2005-06-01から1ヶ月間の記事一覧

大貫伸樹の続装丁探索(恩地孝四郎)8

恩地にとっての、夢二と和田の違いをこう考えることは出来ないであろうか。和田の作品は一品制作である。夢二の作品は複製物である。自然主義的絵画と対象抒情的挿絵という表現スタイルの違いだけでなく、一品しかない芸術作品とオリジナルが初めから複数存…

それでも版画に執着するのはなぜ

答えを出すのは難しいが、勝手な推測をするのは、楽しい。出来ることなら、3人が、抽象版画を始めた頃と同じ気持ちを味わって見たい、なんて考えて、最近は「月映」を手がける少し前の3人に興味を持ち出した。美術学校のアカデミズムに反発し脱出を試みた頃…

版画に対する批判的なメッセージ

恩地達が版画に興味を持ち始めた頃に、大阪朝日の日曜付録に版画号を特集し、そこには、齋藤与里が「木版画の価値は趣味一点張りだ。其れ以外に何もない。──趣味性は誰の心にもある。従って安価なものである。──自画自刻をやる人は──自分の絵に自身がない結…

大貫伸樹の続装丁探索(恩地孝四郎)7

『恭吉は叙情的象徴画、藤森は人生的象徴画、恩地は表現画風であった。その純抽象画、非対象画は、日本人の抽象画の印行の最初であるといわれている。」(恩地孝四郎『日本の現代版画』(創元社、1953年)と、恩地自身が言っているように、日本で最初に抽象…

恩地を抽象に走らせたのはこの絵にちがいない 

書影は「美術新報」に掲載されたモノクロームのカンディンスキー筆「構図」の写真。おそらく恩地はこの絵に触発されたもの、と推察する。 装丁探索を読んでみたい方は、http://blog.melma.com/00140644/へアクセスしてください。三六判、フランス装などの話…

見方によっては、でたらめとも思えるような絵画に

いち早く飛びついて、この表現技法を身に付けようと思った事が、恩地の感性の鋭さなのだろう。 事実、大正12年23歳の時にパリへ行った坂田一男の場合は「パリに来てみると、驚くほどの芸術に接するでもなく、意外な土地であり、美術の三分の二は駄作であり、…

大貫伸樹の続装丁探索7

ムンクは、それでも84歳まで長生きしたようで、一寸ほっとしました。ムンクの話はいずれすることにして、恩地孝四郎の話に戻ろう。 今から26年も前に、今私が疑問に思っているのと同じことを考え、深く考察してくれている有難い本、瀬木慎一『現代美術のパイ…

大貫伸樹の続装丁探索6

雪未知さん、コメントをありがとう。田中恭吉のHPを制作進行中とか。拝見できるのを楽しみにしております。私も恩地の話と並行して、恭吉にも興味をもって、最近少しずつ本を読んだり、絵画の資料を集めたりしながら調べ始めました。 まず手始めに、恩地にも…

大貫伸樹の続装丁探索5

アールヌーボーの日本への伝達経路については、黒田清輝や夏目漱石説が一般的だが、西野嘉章『裝釘考』には、私にとっては新たな説となる長尾健吉説が表れた。 明治30年代に爆発的に流行するアールヌーボー様式。この様式を普及させたのは、明治34年10月、上…

大貫伸樹の続装丁探索4

恩地の幸運はもう一つある。多くの美術運動に出あったことだけではなく、アールヌーボー様式の影響をあまり受けていないということである。恩地が美術学校に進む頃には、アールヌーボーの全盛期は過ぎ去っていた。明治34(1901)年の第6會白馬会展が、アール…

なお、「紙魚の手帳」33号は7月10日発売です。

神田神保町すずらん通りの東京堂、書肆アクセスにて発売されます。 有島生馬が「美術新報」で恩地に献辞をささげたのが、たしか大正4年4月だったとおもうが、この頃の有島生馬は、大正3年に文展を批判して二科会を創設する中心的メンバーであった。いわば日…

運命というものを考えてしまった。

もちろん恩地の才能もあっただろうが、新しい美術の流れや、初めて体験する木版画のことなど、さまざまな新しい大きな事が次々に目前に表れてきて、ことごとく体験し身に付けていく。生活は苦しいといいながらも、恩地にとっては、ある意味で恵まれた時代だ…

「ムンクの影響を受けた」

といっているのは、大正2年4月の白樺主宰の第6回美術展を指しているのではないだろうか。 「第6回展にはムンクの銅版画が、8点並べられ、ロートレックの石版画、ゴッホ、ゴーガン、セザンヌ、マティス、ピカソ、ルドンなどの複製画、ロダンの彫刻、それに与…

大貫伸樹の続装丁探索3

以前の装丁探索を読んでみたい方は、http://blog.melma.com/00140644/へアクセスしてください。 紙魚の手帳の原稿締め切りが6月10日に迫ってきたので、昨夜は朝4時まで、入稿データー作りをやってしまった。いつも入稿は、完全印刷データーで渡すため、自分…

大貫伸樹の続装丁探索-2

3つ目のデーターは、「美術新報」(通巻百五拾九号、大正5年4月)「雑報」で、 「■日本美術協會の成立 齋藤五百枝、齋藤與里、川上凉花、川村信男、恩地孝四郎、藤井達吉、其他諸氏の發起に係る同會は美術家同志の自治圈にして美術に關する諸種の研究をなし…

恩地孝四郎の装丁-1

私から依頼したわけではないけれど、八木書店の恋塚さんから「DVD版美術新報」で「恩地孝四郎」を検索し、その結果を送ってくれた。八木社長の心遣いであろう。それにしても300冊にも及ぶ冊子から、簡単に検索をかけることが出来るとは、驚きである。図書館…

大貫伸樹の続装丁探索1

本日から「大貫伸樹の装丁探索」を書き始めます。他のブログで書いておりました2つのシリーズのうち『紙魚の手帳執筆奮戦記」だけが、引っ越してきてしまいました。内容は旧住所で書いていたものの続きです。以前の日記を読んでみたい方は、http://blog.melm…