2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧
上田次郎:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 江川みさを:画「かえで鳥の歌」(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 岡崎武彦:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 岡 友彦:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 岡本爽多:画(『出…
『出版美術家連盟1955年鑑』(出版美術家連盟、1955年)275×243mmもある本なので、私のスキャナーに入らず下3cm位切れてしまう。 『出版美術家連盟1955年鑑』あとがき 「あとがき」には「二百以上を有し」とあるが、名簿を数えると会員数は230名であった。 …
「粋美挿画」の編集に誘われて入会したのだが、いつの間にか、展覧会にまで出品することになってしまった。
沢登みよじさん 大西將美さん 岐部たかしさん 石川吾郎さん 中一弥特別展示コーナー 会場風景 会場風景 初めての出品となった私の作品(*受賞作ではありません)。
濱野政雄:画(「さしゑ」4号巻頭口絵、昭和31年6月)
風間完:画「原色の街」(「さしゑ4」挿美会、昭和31年6月) 「吉行淳之介氏の作品、原色の街のさしえです。去年の暮れ鳩の町えスケッチに行って三四枚描いてきた内の一枚です。吉行君とは永いつきあいですから、彼の気脈というようなものを私はよく感じとる…
細木原青起「挿絵随想」(「さしゑ」3号、昭和31年2月)
水沢澄夫「さしゑ時評」(「さしゑ」3号、昭和31年2月)
「挿絵・漫画家・出身地一覧」(「さしゑ」3号、昭和31年)、文字が殆ど見えないだろうから、関東だけでも拡大してみよう。 「挿絵・漫画家・出身地一覧」(「さしゑ」3号、昭和31年)部分 私の出身地・茨城県からは大森弓麿、小松崎茂、佐川美代太郎、矢崎…
仲一弥:画「遊女小柴」(「さしゑ」3号、挿美会、昭和31年2月) 「土師清二氏の小説『つばくろ権八』から、一番濃厚な場面を描いた。恋人の白井権八と久々での逢瀬に、遊女小柴はすっかり情熱をたぎらせ、そのあと死んだようになっている。土師さんは名分で…
岩田専太郎:画、吉川英治『鳴門秘帖』(中央公論社、昭和37年) 岩田専太郎:画、吉川英治「鳴門秘帖」(『現代大衆文学全集』中央公論社、昭和37年) 岩田専太郎:画、吉川英治『鳴門秘帖』(中央公論社、昭和37年) 岩田専太郎:画、吉川英治「鳴門秘帖」…
「月報6」(「吉川英治全集」講談社、1966.12)
石井鶴三:画、吉川英治「宮本武蔵」朝日新聞 海音寺潮五郎「蒙古来る」読売新聞 長谷川伸「明治の鼠」読売新聞、(「現代新聞挿絵紙上展」、「さしゑ」第2号、昭和30年8月) 伊勢田邦彦:画、田村泰次郎「春の座席」東京タイムズ、(「現代新聞挿絵紙上展」…
「★賛助会員名簿★」「さしゑ』創刊号、昭和30年 「季刊誌『さしゑ』発刊に当たり、左記各社から賛助会員として絶大なる御援助をいただきましたことを誌上をかりて厚く御礼申し上げます。同人一同、深く責任を痛感すると共に、御期待に添うべく努力致すつもり…
ここに二人の男女が、銀座あたりで逢ったとする。それを絵にする場合、上から見た方がいいか、横からのほうがいいか、夫れとも風景を主にして人物を小さく描くとか、絵としてのねらいをどこに持つていつて、余白をどの程度とつたらいいとか、コンポジション…
宮本幹也「挿絵という名画」(「さしゑ」創刊号、昭和30年) 「自分の小説にはさもあればあれ、正直に言つて小説家は先ず小説を先に読むだろうと思う。ということは必ずしも小説が主で絵が従だと言うことにはならない。だが、率直に言つて、絵から先に見る程…
この「さしゑ」を提供して頂いた濱野政雄さんは5位に選ばれている。昭和40年代には毎週7〜8紙誌の連載を抱えていたというから、その多忙ぶりからくる自意識もかなり過剰だったものと推察されるが、今度お会いしたときに、伺ってみよう。 只今好評発売中の日…
石坂洋次郎「挿絵と作家と」(「現代名作名画全集」月報第一号、六興出版社、昭和29年) 石坂洋次郎「挿絵と作家と」 「 多数の読者を対象とする雑誌や新聞に掲載される小説には、たいてい挿絵が入っているが、こういう場合の挿絵は、刺身に添えたワサビ以上…
良い絵、悪るい絵、上手、下手、時間を掛ける絵、早くできる絵、これ等への報酬が、開きはあろうが、ホンの僅かの差の、ミソもクソも一緒くたの均一扱い、骨折る奴はバカみたいになり、これが良心的な仕事を阻むこと尠なからず、とおもいます。 そんなことに…
清水三重三「挿美会のことなど」(「さしゑ」創刊号、昭和30年) 「挿絵を画く新進が集って「挿美会」を結成し、良き挿絵を作る目的にて、相互の親睦、研究、啓発に資するという。誠に羨ましい事です。更に、挿絵と挿画家の位置を、新しく世衆に認識させよう…
挿美会会員(「さしゑ」創刊号、昭和30年、撮影:野瀬光一) 後ろ左から、 矢田貝寿広、土端一美、加藤敏郎、山田彬弘、濱野政雄 真ん中左から 成瀬一富、下高原健二、平野林作 前列左から、 伊勢田邦彦、上西憲康、岡本爽太、由谷敏明、森下和男この13人の…
伊勢田邦彦:画(「さしゑ」創刊号、昭和30年) 「締切ぎりぎりに近い原稿を渡され、度々編集者を泣かせながら不本意な状態で絵を渡す習慣を身につけたことは恐ろしい。最初この紙上展は全部新作ということであつたが、結果はこの通り新作、旧作が混つてしま…
「さしゑ 1955年・第一号 今日、数多くの雑誌が刊行されていますが、さしえの為の雑誌が一冊も見当たらないということは、我々挿絵画家にとつて実に淋しく張り合いのないことです。それ程に挿絵が無価値であり、論議の外にある性質のものとは考えられません…
「寄稿家名簿」(「さしゑ」創刊号110p、昭和30年4月1日) 有木 勉………(編集者) 有馬稲子………(映画女優) 伊藤文八郎……(編集者) 今村恒美………(画 家) 岩井泰三………(画 家) 磐前半五郎……(評論家) 岩田専太郎……(画 家) 岩田吉夫………(画 家) 宇井無…
◆伊勢田邦彦 ◆濱野政雄 ◆加藤敏郎 ◆土端一美 ◆成瀬一富 ◆上西憲康 ◆岡本爽太 ◆山田彬弘 ◆谷田貝寿広 ◆由谷敏明 ◆下高原健二 ◆平野林作 ◆森下和男 「自選画集1」では、最初に紹介されたのは岩田専太郎の挿絵だ。専太郎は同人ではないが、顧問のような存在だっ…
「さしゑ」創刊号(挿美会、昭和30年4月1日、非売品)、「さしゑ」2号(昭和30年8月20日、定価150円) 「さしゑ」3号(昭和31年2月20日)、「さしゑ」4号(昭和31年6月20日) 「さしゑ」11月号(昭和31年10月1日)、この本だけが月号表示になっており、第二…
これで彼の名声は定まって挿絵界の第一線に飛び出したが、当時の彼の絵は青年らしい覇気に溢れビアズレーに発した形式が迎えられて、各雑誌から引っ張り凧になり、名声は一挙に上った。私は一介の雑誌編集者にすぎないが、彼は新聞雑誌の人気者にのし上がっ…
岩田専太郎:画、一竜斎貞山「音羽屋火事」(「講談雑誌」3月号、1920大正9年) 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災に罹災し、京都に転居、大阪にあった中山太陽堂(現クラブコスメチックス)の経営する広告・出版社プラトン社が雑誌「苦楽」を創刊するこ…