2005-08-01から1ヶ月間の記事一覧
かつて、泉鏡花だったか? 金ぴかの箔押しで飾られた自分の全集をみて、「まるで棺桶に入ったような気分だ」というようなことをいったらしいが、これは豪華限定本であるが、ゲテ本でろう。 棺桶に入ったような気分だけならまだしも、金ぴかの記念史を作った…
第一書房は、限定本書肆として知られており、「豪華本」ということばは社長・長谷川巳之吉の造語である。ゲテ本と豪華本と限定本は、明らかに違うものを意味しているように思われているが、実はかなり近い存在で、お互い境界線は曖昧かつ重なっているのでは…
神保町をぶらぶらしていたら、普段立ち寄ることのない古書店の店頭にある均一台に、上田敏『上田敏詩集』改訂増補版(第一書房、大正14年)をみつけ、格安で購入してきた。この本は、すでに所有しているが、革が破損して、金箔押しの文字も剥がれ始めていた…
『銀魚部隊』の製作にかかわった女子社員の高野ひろこ氏の証言が『日本古書通信』第27巻(古書通信社、昭和37年)に掲載されていたので、引用させてもらおう。 「私が入社して間もなく出版された先生の著書に『銀魚部隊』があった。凝った装幀にかけては日本…
さらに「なほ金版を掛けた繪紙の一片や切手の類は、單調の表裝に多少の色彩を添えたものに過ぎない。」とあるが、いかにもとってつけてようにカラフルな千代紙のような切れっ端が貼ってあるのが、唐突で気になった。決して成功しているとは思えない。色を使…
齋藤昌三の第5随筆集となる『銀魚部隊』(書物展望社、昭和13年)も前作と同様に廃品を利用したゲテ本である。 巻頭の「序」には、「外裝は又かと思はるゝ如きものにした。友仙その他の型紙で、從って一冊毎に異なってゐるは勿論だが、見返しは一冊々々表紙…
話をゲテ本に戻そう。漆塗りの表紙『春琴抄』は、さんざん酷評されたが、今回紹介する齋藤昌三『書淫行状記』(書物展望社、昭和10年)印刷500部、も漆塗りだが、あまり批判を耳にしていない。 「後記」には「今回も型は前二者に似せて、又新菊判にしたのは…
8月の初めにインターネットで落穂舎に注文した『書淫行状記』が、20日ほど経った今日、何の音沙汰もなく届いた。もうあきらめていた本だったので、嬉しいのは嬉しいのだが、書店からは、前金制ですが、「日にちもたちましたので、本日発送いたします。お振込…
先日、別のブログ「大貫伸樹の装丁探索、装丁探索其の四十二」で書いた大屋幸世『追悼雑誌あれこれ』のなかに、「古書通信」第214号(昭和37年2月)で齋藤昌三翁追悼特集号があると記されていたので、さっそく古書通信社の樽見さんに連絡を取ってバックナン…
横光利一の本が、「続装丁探索」に登場するのは、『時計』に続いて二度目である。横光はゲテ本が好きなのだろうか? 『時計』の装丁の時に、横光はどの程度かかわったのか、気になる所だが、詳しいことはわかっていない。 今回紹介するのは、横光利一『雅歌…
架蔵書も一度オモテ表紙の真ん中から割れてしまった。私はさっそく、最初のイメージを損なわないように表紙の裏面に厚手の和紙を貼って補習した。もちろん皮の割れ目にも木工ボンドを流し込みしっかりと補習して、それと気ずかれないように丁寧に直した。そ…
杉皮の選択は、本文中に「益荒男の雄ごころもちてわれゆきぬ杉そそり立つ大土佐の山」「大土佐の杉の輪見るほどにおのずからなる力湧き來ぬ」など杉を題材にした句があるが、これ等の句に因んでの選択ではないだろう。杉皮は、世俗を離れてひっそりと暮して…
知人の境田稔信さんが、古書市で「日本書房に杉皮の本があるの知ってる?」と教えてくれた。私は、直ぐに古書市を後にして、日本書房に向かいこの本を入手した。 おそらくこのような装丁は2度と出てこないだろうと思われるのが、吉井勇『わびずみの記』(政…
斎藤昌三のいう、資材の再利用をしており、ゲテ本を地でいっている奇抜さとオリジナリティがある。それでいて、内容との深い関連性や、書物としての堅牢さなど、全く非の打ち所がない見事なまでに完成度の高い書物である。どの紙型にもその日の新聞の内容が…
『印刷事典』(日本印刷学会、昭和34年)には、「紙型 鉛版を鋳造するために、紙型用紙を使い、組版その他を原型とし圧搾乾燥してつくった紙製の鋳型。」とある。この紙型に使う紙は、「紙型用紙 はり合わせ、あるいはすき合わせて紙型に適するようにした紙…
ゲテ本としては、余り注目されていないが、これぞゲテ本中のゲテ本を紹介します。『朝日新聞七十年小史」がその本。この本の函は、材料として新聞印刷用の紙型を使っている。「紙型」とは耳慣れない言葉だと思うが、活版印刷で新聞を印刷する時には必需品で…
午前中、BIG BOXの古書市に行ってきました。 尾竹俊亮『尾竹国観伝』(まろうど社、1995年) 装丁:木下杢太郎/小宮豊隆『黄金虫』(小山書店、昭和17年第8刷) 装丁:河野鷹思/西條八十『西條八十詩謡全集』(千代田書院、昭和10年) 装丁:Tani/川本不…
コメントをありがとうございます。 林哲夫 『ところで、あの金属がアルミニウムだというのは間違いないんでしょうか?』 退屈男 『何も知らん者が脇から失礼します。『われらが古本大学』(天牛新一郎)の一〇〇ページの、矢部良策創元社社長との対談のなか…
この書物の装丁に齋藤昌三がかかわっているかどうかは不明であるが、書物展望社の発行である。木下杢太郎『雪櫚集』(書物展望社、昭和9年11月)は私の大のお気に入り装丁で「添い寝本」の一冊である。体裁は「四六判著者筆木版二十數度手摺美装三三六頁挿畫…
漆の表紙を擁護するために、私も自分で漆を使った本を作ってみた。自己流だが、螺鈿(らでん)という技法を使った装丁である。製本様式は、ドイツブラデルといって、いわばくるみ製本である。綴付け本だと、製本をしながら漆 塗りをしなければならないので工…
漆塗りの本が悪いというのは必ずしも的を得た批判ではない。角が壊れてしまったのは、表紙の芯材がボール紙だったことが原因で起きたことで、心材を漆工芸品のように木材を使えば解決する。金蒔絵風の題字が剥げてしまったらしいが、サンドペーパーでこすっ…
書物を本当に愛しているなら、このような本の出現に対して、どうして拍手を送れないのか不思議でたまらない。昭和初期の単行本年間発行点数が何点くらいだったのかはわからないが、仮に1万点くらいだったとしても、1万点の中に一冊くらいはこのような、イメ…
寿岳文章の批判分はまだまだ続く。他にも批判しているヒトはたくさんいる。しかし、論旨は似たり寄ったりなので転載しない。
批判文をいくつか転載してみよう。寿岳文章『書物の共和国』(春秋社、昭和61年)には「装幀への関心がありながら、装幀の本質を全然わきまえていない最近の例として、私は谷崎潤一郎氏の『春琴抄』を取る。新聞に出た版元の広告によると、谷崎氏は『本書の…
事務所に1冊、書斎に1冊、リビングに1冊と行く先々で眺められるようにしている。架蔵書の美本ランキングではもちろん最高位の添い寝本である。ちなみに美本ランキングとは、「胸きゅん本」「頬すり本」「添い寝本」の三段階でである。谷崎にとってももちろん…
三大ゲテ裝本の残り一冊、谷崎潤一郎『春琴抄』(創元社、昭和8年)も見てみよう。私は大好きな造本だと思っているが、なぜか、昔から批判されることが多いのは本当に残念なことだと思っている。漆塗り蒔絵風の表紙は、格調高く品があって、ゲテ本だから話の…
齋藤は、この装丁を見て、「やられた!!!」と思ったに違いない。怒りの根源はコンプレックスだったのではないだろうか。そんな意味では、『時計』はあの齋藤が最も気になる装丁であり、一目置いた装丁ともいえる。 書影は佐野繁次郎装丁、横光利一『時計』…
齋藤の指摘は正論だが、ちょっと待った!といいたい。確かに『げて雑誌の話』では金属を鋲を打って留めており、一見非の打ち所のない本のように見えるが、なぜか批判のまな板に登らない。それは、装丁として批判のまな板に乗せるほど面白い試みではなかった…
「書物展望」第46号、湘雨荘痴人「机邊新景」にも、『時計』に対する批判が掲載されている。同じ冊子に2度も同一本の批判を乗せるとは、齋藤はよほどカンに障ったようだ。 「横光利一氏の長篇創作としての『時計』は、『婦人の友』時代からレベルの高いもの…
ゲテ装本として、これまでに多くの人に批判のまな板の乗せられてきた書物の中で、最も登場回数の多いのは、『西園寺公望』『春琴抄』『時計』だろう。自慢すべきかどうかは、判断に悩むところだろうが、とにかくこれらを三大げて装本といってもいいだろう。 …