2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

偶然にも、佐々木悟郎さんが表紙絵を描いている「NHKラジオ 実践ビジネス英語」(2010年4月号)のモチーフと、私が担当している「印刷雑誌」4月号の表紙に使った飛行機のおもちゃが、表面のペイントは違うが同じもので、驚いた。私が最近水彩画を始めたきっかけは、佐々木悟郎さんの水彩画を見て、やってみようという気になったもので、佐々木悟郎さんは云わば私淑する師匠に当たる憧れの人だ。偶然に同じモチーフを使ったというだけでも何だか嬉しくなってしまいました。

佐々木悟郎:装画、「NHKラジオ 実践ビジネス英語」(2010年4月号) 大貫伸樹:装画、「印刷雑誌」4月号(印刷学会出版部)

郵便振替口座00130-1-446096 大貫伸樹(オオヌキ シンジュ)

〒160-0004 東京都新宿区四谷4-24中島第一ビル9C

本誌は少部数発行のため一般書店には並びませんが、下記の書店に置いてあります。

・神保町=東京堂書店…………………Tel.03-3291-5181 呂古書房………………………Tel.03-3292-6500 三省堂書店本店4階地方小コーナー…Tel.03-3233-3312 ・内神田=書肆ひやね…………………Tel.03-3251-4147 ・池 袋=リブロ………………………Tel.03-5949-2931 ジュンク堂書店池袋本店……Tel…

ご予約、ご購入は

〒160-0004東京都新宿区四谷4-24中島第一ビル9C 大貫デザイン事務所気付 本の手帳社 Fax.03-3225-0957 Email:md9s-oonk@asahi-net.or.jpハガキ、FAX、Emailのいずれかで本の手帳社までお申し込みください。

古書店主のたわごと

……堀口 稔(56-63P) と、写真や挿絵が盛りだくさんで、ビジュアルな紙面構成になっています。

昭和初期の「左傾本」出版

……喜夛孝臣(46-55P)

扉の前に誰かいる

─河出書房のカラー版『日本文学全集』のこと─

ふたたび竹中英太郎のデビューのころについて

……中村恵一(24-33P)

もうひとつの書肆ユリイカ

─伊達得夫と朝日書房─

齊藤昌三が装丁する奇抜な素材を用いた美しい本

……大貫伸樹 (2-15P)

自費出版「本の手帳」8号がやっと3月30日に発売になります。木枯らし吹く頃に、サンタがお届けするはずでしたが、冬眠から覚めたら桜が咲く季節になっておりました。3ヶ月遅れで、やっと発売される運びとなりました。今号も、昨年刊行された田中栞『書肆ユリイカの本』青土社 (2009/8/29)を追補する内容となった、坂口博「もうひとつの書肆ユリイカ─伊達得夫と朝日書房」など、発売前からすでに話題になっている力のこもった原稿を集めることができました。商業出版物では読むことができない力作、目玉原稿が盛りだくさんです。(

自費出版「本の手帳」8号表紙 下記に目次を紹介します。

メデューサをモチーフにした和田英作:装丁「明星」最終号の表紙絵が意味するものは何なのか。なぜメデューサを表紙のモチーフとして選んだのか。画家は表紙の挿絵に一体どれほどの意味を込めて描いているのだろうか。興味深い。木股知史「『明星』の表紙画」(甲南大学紀要、2005年)での論考に耳を傾けてみよう。なおこの論文は木股知史『画文共鳴』(岩波書店、2008年)でも読むことができる。

和田英作:装丁「明星」(明治41年2月) 「終刊を迎える一九〇八[明41]年は、和田英作の「メブサ」が表紙を飾った。三色刷で、髪の毛が蛇となったメデューサを描いている。中村義一は『自然主義的傾向にむしろふさわしい表紙絵』と指摘している。それより…

「明星」というタイトルには、どのような意味があるのだろうか。またも、木股知史『画文共鳴』(岩波書店、 2009年)の考察に耳を傾けてみよう。「♀の記号が初めて現れるのは、新聞版『明星』三号(一九〇〇[明33]・六)の誌名プレートを飾る、止水長原孝太郎による炬火をかざすクピドの図である。クピドの額の五芒星の中に、♀の記号が描かれている。クピドは伝承ではヴィーナス(アフロディテ、ヴェヌス)の息子であり、愛を示し、可愛い有翼の少年として絵画の中に登場する。炬火は、ここでは、ヴィーナスの持ち物として描かれる愛を燃

藤島武二:画、「明星」第4号、表紙4(明治35年) 「じつは、この記号が含意するものが、表紙の女性像を考える時に重要な意味をもってくるのである。♀の記号は占星術で金星を表している。むろん、『明星』という誌名は、金星を意味している。そして、忘れて…

「明星」第8号の表紙について、さらに深く考察している論考があるので紹介しよう。木股知史『画文共鳴』(岩波書店、2009年)では、

「一條の表紙画の構図は、中宮寺半跏思惟像を下絵に、ミュシャのジョブのポスターを重ねることによって得られたのではないかというのが、私の推測である。それは、単なる合成ではなく、伝統という基層に西欧的要素を塗り重ねる、和洋の独特の配合によって仏…

第二「明星」第4号(明治35年4月)57ページの与謝野晶子「恋ごろも」題字脇に挿入された「MIYOJO」と文字が書き込まれた画家名不明の挿絵は、他の絵に比べて俄然西洋風で際立って目立っている。さらに、ミュシャの絵にも似ているようなので早速調べてみた。

第二「明星」第4号(明治35年4月)挿絵画家名不明、一條成美が描いたとも言われている。頭に掲げた星がアルフォンス・ミュシャ「サラ・ベルナール」ポスターより大きくなっているが、「明星」を強調したのであろう。 アルフォンス・ミュシャ「サラ・ベルナー…

明治文明開化のブームに乗るように、洋画家たちの挿絵ばかりが取り沙汰されるが、日本画家たちが影を潜めてしまったわけではない。多くの面で「明星」と対立関係にあった「新聲」も、独自の画文協力を打ちだしていた。

木俣知史「『明星』の表紙画」には 「単なる読者の争奪戦ということではなく、両誌は、多層的な対抗関係にあったと考えられる。まず、新派和歌の覇権争いという面があった。大田登氏は“地方文芸誌『よしあし草』(『関西文学』)おける、「新聲」「明星」両…

実践女子学園生涯学習センター(JR中央線・日野駅前)で「美しい本の話- 装丁の魅力 -」講座を4月7日、14日、21日、3回(毎週水曜日15:00〜16:30)開設します。講座内容やご予約など、詳しくは下記のホームページをご覧下さい。

http://www.syogai.jissen.ac.jp/

下記の公開講座の受講者数の途中報告がありました。開講のため最低必要受講者数10名をクリアすることができ、開講が決定いたしました。皆様の応援に御礼申し上げます。

このような洋画への社会的関心が高まりを見せる中で、与謝野鉄幹が、落合直文の和歌結社浅香社(明治22年結成)の一分社として東京新詩社を結成し、雑誌「明星」を明治33年4月創刊した。創刊号はタブロイド判16頁の新聞形式。「明星」は詩歌誌とは異なり美術評論、小説、随筆、美文等にも多くのページをさき、「詩歌といわず、広く文芸美術の全面にわたり、学芸交響の一大殿堂」の趣きを持つ文芸総合誌というような性格を持たせて誕生した。

「明星」第1号(明治33年)と第3号 第3~5号の表紙に記載された、頭に明星をいただいたキューピッドが炬火を持って飛んでいる絵は、長原光太郎によって描かれたものだが、表紙装画は終刊号まで一条成美、藤島武二、和田英作と洋画家の手によって受け継がれた…

文芸と美術の共同作業が好評を得るにつれ、明治30年には島崎藤村『若菜集』『一葉舟』『落梅集』が中村不折の挿絵を挿入した画文集として刊行される。

明治29年は、黒田清輝が洋画界への地歩を確立し、東京美術学校西洋画科が開設され指導者として迎えられ、明治美術会から離れて白馬会を結成し主宰した年である。また、フランスから帰朝した久米桂一郎や長田秋濤などが、フランス文学と美術の移植をめざした文芸雑誌「白百合」を、久米の案で青地にフランス国家の紋章である白百合を描いた高雅な表紙を着せて創刊。同年、洋画家・浅井忠の石版画「樹陰双美の図」を口絵として中村不折や川村清雄のさしを挿入した「新小説」が創刊し、洋画家による挿絵が雑誌に掲載されるようになった。

新聞や雑誌に洋画風挿絵が掲載されるようになったことについて正岡子規は「松蘿玉液」に、 「小説雑誌新聞の挿絵として西洋画を取るに至りしは喜ぶべき異なり。其の喜ぶべき所以(ゆえん)多かれど、第一、目先の変わりて珍しきこと、第二、世人が稍々西洋画…

アール・ヌーヴォの日本への伝達は、1900年に開催されたパリ万国博に参加した黒田清輝や浅井忠、そしてちょうどその時にロンドン留学しており、万国博会場に足を運んだ夏目漱石たちによって持ち帰られたものと思っていたが、大きな勘違いのようだった。それ以前から日本にアール・ヌーヴォーは伝わっており、パリ万国博にはアール・ヌーヴォーを取り入れた作品が、日本からも出品されていたという。由水常雄『花の様式 ジャポニスムからアール・ヌーヴォーへ』(美術口論社、昭和59年)の主張に、耳を傾けてみよう。

「この時(*パリ万国博)出品された日本の美術工芸品は、評価・批判が相半ばする結果となった。たとえば、出品物の形態や文様等が類型化している点、機能性が充分に考慮されていない点、また値段が高価にすぎ、審査員がいずれも驚嘆するという批判が続出し…

アール・ヌーヴォーにはさまざまな呼び名があり、ドイツでは1896年1月にミュンヘンで創刊された雑誌「ユーゲント」からきた「ユーゲント・シュテイル」という言葉が生れ、やがて世紀末芸術一般を指す言葉として用いられるようになる。オーストリアでは1897年に「ウィーン分離派」の名のもとに、急進的なウィーンの画家及び彫刻家によって結成された芸術家グループから出た「ゼツェシオン(分離派様式)」、イタリアではヨーロッパ最大の装身具店のひとつで、木綿のプリント生地製造業者として知られるロンドンのリバティ商会にちなんで「ス

「アール・ヌーヴォー」という名称が生まれたのは、1895年に美術商サミエル・ビングがこの名の店をパリに開いていた以来、それまで使われていた「モダーン・スタイル」に取って代わって使われるようになったもの。フランスでアール・ヌーヴォーの独自の様式…

「自由美学」の展覧会

「1894年2月、ベルギーの首都ブリュッセルにおいて、『自由美学』と題する大がかりな展覧会が開催された。これは10年ほど前から、オクターヴ・モースを中心に集まっていたベルギーの前衛画家グループ『二十人組』が新たに再編成され、再び出発する新しい門出…

歴史の盲点

「198世紀の歴史は、新古典主義からロマン派、写実主義を経て、印象主義にいたるまで比較的連続した一つの流れを形成している。フォービズムに始まる20世紀美術史はさらにそうである。だが、ここでよく注意していただきたい。モネや、ピサロや、ルノワールが…

高階秀爾

S.T.マドセン

S.T.マドセン『アール・ヌーヴォー』(平凡社、昭和45年) 「アール・ヌーヴォーの主だった装飾的特徴は、先端が鞭のようにしなって力強い動感を示す左右非対称の波打つような線である。このような線は、たとえばスコットランドにおけるそれ(図-2.1)のよう…

マリオ・アマヤ 

「アール・ヌーヴォーは様式としても運動としても、デザインの歴史の上で最も想像力に富んだ革新の一つである。その全盛期から半世紀経ってもなお、その創意のファンタジーは、二十世紀なかばの機能主義への予言、また完全に秩序ある新しい社会に、あらゆる…

日本におけるアール・ヌーボーの受容について、『みだれ髪」を例に調べてきたが、そもそもアール・ヌーヴォーってなんだろう? 19世紀から20世紀初頭にかけて国際的に開花した芸術運動〈アール・ヌーヴォー〉は、〈ユーゲントシュテイル〉〈モダーン・スタイル〉などともよばれ、「頽廃(デカダンス)」「悪趣味」の代名詞のように言われていたが、実は古い殻を打破し新しい芸術創造を目指した玉石混交の美の饗宴でもあった。ヨーロッパ全土は勿論のことアメリカや日本にも大きな影響を与え、ジャンルも建築、工芸、彫刻、デザイン、絵画、ファ

マックマード「センチュリー・ギルドの雑誌『木馬』のためのデザイン、1884年

実践女子学園生涯学習センター(JR中央線・日野駅前)で「美しい本の話- 装丁の魅力 -」講座を4月7日、14日・21日、3回(毎週水曜日15:00〜16:30)開設します。講座内容やご予約など、詳しくは下記のホームページをご覧下さい。

http://www.syogai.jissen.ac.jp/