2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

本文中に出る繪巻物の變化趨移する場面を一場面に表現したものとして、最も有名なのは伴大納言繪詞である。伴大納言は源左大臣を陥れる為めに應天門に放火をし、左大臣の失策とする。所が或日、左大臣の従僕鷹取の子と伴大納言の従僕生江の子とが喧嘩をする。子供の喧嘩に親が出て、生江は鷹取の子を蹴飛ばす。

「伴大納言繪詞」 鷹取は怒って「お前の主人は應天門に火附けしたではないか」と漏らす。それから足がついて、伴大納言は流罪に問われる。(この物語は「宇治拾遺物語」「三代實録」に出てゐる)此の子供の喧嘩の街頭活劇。父親が飛び出して來、相手の子供を…

繪巻物と挿繪の形式

日本に古來より傳わって居る各種の繪巻物こそ挿繪として尤も感ずべき尊敬すべき仕事である。挿繪に關心を持つものは奮って大いに研究すべきである。今一々その巧さを説明する要はないが、その省略とその連絡とその要點の把握と──實に驚歎を禁じ得ない。 新聞…

冩眞術の発達=殊に映畫技術の進歩によって印刷物の上に絵畫方面に影響を及ぼし、随分挿などもその減じはせぬかと云ふ氣もしたが、事實は全く反對だることは大いに面白い現象であるが、實はあまり當然すぎる程當然の事である。

即ち挿繪の方は自由直裁に無碍(むげ)な考えを端的に出して看者にぶつからせる事が出来るからである。物の説明圖なぞでも冩眞より圖のほうがよく納得出來る場合がある。たとへば今、馬や人の走っていく處の冩眞印畫を見ると、それ等が少しも馳(はしっ)て…

挿繪と写真

「粋美挿画」2号好評発売中!

■「粋美挿画」2号好評発売中!「粋美挿画」2号表紙。 「粋美挿画」2号 2-3p、専太郎のデビュー作、専太郎の作品は直ぐに評価され、沢山の仕事に追われるようになる「粋美挿画」2号 4-5p 夢二の作品やビアズレーの作品にヒントを探っていたのがよく分かる「…

2ヶ月ぶりのカツ丼(闘病記2011.5.8)

退院後、初めて肉にありついた。服用薬の副作用をさけるために、塩分や動物性油、ほ乳類肉類を食べないようにしていたが、たまにはいいだろうと今日はカツ丼を食べた。それだけのことで、急に元気になってきたような気になってきた。 実はテレビで夢屋とガス…

挿絵と新しき日本精神

日本の挿繪の現在の風潮を極く大別すると、西洋畫樣に影と光とを以て冩實的にいくものと、多くの場合描線によりて形象を描く日本畫風のものとの兩方面があるが、私は日本人として此の點大いに考慮を要すると思ふ。 蓋し、東洋には直ちに悟りの堂奥に突入せん…

私を始めに煩悶させたのもその源は矢張その様な點であったと思ふ。之等は何れも挿繪と云うものゝ性質や使命を深く考へなかったに帰する。今までは私も全くさう云う考えへは少しも持って居ない、之れは、文學でも他の科學でも、そう一概に簡單に片附けべきものではない。

純文學と大衆文學との異ひはどこにあるか、その可否はどうであるかは一朝には裁斷は下し得まいし、たとへば、科學を通俗的に説明したからと云ってもその眞理には異なる處はない様なものであるし、お能楽が高尚であるから映畫より数等優れた價値があるものと…

私は挿畫を描き始めてから、前後約三十年になるであらふ、思へば随分と古ぼけたものだ(途中で他の職業をやった為め挿繪をやらぬ事がその間五年弱はあった樣だが)。その三十年の間には、何度この仕事を早く打ち切って、矢張り大勢の畫家がやる樣な、展覧會の繪を描く事に専念しなければならないと煩悶としたり焦慮したりした事が、その都度自分ながら不甲斐なさに涙したのであった。

今の画壇の大家と申さるゝ人々の中にも、我々の年配で、又先輩で、矢張以前には挿繪を描いて居った人達が相當にあるが、それ等の人達が今は全く挿繪を振向いても見ぬ人が多い。その人達は、挿繪なぞは一向につまらぬものであって、その人達が一生懸命にやっ…

今回は斉藤五百枝「挿絵漫語(1)」(「さしゑ」第2号、平凡社、昭和10年)から転載させて頂こう。斉藤五百枝(さいとう いおえ 1884〜1966)は、千葉県生まれ。白馬会研究所、東京美術学校洋画科に進み、岡田三郎助に師事。「少年倶楽部」創刊号から表紙絵を描く。少年小説、大佛次郎「狼隊の少年」「山嶽党奇談」、佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」、吉川英治「龍虎八天狗」や、時代小説、直木三十五「由比根元大殺記」、大佛次郎「夢の浮橋」等を描く。大正13年4月号から昭和9年12月号まで、12年間240号分の表紙を描き続

「12年間もの間、たった1回休んだだけで、240号分を一人でかきつづけた。月刊誌の表紙としては希有のことである。ただ長くつづいたというのではなく千変万化、ときには軍鶏だの鷲だの鯉のぼりだの軍艦旗だの、ただそれだけをかいただけで読者をこうふんさせ…

僕の場合何もあんな細い線でくどくどとかき込まなくともよいので肉太の線でクツクツ!!とやった方が感じがハッキリ強く出るのであるし、まるで西洋婦人そっくりの理想型モダンガールを描くよりも、銀座あたりに散見するモガそのまゝを描いたほうが、どれだけ真実性から來る親しめる魅力が漂ふか分からないのである。

田中比左良:画、「そろいひの丸髷でお詣りらしい大年増三人づれ」(「さしゑ」、平凡社、昭和10年) これに就いてしみじみ思ふことであるが、近来カメラ技術が大へん発達して随(したが)って雜誌新聞の冩真版の発展も著しく、例へば街頭を歩行したりベンチ…

WIMAXを使っているせいなのだろうか? なぜか日本語入力が出来なくなるときがある。今回はコードをつないで入力している。

今回は、田中比左良「僕の通俗辧(上)」(『名作挿画全集』付録「さしゑ」第二号、平凡社、昭和十年七月)を転載させていただこう。

この問題に就いて現在の僕はさう氣にしてゐないのであるから活字にする必要もない野であるが、こんな場合に一寸言って置くのも多少とも自他の為になると思うへるのでかいてみるのである。 ほんたうは卑屈めいた通俗辧なぞ辧訴的な標題よりも、衆愚を相手に衆…

WIMAXのアンテナランプが清瀬市の病院では、一本しか点かなかったため不便があったが、西東京市の自宅に戻ってからは、部屋の中では二本点くようになった。ルーターをベランダに持っていくと辛うじて三本点いて、画像などが送られてくるスピードが断然速くなった。

自宅では有線でやったほうがいいのかも知れませんが、せっかく早くなったのだから、気分を良くしてルーターを使い、付録版「さしゑ」紹介を続けよう。