2008-07-07から1日間の記事一覧

評判を落としたといわれる伊藤彦造のメッセージ付きの落款(サイン)とはこれだ!

前回、挿絵のサインに「剣をもって一家をなす彦造画」などと書き入れたのをはじめ数々の奇矯な振舞いをするようになり、それがために一時ジャーナリズムから敬遠されていたが、昭和12年、吉川英治「天兵童子」の挿絵に伊藤新樹の名で再び返り咲いた。 と書い…

「修羅八荒」の誕生について彦造は「社長じきじきに、『学芸部補にするから入社して、ライバルのなにがし新聞を切りくずしてほしい』と頼んで来ました。そこで入社して、どうやったらライバル紙を打ち負かすことができるか考えたすえ……主人公は剣客で、面長のいい男、女にはほれられるがこっちからはほれない。女のほうはつぶし島田で二つ折れの編笠。三味線かかえた鳥追い姿、これにグロテスクなまでの殺陣を組こんでみようというんです。しかし、わたしは小説を書くことができません。だから、誰か自分のイメージを生かしてくれる作家を見込んで

「ある日、道頓堀を歩いていたら、東京での新聞記者兼給仕時代に親しかった沢田正二郎とひょっこり出会って、『大阪で認められたから、ぜひ舞台を見てくれ』と誘うんです。演っていたのが月形半平太で、見ているうちに、この芝居の作者ならわたしのイメージ…

伊藤彦造(いとう ひこぞう、1903年-2004年9月9日)大分県大分市出身。剣豪、伊藤一刀斉の末裔に生まれ、自らも剣の師範。彦造の父は、中里介山が『大菩薩峠』を書くにさいして、一刀流の極意を教え、それが机龍之介の剣になった。東京朝日新聞の給仕となり勤務中に同社の専属挿絵画家右田年英に風俗画(イラスト)を学び、京都大学で関保之助に有職故実を学ぶ。結核を患い、京都に帰省して両用し、その間に画家を目指し日本画家の橋本関雪に師事する。

挿絵:右田年英 挿絵:橋本関雪。関雪は1904〈明治37〉年、日露戦争開戦とともに、洋画家・山本芳翠、北蓮蔵、石川欽一郎、日本画家・村田丹蔵、寺崎広業、久保田金遷などと従軍画家として参戦、『ほかに「戦時画報」からは、小杉未醒が派遣され従軍した。 …