2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

『現代詩大事典』(三省堂、2008年、12,000円+税)、編集長慰労会を開催。

編集長・飛鳥勝幸さんのライフワークとも云うべき三部作『現代短歌大事典』『現代俳句大事典』そして今回の『現代詩大事典』が完結した。 出版記念パーティというのは、普通、出版社企画で行われるものだと思っていましたが、今回は編集委員の一人である、和…

オブジェも久しぶりに完成しました。昔懐かしいトンボとりです。

昔は網を使わずに、人さし指の先をトンボの目玉を指しながらくるくる回す。するとたいがいのトンボは吸い込まれるようにして指先に止まる。指先に止まったトンボの足をそっと親指で押さえて、捕まえたものです。子供の前でやると、「魔法使いみたい!」と、…

おまたせしました、マッチ箱サイズの豆本完成!

長い間お待たせしておりました、限定30部、マッチ箱サイズ手製豆本『消しゴム版画蔵書票天の巻』がやっと完成しました。もう3年も前にご注文をいただきましたので、ご注文した人も忘れているのではないかと心配です。大変申し訳ありませんでした。 とりあえ…

華宵に代わる実力派新人挿絵家誕生!

『神州天馬侠』の挿絵を描くことになった時の様子を、山口将吉郎みずからが月報に下記のように書いている。 「関東大震災のあった大正十二年の翌年の秋頃だったと思う。当時住んでいた谷中三崎町の陋屋に突然来られた二人の客があった。どちらも初対面だった…

挿絵に興味を持っているが、古い新聞小説はなかなか実物を手に入れることが出来ない。何とか手に入れようと、全集などを購入しても、新聞連載された時の挿絵は掲載されないことが多い。小田富彌が描いた『丹下左膳』(『新版大岡政談』)がそうであるように。

『神州天馬侠』は、雑誌に連載されたものであり、全集も雑誌もいずれも講談社が刊行しているため、かろうじて最初の挿絵が全集にも掲載されている貴重な全集だ。おまけに古書価500円と安いのも嬉しい。 『吉川英治全集別巻1 神州天馬侠』(講談社、昭和40年…

朝から、ネットで注文した本が続々とどいた。こんな日は本業が手に付かなくなる。今日の目玉は何といっても挿絵:山口将吉郎、吉川英治『神州天馬侠 前編』(大日本雄弁会講談社、昭和6年)だ。

表紙絵:太田義一、吉川英治『神州天馬侠 前編』(大日本雄弁会講談社、昭和6年) 挿絵:山口将吉郎、吉川英治『神州天馬侠 前編』(大日本雄弁会講談社、昭和6年) この迫力は、いかがですか。将吉郎が描く、こんな見開きの挿絵がたくさん入っている。ほれ…

華宵事件が、結果的には大衆小説の挿絵を導きだし、挿絵の一つのジャンルを確立し成就させる遠因になった。まさに「災い転じて福となす」だ。

その後、昭和12(1937)年には、華宵と講談社は和解し、久々に華宵は『少年倶楽部』に復活した。翌年には赤川武助「源吾旅日記」(『少年倶楽部』昭和12年)が一年間連載され、その挿絵を担当した。『幼年倶楽部』にも挿絵を描き始め、互いのわだかまりも消…

一方、華宵がいなくなり発行部数が落ちてしまった『少年倶楽部』の編集長加藤謙一は、華宵と親しかった野間清治社長に相談したが「一人のスターに頼っているから、こんなばかげたことになるんだ。雑誌は挿絵で売るんではない。活字で売るんだ。」(『少年倶楽部時代』)と一括される。『少年倶楽部』はこの時から、読み物に重点を置く編集方針に変更し、新しい才能の発掘に東奔西走した。その結果児童出版史上に残る『少年倶楽部黄金時代」を築き上げる。

吉川英治「神州天馬侠」、挿絵:山口将吉郎 高垣眸「龍神丸」 佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」「紅顔美談」「少年讃歌」「一直線」 山中峯太郎「的中横断三百里」 などが連載され、読み物中心の内容本位の構成になり、次第に落ち込みは回復し、ついには昔日…

実業之日本社『日本少年』に移った華宵は、大正14年新年号の表紙絵を描き、さらに後年の国文学者池田亀鑑(芙蓉)「馬賊の唄」の挿絵を担当。『婦人世界』には「文芸名作絵画」、『少女画報』には福田正夫『華麗の鞭』『破れ胡蝶」、『主婦の友』に「九条武子夫人・無優華の聖女」と「吉屋信子「一つの貞操」「暴風雨の薔薇」、朝日新聞には三宅やす子「奔流」、時事新報には「晴夜」などなど、関東大震災で打撃を受けた出版社が活気を取り戻す中、人気挿絵画家の争奪戦がくりひろげられ、華宵は多忙を極める。

挿絵:高畠華宵『馬賊の唄』(『日本少年』実業の日本社、大正14年)、『名作挿絵全集3』より転載。

イラストレーションの力を見せつける話は、今回の『人間失格』が初めてというわけではない。話の内容は全く異なるが、1924(大正13)年に勃発したいわゆる「高畠華宵事件」にも、メディアを揺るがすほどのさし絵の力の大きさを見ることが出来る。

大正2(1913)年、華宵は知人を介して講談社に縁ができ、『講談倶楽部』に挿絵を描くようになる。翌大正3年には『少年倶楽部』にも描き始める。加藤謙一が編集長になった大正10年ころからは描く本数もふえ、話題作の「竹松の竹馬」などもてがけるようになる…

今年の6月に、太宰治『人間失格』(集英社文庫、2008年)のジャケット(カバー)を、小畑健氏が描いたイラストに掛け替え新装改訂版を出したとたん、なんと、わずか1ヶ月半で古典的な名作としては異例の7万5千部を売り上げる大ヒット作品に変身してしまった。ジャケットに魅かれて買ってしまう、いわゆるジャケ買いをさせる小畑健の挿絵には「ハーメルンの笛吹き男(The Pied Piper of Hamelin)」が吹き鳴らす笛の音のような魔力が秘められているに違いない。

集英社文庫版『人間失格』は、1990年に初版が出版され、これまで40万部を超えるベストセラーだという。単純計算すると毎年平均2万2千部が増刷されていることになる。わずか1ヶ月半で、それまでの年間平均発行部数の約3倍も売り上げたのだから驚異的と言わざ…

さらにもう1冊、『修養全集 日本の誇り』(大日本雄弁会、昭和4年)。四六判背革上製本、函入り、総ページ数806Pという大部の本だ。魅力はその厚みではなく、たくさんの挿絵が挿入されており、24名の挿絵画家達が、腕を競っていることだ。

挿絵:飛田周山 挿絵:尾竹国観 挿絵は書き下ろしではなく、雑誌に一度掲載したものを再利用していると思われるが、嶺田弘、中沢弘光、斉藤五百枝、井川洗崖、小寺謙吉、吉邨二郎、樺島勝一、尾竹国観などなど、カットといえどもそうそうたるメンバーが描い…

最近は古書市でもあまり見かけなくなった、戦後まもなく発行された仙花紙を使った本だ。装画:山口将吉郎(1896. 3.30[明治29)〜1972. 9.12[昭和47])、白井喬二『源平盛衰記』(大日書房、昭和25年)3巻。状態はあまり良くないがやはり200円ということで購入してしまった。翌日曜日にはすべて100円均一セールになったらしい。

ジャケット=山口将吉郎:装画「平基盛」、白井喬二『源平盛衰記 清盛の巻』(大日書房、昭和25年)、将吉郎54歳の時の作品。『少年倶楽部』から高畠華宵が去ってしまい、その後釜として将吉郎など多くの画家が迎えられ、将吉郎はこの時の『神州天馬侠』(講…

他にはこんな本が

ここ何年間も集めている高橋忠弥の装丁本で、今東光『こつまなんきん』(講談社、昭和35年)。忠弥本の架蔵書が60〜70冊くらいあると思いますが、こうなると、自分が持っている本なのか、どこかでみたことがある本なのか、欲しいと思っている本なのかわから…

もう1冊、これも私にとっては大きな掘り出し物だ。鎌田弥壽治、伊東亮次『天然色冩眞術』(太陽堂書店、昭和4年)、装丁は東京高等工芸学校(千葉大学工学部の前身)教授・宮下孝雄。

幾何学形態を黒箔と金箔のはく押しだけで表現した装丁だが、知恵の輪のように複雑にからんだ文様は、あえて対称形を避けており、図形へのこだわりが伺え、インパクトも訴求力も備えた見事な出来栄えとなっている。幾何学的形態や抽象的な絵は、理工系の本な…

あの伊達得夫の出版社・書誌ユリイカ本、矢代静一『壁画』(書誌ユリイカ、1955(昭和30)年)を200円均一本の中から見つけた。この本は第一回(1955年)岸田國士戯曲賞・佳作でもある。巻末には「限定500部刊行のうち本冊は第250番本に当たる」とあり、万年筆で書いた矢代静一の直筆サインが入っている。

矢代静一は 『写楽考』(河出書房新社、1972年、翌1972年読売文学賞受賞)、『淫乱斎英泉』(河出書房、1975(昭50)年)などで知られる。 背の布が半分ほど虫に喰われてしまったのか劣化したのか、芯ボール紙がむき出しになっているが、この本は、たとえ価格…

水木しげるが描くとこうなる『丹下左膳』

これまでいろいろな画家・イラストレータ・漫画家が描いた左膳をみてきたが、水木しげるが描くと、どことなくお化けが出てきそうな背景に水木の確かな特徴と存在感を感じる。植え込みの陰から半分顔を出しているところなどはどことなくユーモラスで、漫画家…

仕事の報告です。「判例タイムズ」「印刷雑誌」2誌の表紙絵を任されて6ヶ月。何とか無難に続けています。

装丁は本業ですが、自ら描いた絵を雑誌の表紙にデザインするのは、初めてでした。はや6ヶ月が過ぎましたが、大きなトラブルもなく何とか続いています。 イラスト作成から撮影、レイアウトまで一人でやってしまうこんなスタイルこそが、私が昔からず〜っとや…

「笑いの王国」でも『丹下左膳』

菊田一夫「われらが丹下左膳」プログラム 「笑いの王国」とは、御園京平『活辨時代』(岩波書店、1990年)によると、 「洋画説明者がトーキーによって職を失い、とまどっているときに、浅草で人気絶頂のエノケンに対抗して旗揚げしたもの。昭和七年に無声、…

上野樹里が輝いてね?

昨夜の長澤まさみ、上野樹里の「ラスト・フレンズ」で、錦戸亮が長澤まさみに暴力をふるうシーンは、今回掲載した左膳のDVシーンを彷彿させますね。丹下左膳のサディスティックぶりもかなり強烈で、活字で読んでもサドぶりが強烈に伝わってきます。 それにし…

林不忘『丹下左膳(一)』(光文社時代小説文庫、2004年)を入手

林不忘『丹下左膳(一)』(光文社時代小説文庫、2004年)、挿絵:志村立美、装丁:盛川和洋 なぜ表紙にこの気抜けしたような左膳の絵を選んだのか、「ガッカリだよ〜!」(桜塚やっ君風に)オカマ座りのような左膳を描いたのは志村立美。美人画で知られる志…

『丹下左膳』の誕生

大正15年7月から始まる「苦楽」への連載、林不忘「釘抜藤吉捕物覚書」、大正15年12月、「中央公論」に連載した谷譲次「もだん・でかめろん」、昭和2年「めりけんじゃっぷ」が、昭和2年7月「新青年」にはシリーズ「めりけんじゃっぷ商売往来」の連載が始まる…

『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』など優しさあふれる手塚漫画と殺人鬼『丹下左膳』は、どう考えても結びつかないように思えるが、あるんです、手塚治虫が描いた『丹下左膳』が。

手塚 治虫(てづか おさむ)初期のみおさむしと読ませた。本名:手塚 治、1928〈昭和3〉年11月3日 - 1989〈平成元〉年2月9日。漫画の神様とも呼ばれている。 『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ど…

「エドワーズ」のノベルティーグッズや「ビッグコミック」表紙などを手がけた1960年代の人気イラストレータ。意欲的に制作を続ける中、42歳という若さで急逝したPERO(ペロ)こと伊坂芳太良(いさかよしたろう1928-1970)。そんな伊坂芳太良も林不忘『完本丹下左膳』(立風書房、1970年)の装丁、口絵を手がけている。

さいとう・たかおも伊坂芳太良も黒襟白紋付きのはずの着物が「南無妙法蓮華経」という経文の書かれた着物を着ている。これは映画の資料を参考にして描いたのではないかと思われる。DVDの大河内傳次郎主演、マキノ雅弘監督『続丹下左膳』では背中に「南無妙法…

1968年10月に連載開始し、連載40年を越え現在も連載中の長寿漫画「ゴルゴ13」で知られる、さいとう・たかおが林不忘『丹下左膳』(番長書房、昭和51〈1976〉年)のカラー口絵を3枚描いている。

さいとう・たかおは、貸本漫画時代に劇画という分野を確立したり、さいとう・プロダクションを設立し、分業体制により作品を制作するという方法を確立するなど、名実ともに劇画界の第一人者。構図といい、人物の動きといいさすがにリアリティあふれる見事な…

「丹下左膳」が掲載されていた昭和9年8月25日夕刊「名古屋新聞」を入手した

前にも見たように、「丹下左膳」は昭和2年10月から3年5月まで197回にわたり大阪毎日新聞・東京日日新聞に林不忘(長谷川海太郎)「新版大岡政談」として連載された。題名からもわかるように、当初は脇役として登場していた丹下左膳だが、執筆者さえ予想もし…

前回は挿絵家の失敗を指摘しましたが、執筆者である林不忘にも失敗はあったようです。

林不忘自身が、もう一つのペンネームで書いた『消印は語る』(「大阪毎日」昭和6年3月)には、『丹下左膳』出の失敗談が 「えゝいつ! おうつ! 焦立った左膳、喚くより早く諸手突き─。」 えらいことになってしまった。が、僕は気がつかない─気がつけばそん…

『丹下左膳』は、初めは昭和2(1927)年10月15日、東京日日新聞に『新版大岡政談・鈴川源十郎の巻』として連載がはじまり3年5月31日に完結する。昭和5年『続大岡政談』として再び同新聞に登場した。昭和8年6月7日、大阪毎日新聞、東日に再再登場した時に題名を『丹下左膳』と変更した。明るく正義感の強い諏訪榮三郎は、陰気な極悪人丹下左膳に人気の座を奪われてしまったということなのだろうか。

その後、昭和9年1月から9月まで『新講談丹下左膳』を読売新聞に連載した。これが「こけ猿の壺の巻」と「日光の巻」となるが、これらは一つの話で、のちに「こけ猿の巻」に統合される。「新版大岡政談・鈴川源十郎」は「丹下左膳・乾雲・坤竜の巻」と改題され…