの出入りの決まりやったらしい。そういうことを大阪新聞の編集長だった行友李風から教えてもろうたんです。──この新聞には一時、北野先生も私も入社しておったんですよ。」(『…

丹下左膳のキャラクターは、著者・林不忘のイメージではなく、挿絵家・小田富彌が創作した? これって文学は誰が作るのか、というような問題ではないのか?

新聞小説の登場人物のイメージは誰が確定するのか、以前から興味があった。服装や人相、背丈、太っているのか痩せているのか、着物の柄はどんなのが良いのか、などなど。絵を描くとなると決めなければならないことがたくさんあるはず。 新聞小説の場合はいき…

以前から、小田富彌は間違って丹下左膳の右手を掻いてしまった、ということは知っていたが、やっとその絵を探し当てた。

小田富彌は「左膳が布団をかぶって寝てる絵です。あれを描いた時は、仰山抗議の手紙が来ましたよ。五百何十と来た。よく見て下さい。丹下左膳に腕が二本。うっかりしとったんですな。読者はよう見てますよ。」(『名作挿絵全集2』平凡社、1980年)と、当時を…

新聞小説のさし絵の情報を勉強中です。

編集:長谷川泉・武田勝彦『現代新聞小説事典』(「解釈と鑑賞」付録、昭和52年) 本田庸夫『新聞小説の誕生』(平凡社、1998年) 『文学 新聞小説』(岩波書店、昭和29年) 毎日更新しているとネタ切れしてしまうので、ブログで遊ぶにしてもこのくらいは読…

「シャボン玉とんだ」

かつて入れ込んでいた、アールデコ風に同じポーズの女性が揃ってシャボン玉を飛ばしているところです。2ヶ月ほどさぼっていたら、大部腕が鈍って、細かな細工にやたら時間がかかってしまいました。シャボン玉の輪は特に大変でした。 私が小学生の頃はシャボ…

高橋康雄『懐かしの少年倶楽部時代 夢の王国』(講談社、昭和56年)装丁:井上正篤、を古書市で発見、購入した。

読み始めたら、どうも文字が小さくて読みづらい。計ってみたらなんと、本文11級、行間18送り、って注釈や出典じゃないんだから、もっと大きな文字で、せめて12級20送りくらいで組んでくれ。おじさんにはつらすぎる。まして電車の中では読めないよ。パニパニ…

『昭和挿絵傑作選 大衆小説篇』(国書刊行会、昭和62年)、『昭和挿絵傑作選 少年少女篇』(国書刊行会、昭和62年)A4変形、120頁、カラー56頁、2冊セットが届いた。大きな判型のイラスト集はその迫力に圧倒させられてしまい、頁を繰るたびに、まるで絵本の中を冒険をしているような緊張感にドキドキさせられっぱなしです。

内容は全く判らずネットで購入したのだが、『昭和挿絵傑作選 大衆小説篇』には岩田専太郎、小田富彌、志村立美、小林秀恒、小村雪岱の絵が掲載されている。『昭和挿絵傑作選 少年少女篇』には、山口将吉郎、伊藤彦造、樺島勝一、高場宅華宵、蕗谷虹児、加藤…

やはり大衆文芸は『富士に立つ影』から

さらに八木昇の説を拝読させていただこう。 「大衆文芸が固有の位置を主張し、万人の等しく認めるところとなったのは、白井喬二の雄篇、『富士に立つ影』(大正十三〜昭二)によってである。大衆文芸の成立は、この作品が登場するに及んで決定的となった。満…

八木昇の挿絵黄金時代の定義を「大衆文芸の挿絵」(『芸術生活』芸術生活社、昭和49年)に見てみよう

「大正末年に、新しい読物である『大衆文芸』が興隆して江湖の迎え入れるところとなった。大衆文芸の源流は江戸の庶民文化に求められるが、御承知の通り、江戸文芸=大衆文芸のこの世界は“本文”とそれを助け、あるいは補う“絵”(挿絵)の二要素の融合によっ…

本日、神保町の古書市で購入した丹下左膳はこんな表情でした。

灘本唯人が描く左膳は、何とも愛嬌のあるひょうきんな丹下左膳ではないですか。どことなく鞍馬天狗のようにも見えてきます。 装画:灘本唯人、林不忘『魔像・丹下左膳』(カラー版日本伝奇名作全集、番町書房、昭和45年)、このての全集は安くて入手しやすい…

今回入手した林不忘『一人三人全集 大岡政談』(新潮社、昭和8年)こそが、丹下左膳誕生の話が書いてある本で、最初は脇役として登場した左膳だが、主役を食うほどの人気が集まり、終いにはタイトルさえも「丹下左膳」となってしまった、という話の出発点なのだ。

先週、高円寺の古書市で、神保町の古本屋「玉晴(きゅうせい)」さんに会い、『一人三人全集』を探しているんだが、なかなか見つからない、という話をしたら、「うちにあったような気がするので、探してみます」といって見つけてくれたもの。東京古書会館で…

石井鶴三、小田富彌、岩田専太郎が、時代小説挿絵のパイオニア

尾崎秀樹は「新聞小説が今日見られる様な形態をととのえる第一の時期は、大正四年十月大毎大朝が夕刊発行にふみきり、新聞の連載物が多彩となった時からである。第二の整備期はいうまでもなく震災後、発行部数百万を突破してたときだ。この変遷過程は『毎日…

挿絵の市場を拡大した講談社の雑誌群

「大正十一年以来、雑誌と新聞の間に週刊誌という新しいメディアが加わり、それに『講談倶楽部』『少年倶楽部』『婦人倶楽部』『キング』を相次いで創刊、雑誌王国の観のあった講談社が加わることで、ますますさしえの市場は拡がり、新人が覇を競うことにな…

挿絵の黄金時代の誕生

匠秀夫によると、挿絵の黄金時代を迎えるきっかけは「関東大震災(大正十二年=一九二三)は、さまざまな局面で時代の転換のメルクマール(*指標)になっているが、挿絵史の分野においてもそれがいえる。大衆ジャーナリズムの展開がこの時期であり、そのリ…

斉藤五百枝(さいとう いおえ 1884〜1966)

千葉県生まれ。白馬会研究所、東京美術学校洋画科に進み、岡田三郎助に師事。「少年倶楽部」創刊号から表紙絵を描く。少年小説、大佛次郎「狼隊の少年」「山嶽党奇談」、佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」、吉川英治「龍虎八天狗」や、時代小説、直木三十五「…

最近、私が集めている本はのほとんどが、1924(大正13年)の華宵事件で「少年倶楽部」から高畠華宵が去り、その後釜として活躍した挿絵家たちの本や挿絵が掲載されている本ばかりです。斉藤五百枝(さいとう いおえ)もそんな挿絵家の一人だ。どことなくノーマルで、特別強烈な個性があるわけでもないので、伊藤彦造や樺島勝一のようにスター的な存在ではなかったのかも知れませんが、人物を描かずに「少年倶楽部」の表紙装画を12年にわたって描いていたので話題性のある挿絵家でもあります。

『吉川英治全集 龍虎八天狗』(講談社、昭和43年)。練馬区立図書館の「除籍処理済」のシールが貼ってありますが、先月、武蔵野市立図書館で開催された除籍本を無料配布する古書市で、明らかに古書店さんだと思われる人が、段ボールで10箱分ほどを車に運んで…

特に目的がなく買ってしまった樺島勝一が挿絵を描く2冊。山中峯太郎『敵中横断三百里』(講談社、昭和50年)、海野十三『浮かぶ飛行島』(講談社、昭和50年)。写真かと見まごう見事な挿絵が、手の平で踊る感動を味わってください。宝石のように輝く小さなサイズの「少年倶楽部文庫」は全部揃えると42冊もあり、5〜8万円で全巻セットが購入できます。

装画:樺島勝一、山中峯太郎『敵中横断三百里』(講談社、昭和50年) 装画:樺島勝一、山中峯太郎『浮かぶ飛行島』(講談社、昭和50年) 挿絵:樺島勝一『敵中横断三百里』 挿絵:樺島勝一『浮かぶ飛行島』

挿絵:伊藤彦造『豹の眼』(講談社、昭和50年)、画集などに載っていない、挿絵を探していたが、この本には結構たくさんの挿絵が掲載されていて嬉しい本だ。

装画:伊藤彦造『豹の眼』 挿絵:伊藤彦造『豹の眼』

挿絵・伊藤彦造・『角兵衛獅子』、挿絵・伊藤幾久造『鞍馬天狗』など、かつて「少年倶楽部」に掲載された当時の挿絵がたくさん入っていて、昭和初期の感動がビジュアルとともによみがえってくる見ごたえ十分の文庫本です。今回ネットで購入した5点はすべて300〜500円と価格もお手ごろでした。

装画・伊藤彦造・大佛次郎『角兵衛獅子』(講談社、昭和50年) 装画・伊藤幾久造、高垣眸『鞍馬天狗』(講談社、昭和50年) 挿絵・伊藤彦造『角兵衛獅子』 挿絵・伊藤幾久造、高垣眸『鞍馬天狗』

伊藤彦造のメッセージ入り落款をもう一つ見つけた。

挿絵:伊藤彦造『飛沫──平手酒造』 伊藤彦造の落款の隣に「決死の努力なくんば大成せぬぞ」「憂国ノ絵師伊藤彦造畫く」が書かれている。このメッセージ付の落款こそが、メディアから嫌われ、しばらく仕事を干されることになった原因そのものだ。そんな彦造に…

先日、伊藤彦造のもう一つの雅号・伊藤新樹はどうして荒木大将にちなんで、この名前にしたのかがわからなかったが、下記の二人が解明してくれました。

挿絵:伊藤彦造『魔粧佛身』 一人は、尾崎秀樹。 伊藤彦造への直接インタビューで、「── 昭和十二年に『少年倶楽部』に吉川英治さんの『天平童子』(九月〜昭十四・七)の挿絵を伊藤新樹という筆名で連載してますね。あと『キング』にもおなじ吉川さんの『魔…

マゾヒスト彦造と挿絵の関連性

私個人的には、緊張感のある伊藤彦造の絵は好きですが、どうも「嗜虐のエロス」は受け入れにくいですね。彦造は、精神を高めるためのさまざまなパフォーマンスをしたことが伝えられているが、それをしたからといっていい絵が描けるものではなく、単に自分を…

伊藤彦造『伊藤彦造イラストレーション』(河出書房新社、1999年)A4判、192頁、カラー8ページ、並製本が届いた。

伊藤彦造『伊藤彦造イラストレーション』(河出書房新社、1999年)カバー表1。 伊藤彦造『伊藤彦造イラストレーション』(河出書房新社、1999年)カバー表4。 いやー、大きな絵で見ると伊藤彦造(いとうひこぞう、1903年-2004年9月9日)の神業とも言うべきデ…

1930年代の民衆の表現への欲望を浮き彫りにし、思想性の違いを超えて迎えられた彦造のエロティシズム

石子順造は伊藤彦造の思想性の強い表現手段について「三・一五や四・一六の共産党の検挙や治安維持法の改定を引きついで、浜口首相が撃たれ、『満州事変』が始まり、十月事件から血盟団事件、五・一五事件、そして国際連盟の脱退から滝川事件、共産党の岩田…

前日のブログに、伊藤彦造は自分の挿絵の落款に「自一家成」とか「大和魂ヲ養成セヨ」「憂国の絵師伊藤彦造」などというメッセージを書き込み、一時ジャーナリズムから敬遠されていたが、昭和12年、吉川英治「天兵童子」の挿絵に伊藤新樹の名で再び返り咲いた、という話を書いた。

伊藤新樹とは「荒木大将にちなんで『伊藤新樹』と署名していた。」(石子順造『俗悪の思想』太平出版社、1971年)とあるように、荒木大将こと荒木貞夫に心酔してこのような雅号を使っていたようだ。 このことに関連して、彦造は「私の家はむかしから武人の家…

評判を落としたといわれる伊藤彦造のメッセージ付きの落款(サイン)とはこれだ!

前回、挿絵のサインに「剣をもって一家をなす彦造画」などと書き入れたのをはじめ数々の奇矯な振舞いをするようになり、それがために一時ジャーナリズムから敬遠されていたが、昭和12年、吉川英治「天兵童子」の挿絵に伊藤新樹の名で再び返り咲いた。 と書い…

「修羅八荒」の誕生について彦造は「社長じきじきに、『学芸部補にするから入社して、ライバルのなにがし新聞を切りくずしてほしい』と頼んで来ました。そこで入社して、どうやったらライバル紙を打ち負かすことができるか考えたすえ……主人公は剣客で、面長のいい男、女にはほれられるがこっちからはほれない。女のほうはつぶし島田で二つ折れの編笠。三味線かかえた鳥追い姿、これにグロテスクなまでの殺陣を組こんでみようというんです。しかし、わたしは小説を書くことができません。だから、誰か自分のイメージを生かしてくれる作家を見込んで

「ある日、道頓堀を歩いていたら、東京での新聞記者兼給仕時代に親しかった沢田正二郎とひょっこり出会って、『大阪で認められたから、ぜひ舞台を見てくれ』と誘うんです。演っていたのが月形半平太で、見ているうちに、この芝居の作者ならわたしのイメージ…

伊藤彦造(いとう ひこぞう、1903年-2004年9月9日)大分県大分市出身。剣豪、伊藤一刀斉の末裔に生まれ、自らも剣の師範。彦造の父は、中里介山が『大菩薩峠』を書くにさいして、一刀流の極意を教え、それが机龍之介の剣になった。東京朝日新聞の給仕となり勤務中に同社の専属挿絵画家右田年英に風俗画(イラスト)を学び、京都大学で関保之助に有職故実を学ぶ。結核を患い、京都に帰省して両用し、その間に画家を目指し日本画家の橋本関雪に師事する。

挿絵:右田年英 挿絵:橋本関雪。関雪は1904〈明治37〉年、日露戦争開戦とともに、洋画家・山本芳翠、北蓮蔵、石川欽一郎、日本画家・村田丹蔵、寺崎広業、久保田金遷などと従軍画家として参戦、『ほかに「戦時画報」からは、小杉未醒が派遣され従軍した。 …