2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

丹下左膳で競演した小田富弥と志村立美が、「日曜報知」(昭和9年)同じ冊子でまたも競演している。偶然なのかよく似た構図で、題材も女性の顔のアップだ。志村立美のサイン(右下)は、鏡文字ではなくなっている。美人画で評判の高い立美に「オレだって女くらいは……」と小田が挑んだのだろうか?

丹下左膳の挿絵といえば小田富弥だろうが、画像右は昭和8年新聞連載の林不忘「丹下左膳」続編の挿絵で知られる挿絵画家のサインだ、がこのサインは初めて目にする。左右対称の上の一文字から大方の推測はできるだが、なぜ鏡文字なのだ。岩田専太郎と並び称される人気挿絵画家・志村立美(1907−1980年)画、大河内翠山「春霞晴の勝負」(「日曜報知」)挿絵のサイン。

イラストレーター、エッセイストなどとして活躍する和田 誠(1936年4月10日 - )さんご本人も忘れているのではないだろうかと思われるほど昔の少年の頃の作品・挿絵4ページ分を「赤とんぼ」(昭和23年2月号)に見つけた。文末に「東京都世田谷区代沢小学校・坪内龍雄指導」とあるので、初等科5年生の時に先生の指導の元に制作し、応募したのだろうか。和田さんは1945年に世田谷区立代沢小学校3年次に転入しているので間違いないと思われるが。さすがにサインはなかった。

野田 九浦(1879-1971年)は1907年、大阪朝日新聞社に入社し夏目漱石の「坑夫」(画像右上)の新聞連載小説挿絵を描いたことで知られている。挿絵画家の名前は記されていないがサイン(右下)から野田の挿絵であることが分かる。「坑夫」は、漱石が切抜きを貼って喜ぶほどの出来栄えだったが、社内の「あまりに高級だ」という非難に屈して連載半ばで挿絵を中断させられ、春仙が描く題字飾りのみに切り替えられるという仕打ちにあっている。いい絵と受ける絵とは必ずしも一致するとは限らないものですね。画像左は『明治大帝』に掲載さ

大平洋画会を創立、帝国美術院会員の満谷 国四郎(1874-1936年)の『明治大帝』に寄稿された挿絵。「M」の「V」の部分に「K」を横向きにした「V」の部分を重ね漢字の「丹」のようにするのが国四郎のサインだが、ここでは更に国構えの略字「口」で囲んでいる。洋画家のサインには工夫を凝らし類似を避けたものが多く、サインを眺め解読しているだけで楽しい。

このサイン何と読むと思いますか? 「さぶろ画」? いや、ブーッ、「現代」(昭和3年)に掲載された柳亭孤舟「川柳漫画」の一コマだが「古(草書体)ぶね画」と読むのだろう。甘味喫茶などでは「しるこ」と書く時に「こ」だけが漢字になっているあれですよ、きっと。それにしてもどうして「孤」を「古(草書体)」と書くのかな?

つい先日、内藤賛の「SUN」というサインを紹介したばかりなのに、昨日、古書市で三田康:画『風船虫』(昭和29年)に同じサインを見つけてしまった。同じサインで何がわるいのか、って? 「ミタ」ではなく「サンタ」になってしまうじゃないですか。

横山隆一や小穴隆一など「R」一字だけのサインを紹介してきたが、またも古書市で北川禮太:画『兄さん』(昭和5年)に「R」のサインを見つけてしまった。このサインが欲しいので、…いや、イラストもモダンで色彩も綺麗なのでつい購入してしまった。

●「粋美挿画」2号、ご購読のお申し込みは下記宛てハガキまたはFAXかメールでお申し込みください。お支払いは、冊子と一緒に郵便振込用紙を同封いたしますので、冊子受けとり後に、お振り込みをお願いいたします。

●A4判40頁(創刊号より8頁増)、全頁カラー、定価1,000円+税50円+郵送料80 円=1,130円。 ●〒157-0068世田谷区宇奈根1-21-6スタジオ・リンクス星様気付 日本出版美術家連盟事務局販売部 fax:03-3749-8669 mail: suibisouga@jpal-art.com mail: md9s-oonk@asa…

「粋美挿画」2号の特集で紹介した挿絵画家・濱野彰親さんの展覧会が、来年1月〜3月まで彌生美術館で開催されることになった。濱野さんは、山崎豊子「大地の子」、松本清張「迷走地図」、森村誠一「棟居刑事シリーズ」など数々の話題作の挿絵を描き、今も日本出版美術家連盟会長を勤める86歳現役の挿絵画家だ。彌生美術館での現役の挿絵画家の展覧会は珍しく、現代挿絵画家の第一人者の証であろう。画像は「棟居刑事の情熱」。

濱野彰親:画、森村誠一「棟居刑事の情熱」 濱野彰親氏近影(2011.2.2、大貫伸樹撮影) 「粋美挿画」2号表紙。

『明治大帝』という840ページもある大部の本が「キング」(昭和2年11月号)の付録にある。この本には100点程の挿絵が挿入されており、ほとんどがそれぞれ別々の挿絵画家によって描かれている。サインの収集が一挙に増えるがスキャンは大変だ。最初に登場したのは小室翠雲:画「二重橋」。高名な日本画家なのだろうが挿絵としては微妙?

アルファベット、イニシャル、漢字、平仮名、落款風などたくさんのサインの種類を使い分ける画家はまだ普通だが、アルファベットのサインでこんなにもイメージの異なるサインを使う画家は珍しい内藤賛のサイン。点になっている右のサインは、小さくて線が細く薄いのでアミ点になってしまったで、このように書いたのではない。

モダンな挿絵画家として紹介した佐野繁次郎だが、髷物(時代小説)の挿絵を「文学時代」(昭和6年)に見つけた。さすがにこの時のサインはあの「S.sano」ではなく、繁次郎のモダンなイメージからはほど遠い筆文字のごっつい漢字のサインだった。

「赤い鳥」の表紙絵といえば全196冊のうち163冊を描いた兎のサインの清水良雄を思い起こすが、残り33冊のうち12枚は深澤省三(1899-1992年)によって描かれた。画像は深澤省三:画「赤い鳥」(昭和10年)廃刊になる1年程前に刊行されたもので、清水の描く写実風の絵とは違って省略され洗練された形とシンプルな色彩とで省三独自の画風を醸し出しているように、サインも単純明快だ。

挿絵にサインを残さない画家として紹介した三岸節子(1905-1999年)のサイン付き挿絵を「婦人之友」(1939〈昭和14〉年)に見つけた。1934年、夫・三岸好太郎が3人の子供を残して急逝し、菅野圭助との再スタートを始めた頃の作品で、描かれている女性の顔もどことなく明るく見える。

サインは一寸読みにくいがこの挿絵は一目で誰の絵なのか分かった。それにしてもいいよね、この挿絵。名前の活字表記はないがサインから推察するに、山六郎に間違いない。

「文学時代」(昭和6年)に掲載されていたこの挿絵は好きな画風なので、もしかして……と思ったが、このサインは読めない。見たこともない。そう思ってサインの解読をあきらめていたが、12ページにわたる文章の最後に「挿画 山名文夫」とあった。やっぱり、思ったとおりだ!

560人を超えた挿絵画家のサイン集めもここまで来ると新しいサインを見つけるのは難しく、既に集めた画家のサインのバリエーションを探すことが多くなってきた。そんな中「文学時代」(昭和6年)に、ドイツ出身の20世紀最大の諷刺画家・グロッス(画像右)を思い起こさせる福田新生(1905-1988年)の挿絵(画像左)を見つけた。

表紙絵のモダンさに魅かれて購入した「文学時代」(画像左)だが、どこにも画家名が記されていない。よく見ると右辺中央辺りに「S.Sano」というサインがあった。「さの」といえば佐野繁次郎しか思い浮かばないので早速佐野のサインを調べてみると画像右下のようなサインをよく使っているので、これは佐野繁次郎の作品に間違いないと断言する。こうやって画家名の分からない作品のサインを解読し作家を特定するのが、このサイン集めの最大の醍醐味だ。

東大農場内にある博物館には、まだ動力のない耕運機などがたくさん展示してあり、昔の機械のフォルムの美しさに感動! 窓の外に広がる風景も私が生まれた頃の田舎にタイムスリップして描いた一服の絵を思わせるようにのんびりとしてのどかで美しく、まさに心の洗濯をしているかのような満たされた気分にさせられた。

東大農場内には至るところにたくさんの花が咲き乱れ、春の到来を体中で感じながらぼんやりと見とれているだけでも笑みがこぼれてきそうで、草木のつぶやきが聞こえてきた、そんな錯覚に陥りそうになる。

家から徒歩10分ほどのところにある東大農場(正式名称:東京大学大学院農学生命科学研究科附属農場)・演習林は22ヘクタール(東京ドームの約5個分に相当する)の広大な土地に畑や森が広がっている。今日はここを散歩してきた。

ここには明治時代に中国から日本に始めて移植された生きた化石・メタセコイア100本の内の一本がある(写真左)。この樹に東京大学科学の森里親・野中冨雄という看板がたてられており、偶然にもこの元某大学教授・野中さん本人に出会うことができ、農場内に昔…

アルファベット一文字の様に単純なサインの場合はよく似たサインがあるが、偶然なのか意図して真似たのか、複雑な形態のサインでもよく似たサインがある。画像は世良田勝:画「ムカシカラノトケイイロイロ」(「キンダーブック」昭和7年)。サイン左が世良田、右は太田三郎。

「赤い鳥」の表紙絵で知られる写実的な童画家・清水良雄(1891-1954年)のサインを眺めながら、どこにイニシャルが隠されているのだろうとさんざん考えたが遂に文字らしいものを発見できなかった。それもそのはず「清水良雄のサインは左向きにうずくまった一匹の兔の略画で、これは彼の生年が卯歳であったからだという」(上笙一郎「挿絵画家のサイン」)と、兎年生まれだから兎をサインにしたという。

初山滋の作品といえば人目でそれと分かるが、サインは難解だ。毎回違うサインを記すので、それと知らない人は戸惑うに違いない。そんなサインについて初山自身が「コドモノクニ」第14巻第5号に「サインの弁」と題して解説をしている。下の真ん中のサインには「とんとん思ふやうに絵がかけて、這入るものがはいつて、やたらに御満足な時、私は……逆立ちをしてよろこびます。」とのコメントが。

武井武雄の「RRR」のサインはよく知られているが、イニシャルでもないこのサインはどこから出てきたのか? その答えは武井自身が刊本作品55番目「ラムラム王」の「あとがき」に明かしている。「私はこの話を書いた時から昭和十三年までの間RRRというサインで絵を描いたが、それはRoi Ram Ramから出たラムラム王の紋章を襲用したのがその始まりである。この人物の生まれ変わりが、もし自分だとすれば盗用にはならないと考えたからである。」と。

軍用犬などとして働く犬の話多い「イヌノオハナシ」(「キンダーブック」昭和14年)の中では、ちょっとほっとする絵。寺内萬次郎:画「やさしいおかあさん」。

寺内萬次郎:画「やさしいおかあさん」(「キンダーブック」昭和14年)

時代が時代なので軍用犬の活躍ぶりの紹介が多いが「イヌノオハナシ」(「キンダーブック」昭和14年)には、たくさんの犬が紹介されている。それだけではない、見開き(2P)ごとに挿絵画家が異なり11人の挿絵画家が携わっている。画像は満州事変で活躍した犬を讃える飯森貞吉:画「金剛と那智」。

飯森貞吉:画「金剛と那智」(「キンダーブック」昭和14年)

軍用犬の働きを紹介している「キンダーブック」(昭和14年)は判型が大きくA4のスキャナーでスキャンするには4回に分けて複写し画像データー作製しなければならないので、かなり面倒。それでも挿絵画家一人発見した嬉しさがこの面倒な作業に立ち向かう気力を奮い起こさせる。今回の挿絵画家は、畠野圭右(明治31(1898)年1月17日〜)。

畠野圭右:画、「キンダーブック」(昭和14年)

先日、「TERU」を解明できないサインとして紹介してから「てる」とつく名前がどうしても気になっている。昨日購入した「キンダーブック」(昭和14年)に柿原輝行をみつけもしかして、と色めき立った。サインは何種類も持っている画家が多いので同じサインではなくとも画風さえにていれば…。この時代に名前に「てる」とつく挿絵画家は他には見当たらないという状況証拠だけでの判断だが間違いないと思うのだが、うーん、まるで画風が違うか。

柿原輝行:画、「キンダーブック」(昭和14年) 「婦人画報」(昭和2年)に掲載されていた「TERU」のサインがある挿絵