果たして、与えられた文章で、さし絵が描けるのかどうか。この第1回目の全文が挿絵家に伝えられているとも限らないが、早速この侍が登場するシーンを本文から引用してみよう。
「その若い浪人者は、大門の脇に立ってこの雑踏を眺めてゐた。他にも道の脇へ出て通る人間を見てゐるものは男女ともに多い。が、この若者の切長の目にはどこか人と違ふものがあった。歳はやっと二十を出たぐらゐであらう。鼻筋がとほって彫りの深いはつきりした顔立をしている。服装を黨世風にさせたならば、あるひは一目をひくだけの美貌ではなかろうかと思はれる。顏全軆の表情が、歳に似ずおつとりしたところがなくてかはしいといひたい位つめたく冴えていた。目付がそれを代表していた。切れ長の、はっきりした美い形をしてうぃながら、このはなやかな雑踏を眺めてゐても他の者のやうに浮いた色を見せることもなく、終始、水のやうにひやゝかな一色に止まっている。いや、時にその冷たい色が凝と重なり合って来て、冬の水の底にきらりとする魚のうろこのやうに色なく閃く時がある。その刹那に、肉の薄い形のいゝ唇が隅のところで心持そつて、蔑むやうな微笑を含むのである。」
とかなり細かに人物の特徴を書いている。これではかえって、絵にするのは難しいかもね。
さし絵:岩田専太郎、大佛次郎『赤穂浪士』(東京日日新聞、昭和2年)
これだけ説明しても着物のことや、家紋、髷の特徴や、刀の鍔の形などには触れられていない。
下の絵の説明は
「傍らでそれまで何か話してゐた商人風の二人連れの一人が急にかういつたので、若者は聴耳を立てた。……話題にのぼつてゐた男は實際、御典醫らしい風采で、その豪奢で寛闊な姿には人目をひくものがあった。ともには、奴の他に弟子らしい男がこれもお古を頂戴に及んだらしく黒縮緬の紋付を、ぞろりと着て鞠躬如としてついてゐる。」
とあるが、こちらの文章を絵にするのも、かなりの知識がなければ描けないだろう。私は、全くお手上げだ。
「商人風の二人連れ」でこの絵を描くのは困難だ。
さし絵:岩田専太郎、大佛次郎『赤穂浪士』(東京日日新聞、昭和2年)
下の絵のシーンはこうだ
「聲と同時に、やをら傘は、脇へ投げ捨てられて、雨の中に、さらに白くさッと刀身が閃く。抜き合せる間もなく、隼人が傘で受けて『本心だな、いやさ、酔ひは醒めたのか?』『なにを!』ひきはずして、お互いがぱつと別れた。その刹那に隼人も抜いて片手正眼、構へながらに左手は働いて着衣の褄を帯にはさまうとしてゐる。」
というシーンだが、これだけの文章だけで絵にしてしまう挿絵家は、さすがに才能溢れている。凡人にはとても描けない。
さし絵:岩田専太郎、大佛次郎『赤穂浪士』(東京日日新聞、昭和2年)
さし絵の枠からはみ出して描いているのは、迫力や躍動感を出すための専太郎の工夫だろうが、文字を組むのには大部苦労しているようだ。
ここまで来ると、単なる文章の説明ではなく、独創性溢れる専太郎のオリジナルな画だ。