2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

名取春仙:画、夏目漱石「三四郎」の装画・挿画…4

『デモ画集』に掲載されている名取春仙:画、夏目漱石「三四郎」26点の挿絵を3回に分けてブログで紹介しようと思ったが、いろいろなところから少しずつ探し集めたら、50点も集まってしまい、4回でも掲載できなくなり、結局5回に分けてアップする事になりそう…

三四郎の挿絵に関して紅野敏郎は「文中の主要な絵と、それに関連する作者の文とがうまく配置されていて、小説全体と挿絵の、ただならぬ関係深さにあらためて驚かされる。……『三四郎』の、〈所へ広田先生がフロックコートで天長節の式から代えって着た〉(4-14)という文に呼応して、髭のある広田先生の、すらりとした姿と、天長節の国旗、菊の花等を配し、〈広田先生〉とのみ書き込んでいるところや、三四郎と美禰子の、〈『安心して夢を見てゐる様な空模様だ』『動く様で、なかなか動きませんね』と美禰子は又遠くの雲を眺め出した〉(5-8

と評している。 名取春仙:画、夏目漱石「三四郎」4-14(東京朝日新聞、明治41年10月13日) 名取春仙:画、夏目漱石「三四郎」5-8(東京朝日新聞、明治41年10月24日) 名取春仙:画、夏目漱石「三四郎」6-1(東京朝日新聞、明治41年10月24日) 名取春仙:画…

名取春仙:画、夏目漱石「三四郎」の装画・挿画…2

名取春仙:画、夏目漱石「三四郎」3-8(名取春仙『デモ画集』如山堂書店、明治43年) 名取春仙:画、夏目漱石「三四郎」3-9(名取春仙『デモ画集』如山堂書店、明治43年) 名取春仙:画、夏目漱石「三四郎」3-10(名取春仙『デモ画集』如山堂書店、明治43年…

名取春仙『デモ画集』(如山堂書店、明治43年)に掲載されている夏目漱石「三四郎」の装画・挿画をスキャンした。明治41年9月1日〜12月29日まで117回、新聞発表時には110点あったが、春仙が選んだ26点だけが掲載されている。何とか全点復元しようと思っているが、昨日掲載したように新聞復刻版では、大半の挿絵がノドで分割されている。ノドの部分はスキャンもしずらく、復刻版からの収集はあきらめざるを得ない。ここでは、『デモ画集』に掲載された「三四郎」の挿絵全26点を3回にわけて転載することにした。不足の部分は『名

「春」「仙(川)」のほか「奈」は名取の「な」だろうか、落款がまだ決まっていないようで、試作でもしているかのように、次々に代えているのを見ることが出来るのが面白い。 名取春仙:画、夏目漱石「三四郎」1-1 1-1の左下に署名されている春仙の落款 名取…

昨朝10時にアマゾンに注文した、夏目金之助・著、山下浩・監修『漱石新聞小説復刻全集 三四郎』(ゆまに書房、平成11年)A4判244p、布装上製本カバー付定価8,424円(本体7,800円)が、今朝9時に届いた。送料無料でこの早さは、あの「早くて♪ 安くて♪ うんまいの〜♪」の、キンニクマンが唄う牛丼一筋の「吉野家」の歌にも似て嬉しくなる。最近は豚丼もやっているけど。

夏目金之助・著、山下浩・監修『漱石新聞小説復刻全集 三四郎』(ゆまに書房、平成11年) 漱石本の装丁については、日本近代文学館が編集刊行した『名著復活漱石文学館』(全23点、25冊)で、漱石の作品集、著作集の全てを初版のままの形で手に取って造本な…

名取春仙:挿絵、森田草平「煤煙」は明治42年、東京朝日新聞に127回にわたって連載され大変な評判を呼び、新聞小説挿絵に新しいスタイルを導入したと、高い評価を得て、春仙挿絵の代表作といわれている。

東京朝日新聞、朝日文芸欄に連載された森田草平「煤煙」第1回 名取春仙:挿絵、森田草平「煤煙」(東京朝日新聞、明治42年)「犬の耳を切っては樽へ入れて鹽[*塩]漬けにしているのを見た。それだけは明々と覚えているが、如何してこんな夢を見たのか解らな…

(1月3日の続き)「一寸、奇異な印象としては、新潮社から出した久保田万太郎の短編集の中で、鴛鴦に薄氷ナドを配した圖を作りましたら著者から鳥類が絶對に嫌ひだとの事で、箱庭に用ひる玩具の堂宮や、樹木、旅人、瀧、などを散らした模様を更紗の如くにした、下町のセンチな思ひ出の意匠に改めて喜んで貰った様な記憶もありました。書肆の名の記憶では、大倉廣文堂、今津如山堂、金尾文淵堂、堀野文禄堂、春陽堂、博文館、精美堂(共同印刷前身)新潮社、星文堂、小川誠文堂、三省堂、冨山房、有楽社等で比較するに現存の店よりは概して失った店

名取春仙:装丁、田山花袋『通盛の妻』(金星堂、大正8年) 文中に「田山花袋氏『平通盛』(京文堂?)等でせう」とあるのは田山花袋『通盛の妻』(金星堂、大正8年)の事ではないだろうか。 また「新潮社から出した久保田万太郎の短編集の中で……箱庭に用ひ…

新宿花園神社に初詣でに行ったら長い行列になっていたので直ぐにあきらめ、近所の神社に行くことにした。かつて剣道をやっていた頃は、早朝稽古の後、胴着のままで伏見稲荷まで行ったが、その行列は、境内をはみ出し青梅街道を300m?くらいは並んでいた。

もう一つ、近くにある田無神社のお参りした時も長い参道をバタジャガを頬張りながらやっとの思いでお参りをした。みんななぜ何時間も並んで大きな神社にさい銭を上げてくるのだろうか? 大きな神社に行けば、大きな願いが叶うのか? と最近疑問を感じるよう…

名取春仙の装丁について春仙自身が、随筆を残しているので転載させていただこう。

「装釘の思い出 名取春仙 始(*まま)めて単行本四六判の装幀をしました処女作の記憶として、廣文堂大倉氏創業当時訳三十年前『一家の営』と題した、確か浮田和民博士か何かのものと覚えます。『人格と品位』というのも其頃と覚えますが、当時としては相当モ…

名取春仙の装丁といっても、何か具体的に思い当たる作品は浮かばない。挿絵では著名な作品を沢山担当したが装丁ではそんな出会いに恵まれなかったようだ。春仙の挿絵の代表作品といわれる森田草平『煤煙』(飛鳥書店、昭和22年)が復刻された時には、既に他界しており装丁のチャンスはなかったようで中川一政が担当している。この復刻版に森田草平「あとがき」があり「故名取春遷君の挿画を二十枚ほど転載させて貰うことにした。…1947年6月10日 森田草平」とあるが、Wikipediaの春仙の生没年は「1886年(明治19年)2月7

中川一政:装画、森田草平『煤煙』(飛鳥書店、昭和22年)『名取春仙』(櫛形町立春仙美術館、平成14年)にも、74歳の時「1960(昭和35)年3月30日午前7時、妻繁子とともに高徳寺境内名取家墓前で服毒自殺」とあり、このことは昭和35年3月30日の夕刊で報じら…

謹んで新春のご祝詞を申し上げます。

旧年中は、皆様のおかげで100萬ページビューを突破することが出来ましたことを心から感謝いたしております。 本年も倍旧のご支援をよろしくお願い申し上げます。 大貫 伸樹 2012年 元旦