2005-01-01から1年間の記事一覧
「♪あめあめふれふれ……」といっても八代亜紀ではなく「……かあさんが じゃのめでおむかえうれしいな…」と歌う小学唱歌の蛇の目とは、この本に使われている傘のように、中心部と輪郭に沿った周辺とを10センチメートル幅くらいに黒や赤色などに塗り、蛇の目の…
この本の魅力は、何と言っても番傘として使われていた頃の面影が残っていて、なおかつその番傘に描かれた模様や文字などがうまくデザインとして取り入れられていることであり、その善し悪しがコレクターにとってはもっとも気になるところらしい。 そんなふう…
番傘装ということで知られている、斎藤昌三自著自装の『書痴の散歩』(書物展望社、昭和7年)を新たにもう1冊購入することにした。中京大学での講演と武蔵大学での展示がダブってしまい、同じ本が2冊必要となり手ごろな値段で購入できるのなら……と思って、…
窪田空穂『歌集 青水沫」(日本評論社出版部、大正10年)は、久しぶりに見つけた広川松五郎の装丁本である。函や表紙のデザインも見事だが、今回は、木版画を使った見返しの図案の見事さを見ていただきたい。松五郎の本業は染織家であるが、多彩な人で、木版…
恩地孝四郎装丁、トロッキイ、青野季吉訳『自己暴露』(アルス、昭和5年)は、函なしだが、古書市で800円で購入した。高価な本は手が届かないし、逆に、安い本は目録やインターネットには掲載されず、なかなか購入できないことがある。 この頃の恩地は、装丁…
写真は富沢有為男『ふるさと』(桜井書店、昭和18年6月五版)2000部発行とある。初版は昭和17年1月に2000部で発行されている。奥付を信用する限り、約一年半で5刷りも増刷されている。 昭和15年5月には「内閣に新聞雑誌用紙統制委員会」が設置され、7月には…
金沢の明治堂書店から斎藤昌三『ずいひつ69』(有光書房、昭和37年)が届いた。斎藤昌三が亡くなったのは昭和36年11月なので、この本は遺著となる。斎藤の49日に発行された昭和37年2月15日発行の「古書通信」に、「現在進行中の遺著では『書物の美』(青園荘…
孫引きとなるが奥付に添付された青園荘の詞を『発禁本曼荼羅』から転載させてもらう。「この書物はもと芋小屋山房うじの刊出したものである。この度青園荘特に乞ふて三十冊を限り怪美版と称し、旧装を改めゲテ装本中のゲテ装本として、特に定められた会員に…
この怪美版が物議を醸し出しているのは、著者の断りなしに発行されたという事のようである。いわゆる知的所有権の侵害だ。ゲテ本として元本を凌ぐ人気を博した怪美版を仕掛けたのは、水曜荘主人・酒井徳男と青園荘主人・造本者でもある内藤正勝である。 内藤…
前回紹介した斎藤昌三『新富町多與里』(芋小屋山房、昭和25年、限定300部)には、昭和27年6月に限定300部(予定)で発行された怪美版と呼ばれる異装本があった。私はこの異装本を見ていないが、城一郎『発禁本曼荼羅』(河出書房新社、1993年)に写真が掲載…
斎藤昌三の本は手に入れたときに、いつも感動させられる。今日みなづき書房から届いた斎藤昌三『第八随筆集 新富町多與里』(芋小屋山房、昭和25年1月1日)も、そんな刺激的な装丁の本だ。 函(写真左)には、手書きの生原稿が貼ってある。斎藤昌三の原稿だ…
最近、マッチコレクターの第一人者・『マッチレッテル曼荼羅』や「マッチラベル博物館」の著者でもある加藤豊氏が、大学の後輩である事がわかり、メール交換をしている。その加藤氏が、斎藤昌三『日本好色燐票史』 (青園荘、1943、限定300部)を所有して…
さらに、この本文はなんと洋装本であるにもかかわらず、和本のように本文紙は片面刷り二つ折りなのだ。更に和本と違って山折の部分が背になっており、小口側は、ぺらぺらと開くようになっている。そのため、見開き毎に真っ白な頁が交互に登場するのである。…
表紙は、紙型(しけい)という、活字を組んで、印刷用の鉛版を作るときに使用する厚紙でできた、凹版である。一度校正刷りを印刷しているので、紙型にはインクが写っており、文字が読める。『秋水詩稿』に付いての話を印刷したときのものらしい。題簽は鉛で…
ちなみに、城氏が購入した『書痴の散歩』は、7冊目だそうで、レア物に出会うにはそれなりの努力があるようで、その執念には頭が下がる。やっと手に入れた本も「所蔵者転々、今や披読すれば、表紙の溝から徐々に番傘紙剥離欠落、痛ましきかな。補修の仕様は見…
さらに伏せ字のところに著者の書き入れがあったという。何ともうらやましいばかりに情報量の多い本である。古書価は記されていないが、恐らく結構な価格だったものと思われる。伏せ字は「二三二頁四行十七字目『○○○○(幸徳秋水)の蔵書印……』同頁七行三字目…
城市郎『発禁本曼荼羅』(河出書房新社、1992年、定価3000円)を吉祥寺のさかえ書房で購入した。立ち読みで済まそうとも思ったが「最終番号本『書痴の散歩』」という、たった3頁の記事の見出しに魅かれてつい古書価1800円を渋りながら購入してしまった。 城…
この企画は、1970(昭和45)年、好評を博した大阪で開催された日本万国博覧会での鉄道旅行客の需要をその後も維持するために、当時の国鉄が考えだしたのが「DISCOVER JAPAN」キャンペーンだそうだ。このとき全国約1400の駅に記念スタンプと専用のスタンプ台…
おおばの話とは別に、ついでに出てきた「駅のスタンプ」の歴史や「駅弁」の歴史なども興味を引かれ、昨夜の調べ物は、横道にそれっぱなしであった。「駅のスタンプ」は1931(昭和6)年、福井駅が最初だったようだ。その発生のルーツは「もともと鉄道と郵便輸…
おおば比呂司の装丁作品を集めるのは、とりあえず順次進めるとして、何を調べたらいいのかを考えてみた。 おおばの略歴の中で、一番目を惹いたのは1982(昭和57)年61歳の時に、家族とオランダ、アムステルダムに移住した事である。1942(昭和17)年に徴兵で…
おおば比呂司装丁、荻昌弘『快談快食 味のふるさと』(日本交通公社、昭和53年)のジャケットには、8人の調理人の絵が描かれているので、この絵からおおばの人物画の特徴を探してみよう。 顔は、面長が多く、軒並み下膨れである。鼻もユーモラスなくらいに大…
200年以降、宮崎県や徳島県では、オオミノガを絶滅危惧種としてレッドデーターブックに記載。ミノムシは、ミノガ科に属するガの幼虫で、口から吐く糸で小枝や葉を器用にあしらいながら、丈夫で独特の風情を持つミノを織り上げる。
最近ミノムシを見る事が無くなったと思っていたら、東京だからという事ではなく、ミノムシの代表格のオオミノガは、中国から侵入してきた「オオミノガヤドリバエ」というハエが寄生し、ミノムシを絶滅に追い込んでいるのだそうだ。
その記事によると「ミノを切り開いて手洗いし、小枝や葉を除くと弾力のあるフェルト状の「まゆ」が現われる。アイロンをあて乾かせば1枚の生地になる。これを接着剤でつないだりミシンで縫ったりして札入れを作る。一つ作るのに70〜80個のミノがひつようだそ…
以前このブログ16でも蓑虫を背に使った小島烏水『書斎の岳人』(書物展望社、昭和9年)を紹介した事がある。背の部分を見ていただくと、一辺が2cmくらいの◇模様を確認できるものと思います。実は、これがミノムシの蓑一匹分なのです。この背には、30匹ほど使…
明治期、大正期には手摺木版刷の版画を使った装丁といっても珍しくはないかも知れない。 恩地孝四郎装丁、吉田絃二郎『芭蕉』(改造社、大正15年2月16版、初版は大正12年7月)の表紙は、芭蕉の葉をモチーフにした図案で、手摺木版画が使われている。具象版画…
この二人の共通点探索をやってみようと思う。そんなことをやっていないで、安野光雅さんに直接インタビューしてしまえばいいのではないかと、思っている人も入るだろうが、そんな突撃インタビューができれば、ブログでおたくごっこなんてやっていないですう…
かつて、『装丁探索』を書いていた頃に、安野光雅さんの絵本を沢山集めた事があった。安野さんは、不思議な絵を描き始めた頃からのファンだったので、安野さんの本は100冊を越えるコレクションがある。安野さんには、迷惑な話しかもしれないが、ふと、おおば…
おおば比呂司装丁・著『絵筆の旅 ヴァン・ゴッホの蜃気楼』(講談社、昭和59年)は、何となく古書市でジャケ買いしてしまった本だ。「胸キュン本」だろう? といわれれば、その通りなのだが、それだけではない魅力を感じている。