「修羅八荒」の誕生について彦造は「社長じきじきに、『学芸部補にするから入社して、ライバルのなにがし新聞を切りくずしてほしい』と頼んで来ました。そこで入社して、どうやったらライバル紙を打ち負かすことができるか考えたすえ……主人公は剣客で、面長のいい男、女にはほれられるがこっちからはほれない。女のほうはつぶし島田で二つ折れの編笠。三味線かかえた鳥追い姿、これにグロテスクなまでの殺陣を組こんでみようというんです。しかし、わたしは小説を書くことができません。だから、誰か自分のイメージを生かしてくれる作家を見込んで


「ある日、道頓堀を歩いていたら、東京での新聞記者兼給仕時代に親しかった沢田正二郎とひょっこり出会って、『大阪で認められたから、ぜひ舞台を見てくれ』と誘うんです。演っていたのが月形半平太で、見ているうちに、この芝居の作者ならわたしのイメージを文章で書きこなしてくれるだろう──と言う気になった。訪ねてみると、その芝居の作者は行友李風で、沢正一座付作者だというから、渡りに船と、その晩沢正と二人で李風を訪問し、快く引き受けてくれたので生まれたのが『修羅八荒』です。」(前掲)


さらに「新聞社では〈少年画家〉として宣伝してくれたのに、当初はあまり人気が湧かない。けれども連載開始後一五、六日たったら、俄然すごい人気で、私はようやくほっとしました。」(前掲)と。


硬質なタッチのペン画にも定評があり、克明な細密描写で、ややニヒリスティックな趣きに特徴があり、描かれた挿絵は緊張感にあふれる剣術シーンを余すところなく表現し、少年雑誌草創期の「少年倶楽部」(草創期の少年誌で最高70万部)、大衆雑誌「キング」(最高部数150万部)などの連載小説の挿絵を中心とする興隆期大衆児童文学の挿絵に新風を送る。代表作『豹の眼』『阿修羅天狗』『運命の剣』『角兵衛獅子』『修羅八荒』『天草四郎』などがある。


中でも1927〈昭和2〉年、青梅繒二こと高垣眸の連載小説『豹の眼』と大佛次郎『角兵衛獅子』の挿絵を委されているが彦造の人気の程がうかがえる。この2作品は彦造の代表作と言ってもいい。



挿絵:伊藤彦造高垣眸(青梅繒二)『豹の眼』(「少年倶楽部」1927〈昭和2〉年)、「少年倶楽部」に挿絵を描くようになった頃は、高畠華宵に似せるようにとの要求があったらしいが、落款がなかったなら、顏の表情などは高畠華宵が描く人物との見分けがつかないほどによく似ている。



挿絵:伊藤彦造大佛次郎『角兵衛獅子』(「少年倶楽部」1927〈昭和2〉年)