2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

書斎というか納戸というべきか、の模様替えをしようと奮闘していたら40年前に購入したカメラがホコリだらけのケースと共に出て来た。あまり使うことが無かったので存在すら忘れていたが、水彩画のモチーフになりそうと思い引っ張り出してきた。う〜ん、見ているだけでもしびれるが、フィルムを巻き上げる「ジ〜ジ〜」やシャッターの「シャッ」という音はたまらないね。

『アニマ別冊 動物の世界』(平凡社、昭和60年)も200円で購入。国内外の動物画家と作品が紹介されているが、絵も大きく内容が濃い優れた編集の冊子だ。豪徳寺での打ち合わせの帰り道に立ち寄った古書店だが、一緒に行った濱野彰親さんや星恵美子さんも大量に購入した。

「水甕」大正3年11月号の表紙絵を昭和38年に再流用して復刻刊行したもので、私が収集している関東大震災〜第二次世界大戦終戦を見事に飛び越えて掲載している。ルール違反はわかっているが収録せずにはいられない何ともおっとりとしているようだが気が利いているお気に入りのサインだ。矩形を丸刀3回で切り取った顔のようにも見えるこのサイン、わっかるかなぁ誰のサインか? メゾチント(マニエール・ノワール)と呼ばれる古い銅版画の技法を復活させ、独自のスタイルとして確立させたことで知られる版画家・長谷川潔(1891〈明治24〉

『ブックデザインコレクション』(ピエブックス、1998年)に掲載されていた時から14年間もの間一度手に取って見てみたいと思っていた『HOMO LUDENS BANDIII』(erschienen im Herbest 1989)を200円均一セールの中に見つけた。この本は2,000円でも購入したと思う。本の内容は勿論、レイアウト、装丁、どれをとっても素晴らしい「胸キュン本」だ。

春日章『妖艶画集』(グリーンドア文庫、1993年)が届いた。春日章はあの木枯し紋次郎の挿絵を描いた堂昌一のもう一つの雅号だ。発売当初は500円だったが、今では180頁ほどの文庫本が1万円もする。内容は表紙のおしとやかさとは裏腹にネットにアップするのは妖艶すぎてちょっとはばかられる。「粋美挿画」3号に「挿絵画家・堂昌一伝」を書くのでしぶしぶ購入したので、決して趣味で購入したのではないから!!念のため。

伊藤晴雨関連の本が3冊届いた。その中の一冊『伊藤晴雨写真帖責め絵の女』(新潮社、1996年)がすごい。ヘアヌード何てモンじゃない、心臓の悪い方にはお薦め致しません。私も心臓の神経の一部が断絶しているらしく、仕事でなければ見たくはなかったなぁ。

「本の手帳」11号に掲載する「挿絵画家たちのサイン解読事典」ア行・カ行180名12頁分のレイアウトがやっと終ったが、10日ほど経つと新たな挿絵画家がア行だけでも15名も出て来た。画像の内田巖『ドレフェス事件』(天寿閣、昭和21年)のように大物も含まれており、レイアウトをやり直すべきかどうかおおいに悩んでいる。

伊藤晴雨(1882-1961年)といえば知る人ぞしる責めの絵師。12歳で晴雨の愛人になったお葉は、後に竹久夢二の愛人・『黒船屋』のモデルでもある。晴雨と漢字は違うが同姓同名の挿絵画家・伊藤静雨を「風俗画報」にみつけた。同一人物かどうかは未確認。画像左が晴雨、右が静雨。

ちょっと高価だがモダンな装丁が気になって購入してしまった『池谷信三郎全集』。サインはあるが見たこともない解読困難なサインなので装丁家がわからず、挿絵サイン(落款)の第一人者・五十殿先生にも問い合わせたが分からなかった。このことが切っ掛けで私の挿絵画家のサイン収集が始まった。池谷作品の挿絵や装丁はほとんどがドイツ留学で一緒だった村山知義が担当していたが、なぜかこの本の装丁は村山ではない。もしかして、このサインを「Ikk」だとすると池谷の細君・池谷恵美子のデザインか?

池田永治(1889年-1950年)の略歴を調べたら、「本名は永一路。筆名は別に永一治,牛歩,田牛(たのもう)。」(kotobank )とあった。つまりサインは「たのもう」のようだ。それならそれで、活字では「池田田牛」と記して欲しいよね。「牛」を「モウ」と読ませるところはさすがだね。それにしてもなぜ「牛」なのか? もしかして干支? 調べてみると1889年は丑年でした。画像右は「牛」の草書体。

池田永治は普段は画像左のサインを使っていることが多いが、時々画像右のようなサインを使う。この右のサインがくせ者で、様々な考えを巡らせて解読しようといるのだが、何が書いてあるのか今だに分からない。画像右の中央の文字は「永」の草書体にも見える。あるいは冗談っぽく英字の「y」だから「エイジ」。などなど、だがいまいちぴったり来ない。

先月吉祥寺で購入した模型のヨットを8月号の表紙用に水彩画で描いた。2008年に表紙デザインの依頼を受けたときに、自分で絵も描いてしまおうとして、はじめてイラストに挑戦。水彩画教室に通い、たくさんの技法書を読みながらの危なっかしい出発でしたが既に5年も続いている。6月8日から水戸市で母が米寿の個展を開催するので、私も6点ほど水彩画を応援出品することにした。

「三四郎」「十兵衛」などと漢数字を使った名前はよくあるが、算用(アラビア)数字を使った名前はサインといえども珍しい。画像左は1947年に赤本漫画『新宝島』を手塚治虫と共作したことで知られる酒井七馬(1905-1969年)の「まんがマン」(昭和21年)に掲載された挿絵。画像右は「サロン」(昭和23年)に掲載された江茂十四郎の挿絵。算用数字のサインは描いた年月等の記載などと勘違いしそうだ。

アルファベット1字だけのサイン解読は難しいが、漢字1字だけのサイン解読も結構困難だ。「絵ばなし世間學」(「キング」付録、昭和10年)の目次には48名の挿絵画家の名前が羅列されている。画像の挿絵に記された「光」のサインに該当する画家は「狩野光雅」「田代光」「中沢弘光」「吉田秋光」と4人もいる。消去法でいくと「田代光」が該当する。

このサインは「kawzm」と解読したが、あとの「zm」はなんなんだ? という疑問が残る。画家名が川瀬成一郎であることがわかるが謎は更に深まる。さまざまな組み合わせを考えあきらめかけたころに、夢の中で「あっ、これは和洋折衷サインなのか」と気がついた。「zm」ではなく「ゑ」つまりよくサインの最後についている「画」を平仮名で書いたものにちがいない、と。ふ〜ッ、これでやっと快眠を得られそうだ。

「五」のサインといえば、多くの人が夏目漱石『葉虚集』(画像左)などの装丁で知られる橋口五葉(1880-1921年)を思い浮かべることと思う。画像右の佐藤紅緑『一直線』(昭和6年)の表紙にも「五」のサインがあり、てっきり五葉の装丁だと思った。しかし、目次裏に「装幀・口絵・挿絵 斎藤五百枝」とあり斉藤五百枝(1881-1966年)の装幀であることが分かった。五百枝50歳の時の装幀なので、この頃の五百枝は「少年倶楽部」の表紙などで活躍しており五葉の真似をしたとは思えないのだが……似すぎている。