2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

春陽会の芸術家達がなぜ、春陽展の会場に挿絵を展示したのか? さらには挿絵画家の団体「挿絵倶楽部」を起ち上げようとしたのか、木村荘八「時代のいろ」(『近代挿絵考』双雅房、昭和18年)にその答えが書かれていた。長文になるが以下に引用してみよう。(旧漢字は新漢字に変換した。)

挿絵は広く逸早く万人の眼に触れるものであるから、新体制影響は直接のものである。一つから言えば、新聞雑誌によらず挿絵とある以上は、それが或る小説なら小説の挿絵であると同時に、また昭和×年×月×日の新聞面に載っているその絵は、言わず語らずその×年×…

拙書『製本探索』(印刷学会出版部)によく似た装丁で本を作って欲しいという条件付きで飛び込んできた文庫本判上製本、『鞦韆の詩』(創英社・三省堂出版)の装丁案が出来上がった。が、その著者が「表紙の布のような紙が気にいっている」という『製本探索』の表紙に使われている紙は、何を選択したのかを思い出せず、版元の印刷学会出版部に問い合わせることにした。ついでに、「よく似た本を……」と頼まれて、よく似た装丁の本を作っていることへの詫びも入れることにした。

左:森川宗弘『鞦韆の詩』(創英社・三省堂出版)、装丁:大貫伸樹 右:大貫伸樹『製本探索』(印刷学会出版部)、装丁:大貫伸樹 すると印刷学会出版部・社長の中村さんから 「ご無沙汰しております。本件,酷似していれば過当競争防止法に引っかかるかとは…

ある執筆者から直接、装丁の依頼があった。メールでマンガ風のイラストを2点送ってきて、「装丁について、愚生の希望は、添付の葉書のイメージのような、デザインを希望していますので、一つの参考にしていただけたら幸いです。」と記されていた。

著者の意向を組んだマンガ風の装丁案を作ったが、どうも私にはしっくり来ないので、素直に提出すれば良いものを独自の案も加えてプレゼンテーションした。時間が営業日2日しかないので、かつて制作したオブジェを撮影したものを利用した。オブジェ作りから始…

昨日で実践学園生涯学習センターでの「美しい本の話」講座3回が終わった。

毎回、まるで移動図書館であるかのように、30冊ほどの書物を旅行用のキャリーバッグに詰め込みリュックを背負って、バス、電車を乗り継いで、JR日野まで通った。 昨日は、挿絵の話だったので、比較的軽かったが、それでも、乗り継ぎ等は結構大変。 昨日の最…

石井鶴三たちが昭和14年に起ち上げた「挿絵倶楽部」に関する記事が、「本の手帳」同人の喜夛さんから送られてきた。小さな記事で、次のように記されている。

「挿絵倶楽部展 △…結成第一回展として先ず人的内容の貧弱さと生のままの挿絵とは全く趣を異にしているものの多いことが遺憾である △…一般の観賞に供するためには石井鶴三が僅かに色彩を補足している程度にすぎない △…出来栄えとしては石井鶴三、中川一政が試…

挿絵というものは本来非常にむずかしいものです。心内の幻想を描出するものですから、眼前のものを描くよりは一層むずかしいわけです。素描の力が充分にあって余程空想ゆたかな人でなければよい挿絵は描けません。而して文学を理解し人事百般の学問を通じていなければならない。こう考えて来ると挿絵という仕事は非常に恐ろしくなります。なまやさしいものではない。挿絵をやっていると自分の至らぬことが痛感され、勉強せずにはいられなくなるのです。」(『春陽会雑報』昭和6年4月第1号)

石井鶴三:画、「春陽会あかるくなる」(1931年『春陽会雑報』)

展覧会を見る人はおのずから限られているが、新聞は見る人の範囲がずっと広く、その人々の多数は僅に挿絵によって絵画を味わう機会を与えられていると云ってよいのですから、新聞の挿絵は考えようで責任の重い仕事だといえます。挿絵を馬鹿にするのは多くの民衆を馬鹿にすると同じです。だが、今日では新聞の挿絵が正当に理解されて来て大慶です。

新聞の挿絵を見て、人はこの原画が見たいと云います。小生の新聞挿絵は紙上にあらわれたものが原画です。何故というに一種の版画だからであります。肉筆は版下での作画の一過程に過ぎません。勿論重要な一過程ですがどこまでも過程です。それから製版印刷の…

「春陽会には挿絵を描く人が幾人もあるので、自然会場に挿絵室も設けられるわけです。展覧会というものは画家の画生活の如き意味もあるので、小生の如きこの一年殆ど挿絵に埋没してしまった者は、その仕事の中から出品するのが最自然です。強いて油絵の具をいじったりする要はありますまい。数年前までは一般に挿絵を卑しむ風がありました。油絵などで展覧会製作でもやらねば真面目な絵とされなかったのです。今はそんな馬鹿なことを云う人はなくなりました。

春陽会展覧会に挿絵が飾られたという話をもう少し詳しく知りたいと思い、「石井鶴三全集」を眺めていたら、春陽会に挿絵を出品することに関する鶴三のエッセーを見つけた。

2011年3月6日(日)2:00に田端駅前にある田端文士村記念館に足を運んでみてください。真実が分かります。

「石井鶴三や岩田専太郎など田端にゆかりのある画家の話をして欲しい」という田端文士村記念館からの講演依頼だった。

田端文士村記念館 さっそく星さんにメールを送る。 「先ほど電話で話していたのと同じような内容で、石井鶴三や岩田専太郎の講演をお願いしたいっていう講演依頼がとどいた」 「うそ〜、どうして? 鳥肌が立ってきた。こんなことって、本当にあるんだ」 偶然…

「粋美挿画」第4号の企画では「石井鶴三と春陽会の挿絵画家たち」の話を書かせてもらいたいんだけど……」

「石井鶴三は、洋画家として初めて新聞小説挿絵を描いた春陽会の画家なんだ……昭和2年春陽会展に“挿画室”をつくって、木村荘八、河野通勢、山本鼎、小杉未醒などと一緒に上野のお山の美術館に挿絵を飾ったんだ……そのメンバー達が中心になって昭和14年に“挿絵…

石井鶴三は東京下谷生まれ大正5年に田端に移り住む。岩田専太郎は東京浅草生まれ、大正15年に田端に移り住む。ともに田端にゆかりの絵描きだ。ついでといってはなんだが、専太郎の朋友・川口松太郎も東京浅草で生まれ、昭和2年に田端の専太郎の家の隣に移住している。

朝、事務所に着くと直ぐに日本出版美術家連盟理事・星さんから電話があり「紀伊国屋書店さんが“粋美挿画”を100冊おいてくれるそうです。」「ホント!?すごい、やったね〜!!さすが、スーパーウーマンだね」

などと話をつづけ、

この他菊半裁、三五判、などと称するものが、紙の折り方如何によってできる。三五判とは、菊全紙を四十折して、一枚から八十頁を取ったもの。本の性質、原稿の長短、値段如何により、あるいは時代の好みにより、どの判型にするかを選択する。」(小川菊松『出版興亡五十年』(誠文堂新光社、昭28年)

昭和初期に300点以上も刊行され一大全集ブームとなった円本全集の多くは四六判で刊行された。 一冊一円という条件の中で本を作るとなると、制作コストのかかる菊判は、四六判に比べ、割高になる。従って、発行部数の多い出版物は当然、四六判を選択すること…

「教科書などの大きさは菊判といって、二尺一寸、三尺一寸の一枚の全紙から三十二頁とれる判型であって、婦人雑誌や「キング」「日之出」のサイズ。一般の単行本には四六判という判型をつかう。四六判の一枚の全紙は二尺六寸、三尺六寸で、これを三十二折して、六十四頁になる。新聞の一頁はこの四六判全紙を四つに折ったものである。この本の倍の大きさを四六倍判と呼ぶ。

明治大正時代のブック・クロスは、殆どウィンターボトム社(イギリス)、ヤコビ社(ドイツ)、パンクロフト社(アメリカ)等からの輸入品で賄われていたが、第一次大戦の影響で輸入が閉ざされ、大正八年にブック・クロスメーカーとして東洋クロス、日本クロス工業の二社が創立する。

当時の様子を『ダイニック70年史』(1990年)から引用させてもらおう。 「円本の企画を耳にすると、三次は機敏に動いた。すぐに改造社にでかけ、社長の山本実彦をたずねている。改造社では全集の装幀用クロスは輸入品ときめていた。日本クロスがブック・バイ…

七味とうがらし売りの口上でもその名は全国的に知られています。

しかし、残念ながら現在の四谷界隈では栽培されていません。そこで、私たちは四谷地区の小・中学校と連携し、歴史ある「内藤とうがらし」の復活を楽しく目指しています。」と。 花壇に立てられている看板 確かに「山徳」薬研堀七味とうがらしの売り口上を ht…

都心でも街路樹の間に、琵琶の実がたわわに実っていたり、生け垣にアケビが実ったりして楽しませてくれる風景を見かけるのは珍しいことではなくなってきた。が、野菜類が育てられているのはそう沢山みかける風景ではない。

事務所のあるマンションの入り口わきの小さな花壇になっているスペースに、トウガラシが植えられていた。 よく見ると何やらウンチクが書いてある。 「その昔江戸時代の内藤新宿一帯は秋になると内藤藩の栽培するとうがらし(上を向いて実る八房という品種)…

広告だから当然だろうが「現代日本文学全集内容見本」に「装幀と編纂の周到な用意」と題する造本装丁に関する自画自賛が。果たして字面通りに信用できるのだろうか。

第2回予約募集「現代日本文学全集内容見本」昭和2年 「装幀と編纂の周到な用意 本全集の装幀は、これまで最も苦心を費やし世に誇るべき自信を持てます。世間には、ちょつと見て美しく思はれるものもありますが、私達は、高尚な書斎の装飾、日本文学の内容と…

大正15年11月締め切りの「現代日本文学全集予約募集内容見本」には、山本が漱石ファンであることを裏付けるように夏目漱石「坊ちゃん」の組見本が2ページ付されている。この内容見本が配られたのは8月ごろではないかとおもわれる。「坊ちゃん」が収録されている『夏目漱石集』第19編は第7回配本で、昭和2年6月発行なのである。常識的に考えれば、第一回配本の大正15年12月刊行『尾崎紅葉集』の組見本が使われるのが妥当であろう。なのに、大正15年8月に始まった予約購読者募集の内容見本に、なぜ「坊っちゃん」が選ばれたのであろ

紀田順一郎氏は『内容見本にみる出版昭和史』(本の雑誌社、1992年)で「…巻末に『坊ちゃん』の組見本を2ページほど付している。これは当初第一回配本予定が『夏目漱石集』であったことを物語っている。現実には翌昭和二年の第一回配本は『尾崎紅葉集』で漱…

改造社『現代日本文学全集』紙装並製本の普及版と夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』(大倉書店、服部書店、明治38年)を並べてみると、どことなく造本が似ている。私の手元にある明治40年5月3日に発行された第5版は、天金がはげ落ち豪華さが失われているので、なおさら円本風に見えてしまう。が、実際は、地券紙本と呼ばれる表紙の芯紙に薄手のボール紙を使い、ページを繰りやすくしたもので、上製本である。

いずれも菊判で、白地を生かし朱色を基調色にし、束は約15ミリ。『吾輩ハ…』は表紙の芯ボールが薄手で、チリがなく突きつけなので、くるみ製本のように見えてしまうなどなど、多少、こうあってほしいと思うほうへと引っ張っているかも知れないが、観察すれば…

安さだけではない美しさも備えた円本全集

の3つのテーマ。毎回たくさんの本と映像を使って、マニアックで楽しい講演にしたいと思っております。 詳しい内容、お申し込みは http://www.syogai.jissen.ac.jp 0120-511-880へ。77講座ある講座案内の最初の見開きページに私の講座が紹介されているのには…

洋画家たちが美しいさし絵を運んできた

装丁のパイオニア杉浦非水とアール・ヌーボー

「美しい本の話─装丁、さし絵、製本─」講演が、JR中央線・日野駅前の実践女子学園生涯学習センターで、11月の毎水曜日、10日、17日、24日(いずれも 15:00~16:00)に開催されることになった。受講料は3回分で3,150円。

講演内容は

杉浦非水装丁、菊判・紙装並製本、6号総ルビつき三段組、平均500 頁、予約定価一円(上製本は、天金、総クロース金文字、1円40銭)。改造社社主・山本実彦は「我社は出版界の大革命を断行し、特権階級の芸術を全民衆の前に解放」すると宣言し、35万余という空前の予約を獲得した。当初は賭博行為と冷ややかな批判ばかりだったが、この勇気ある決断による大成功を目の当たりにした多くの出版社が、次々と改造社の後を追うように全集を刊行することになり、出版界の不況を打開する先駆けとなった。

杉浦非水装丁、『現代日本文学全集』(改造社、大正15年)函入布クロース上製本特装版と、カバー付き並製本普及版

八、本全集あれば一生涯退屈しない。

予約出版法による予約募集で、申込金一円(最終回配本充当)、その他の細かい規約があった(今日と違って、予約読者以外の一冊売りは原則としてしなかった。だから、奥付に定価の記入はない)。この計画は、不況乗り切り策である。改造社の山本実彦の大胆な…

七、全日本の出版界は其の安価に眼を円くす。

六、瀟洒な新式の装幀で書斎の一美観。