2005-07-01から1ヶ月間の記事一覧

大貫伸樹の続装丁探索(齋藤昌三『書國巡礼記』)20

齋藤昌三の書物随筆七部作といわれる本があり、昭和7年に刊行された『書痴の散歩』に始まり、『書國巡礼記』『書淫行状記』『紙魚供養』『銀魚部隊』『書斎隋歩』と続き、15年のブランクの後の昭和34年に『紙魚地獄』が刊行され、これ等をそう呼ぶようだ。『…

お許しください

紅野謙介さんへ、こんなにたくさん引用してしまい申し訳ありません。論文のための引用ではありませんが、悪意があっての引用ではありませんので、何とぞ寛容にお願い申し上げます。

ゲテ装本の名付け親は柳田国男

「大量複製の時代にあえて希少価値のものを作ることで対抗するこうした限定本出版は、『少雨荘書物随筆集』として出た自著『書痴の散歩』ではさらに廃物利用を徹底して、古い番傘を外装に用いるまでいたる。やはり読書家である柳田國男はこれを評して『下手…

ゲテ本刊行

「『円本』は、家庭に常設された『文学図書館』として、文学を市民の日常に近づけ、同時にまた、多額の印税を作家たちに手渡すなど、文学の社会的な地位向上に役立った。しかし、反面、同じ時期に刊行される『文庫本』とともに、均一の装丁・造本による書物…

『書物展望』

「本の雑誌としてはその後これを超えるもののない雑誌『書物展望』は、一九三一(昭和六)年七月に創刊された。当初、岩本柯青(和三郎)、庄司浅水、柳田泉らとの同人制で発足したが、やがて岩本、齋藤のふたりで発行元の書物展望社を経営するようになり、…

『書物往来』『愛書趣味』『書物展望』

「齋藤昌三はもともと在野の書物愛好家であった。趣味の雑誌を発行しているうちに、明治の書物に関する愛着と知見がふえ、震災後の機運が彼を明治文化研究に向かわしめた。一九二五(大正十四)年、齋藤はやはり書物愛好家として知られる石川巌、神代種亮、…

大貫伸樹の続装丁探索(齋藤昌三『書物展望』)19

紅野謙介「齋藤昌三 書物への飽くなき愛情ゆえに……」(「朝日新聞社編『メディア社会の旗手たち』朝日新聞社、1995年)に書かれた齋藤昌三像も見てみよう。長くなるが、転載させてもらう。

批判的精神はあっただろうが

さらに「岡野他家夫のいうとり、彼の造本の全てが優れていたわけではない。しかしゲテ造本がマニアの所産にとどまらず、そこに一貫して無個性なマスプロ造本への抵抗の姿勢が観られることは誰しも否定できまい。彼の方法は、いささか陳腐ではあった。ミニ・…

ゲテ本はアンチテーゼではない

昌三には、造本界批判やマスプロ造本へのアンチテーゼというような意味での反抗心はなかったのではないか、と思う。単純に本を通しての創作を楽しんでいたのであり、そうして出来た書物の方が、大量生産される画一的な書物より満足感を与えてくれたのではな…

震災を機に

「有隣堂の新刊紹介が独立して輸出ばかりの竹村商会ができ、そこで日本の書物の輸出を受持ち、この本はどのくらい送ったらよいか、これはあまり専門的すぎるので数は出ないなどと自分で考えてやっておりました。その時ロスアンゼルスの小野さんと直接交渉し…

齋藤昌三ってナニヤツ?

『限定本』3(東京文献センター、昭和42年)に齋藤昌三夫人・千代の「夫・少雨荘を語る」というインタビュー記事を掲載している。夫れによると「もともと本が好きでしたから、私が嫁いでくるときには、大蔵省の役人で、役所から帰ってくると横浜の有隣堂へア…

齋藤昌三を仰天させた「マヴォ」

「……活字の組み方も横や逆轉の手間のかゝつた未來派的構成主義と稱する奔放ぶりで、繪と詩が主體となり、常識的には何が何ンだかエタイの判らぬ繪畫が多かった。殊に第三號は古新聞を綴合わせて、それに別刷りにした詩や繪を勝手に貼込んで本文としたり、踊…

意外にまとも、げて本中のげて本

齋藤昌三『げて雑誌の話』(青園荘、昭和19年)は、装丁も内容も「げて本」だ。限定百部の非売品であり、なかなか手に入らない貴重な本だ。こんな本を探し出してくれたのは、毎度登場する「玉晴」の店主堀口さんだ。造本は、内藤正勝。表紙の貼り題簽にはア…

大貫伸樹の続装丁探索(ミノムシを使った『書斎の岳人』)16

虫つながりで、もう一冊、ミノムシの蓑を使った本を紹介します。小島烏水『書斎の岳人』がその本。背の部分を読んで見ていただくと、一辺が2cmくらいの◇模様を確認できるものと思います。実は、これがミノムシの蓑一匹分なのです。この背には、30匹ほど使わ…

口は悪いが

「……失禮な話だが、翁の筆になったものでも、殊にこの種のものは多くは賣れないものであらうが、十人でも百人でも賛成者があったら充分だと思って、……」と、真実とは言え全く失礼なことが書いてある。言うだけのことがあって、本文中に掲載された多色すり木…

売れなくとも長生き

例によって齋藤昌三の「跋」が巻末に掲載されているので覗いてみよう。「一般の出版物には大抵生命が限られてゐるが、随筆には無限の生命がある。只前者には流行り廃りがあるが、後者にはその心配がない代り、讀者はほんの一部に限られてゐる。」という書き…

元の資材のデザインが生きている

さらによく観察してみると、太く黒い線で区切られた5センチ四方ほどの升形の中に、光るドーナツが一つ入っている。それぞれの四角のスペースには番号がついている。この番号は、蚕の部屋の番号なのだろうか。つまり、この太い線は装丁の時のデザインとして描…

光るドーナツの正体は?

これがキラキラ光る物体の正体のようだ。それにしても種紙とは何だろうか。広辞苑を引いてみると「蚕が卵を産みつける紙。蚕卵台紙。蚕紙。」とある。ということは、このキラキラは、卵を産みつけた後か? そういえば蝶々や蛾の卵は、小さな粒のようなものだ…

きらめく表紙

山中笑『共古随筆』(温故書屋、昭和3年)の表紙をよく見ると、直径1mmほどのキラキラ光る点がたくさん集まって、直径4cmくらいのドーナツ形を形成している。見返しに「読者の方に」として刊行者の坂本篤が、「表紙は蠶(*かいこ)の種紙を利用したものです…

紙魚が繁昌しない布?

「所が此の嚢たるや、永年左黨の爲に御奉公した澁抜けのした嚢だけに、相當名譽の負傷もしてゐるし、澁の濃淡もあって、人によっては澁過ると評し、却て裏側の興味を喜ぶ者も出來たので、一二冊限りの製本でないからと兩面を適宜に使用して見ることにした。…

こんなところにアイディアが

一見、なんの変哲もない装丁のように見えるが、これがなかなか一筋縄では行かない曲者なのである。背の部分に穴が空いているがこれは、虫に喰われたわけでも、後で傷をつけたわけでもない。資材を選択するときから承知していた傷なのである。このシミに食わ…

いつもの自惚れだが、これがたまらなくいい!

当然といえば当然のことなのかも知れないが、限定本や豪華本には、このような自画自賛の文章が多い。第一書房の長谷川巳之吉の文章も過大評価とも思われる自分の装丁を讃美する文章がたくさん残されている。「コレを見よ!」とばかりに自らの作品を社会に付…

このわずかな紙魚(しみ)喰い後が……

さらによく見つめていると、裏表紙の紙魚の左下に、シミに食われた跡がある。タイトルや内容に相応しい紙魚に食われた跡のある紙を探し求めて、資材にしたのであり、これこそが齋藤が最も腐心したところなのだろう。 巻末の「普及版『紙魚繁昌記』の後に」に…

大貫伸樹の続装丁探索(『魯庵随筆 紙魚繁昌記』)13

齋藤昌三、柳田泉編集『魯庵随筆 紙魚繁昌記』(書物展望社、昭和7年)は、齋藤が装丁した書物の中では比較的「ゲテ度」が低いように見える。裏表紙に紙魚(しみ)の拡大図を銀色で印刷してある。背には、和本の本文ページを開いて表紙に使ったため、小口部…

「書物楽会」誕生か?

そのうちに「書物楽会」でも起ち上げ、本物の学者達も集めて交歓会をやってみようかな、と本気で考えている。印刷、製本、布や紙などの資材、装丁など、本の内容をのぞいて、書物を物として探求する会。どこかに20〜30人集まることが出来て、3000円くらいで…

ごく一部の通だけの愉しみ「装本楽」

そう、世の読書人たちはこの様な装丁を嫌う傾向があるが、はなはだ可愛そうでたまらない。こんなに楽しい装丁を知らないなんて悲劇としか言い様がなく、哀れである。 本を読んで愉しみ、装丁を眺めて愉しむ、これが「書物楽(しょもつがく)』である。耳で聞…

ゲテ本ってなに?

「ゲテ本って一体何?」という人のために河原淳「愛書家のための変態辞典」(『別冊太陽─本の美』平凡社、1986年)から解説を引用してみた。 「げてそうほん【げて装本】上手物ではない、巧まずして面白いブックデザイン。昭和六年刊の酒井潔『日本歓楽郷案…

大貫伸樹の続装丁探索(斎藤昌三)12

恩地孝四郎が、抽象絵画への憧れを抱きながらも、装丁の仕事ではなかなか思うような創作をさせてもらえなかった、大正時代。不満を抱きながらも装丁の仕事を続けた、作品を眺めながら、共に悔しさを味わってみようと思う。そんな話を始める為の準備期間を少…

マスメディアを操る夢二

恩地孝四郎が師と仰いだ竹下夢二は、大正抒情画を描く夢二ではなく、複製美術の寵児として活躍する夢二だったに違いない。夢二は明治43年に最初の画集となる『春の巻』を刊行する。翌44年には『夏の巻』『花の巻』、さらに45年には『野に山に』など次々に画…

吉行エイスケ編集のモダンな雑誌

恩地孝四郎の話ではないが、昨夜、『賣恥醜文』創刊号(賣恥社、大正13年)を入手した。表紙デザインは、深沢索一だが、深沢がこんなにモダンな装丁をするとは……以外だった。思わず購入してしまった。 この本は、吉行エイスケと清澤清志が編集した雑誌で、知…