挿絵の市場を拡大した講談社の雑誌群

「大正十一年以来、雑誌と新聞の間に週刊誌という新しいメディアが加わり、それに『講談倶楽部』『少年倶楽部』『婦人倶楽部』『キング』を相次いで創刊、雑誌王国の観のあった講談社が加わることで、ますますさしえの市場は拡がり、新人が覇を競うことになった。とくに講談社が果たした少年時代物さしえの役割は大きい。版下時代から活躍していた近藤紫雲、永洗門下で都新聞から移った井川洗崖を皮切りに、斉藤五百枝、伊藤菊蔵(幾久造)、山口将吉郎、高畠華宵など、講談社文化を浴びて成長した世代にはなつかしい名前だとおもう。」(尾崎秀樹『大衆文学論』勁草書房、1965年)