2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧
永地 秀太 (ながとち ひでた)1873-1942 山口下松市生。旧姓は有吉。徳山中学卒後に上京。本多錦吉郎や松岡寿に師事。1892-94年明治美術会付属教場に学ぶ。1902年太平洋画会の創立で中心的役割を果たす。以後同展に出品を続ける。1909年文展で褒状、1913年文…
『修養全集』第2巻(「東西感動美談集』、大日本雄弁会講談社、昭和3年)に掲載されたもので岸井新「喪服の遺臣」の挿繪。タッチを見ると同一人物の挿繪であることは間違いないように思える。登場順に3つの挿繪を並べてみよう。 一番上の落款は解読不能です…
下記の挿絵は『修養全集 日本の誇』第12巻(大日本雄弁会講談社、昭和3年)に掲載されていたものだが、この「弘」という落款はなんの疑問も持たずに中沢弘光のものだと思っていた。しかし、この挿絵には挿絵家名が活字で記されていない。そして目次には30名…
玉村が最初に描いたのが、下記の「おとこをつくりて」の挿し絵だ。どことなくぎこちなく緊張しているように感じられる。落款も小さな文字でなんと書いてあるのか判読ができない。この自信なさそうで弱々しい落款をよく覚えておいてください。 脱線:あの大リ…
「昭和19年10月から翌年の3月末に招集されるまで、「新書太閤記」の原稿とりが私に課せられた仕事であった。私はもともと芸能一般の担当記者であったが、戦争もはげしくなって映画は制作3社で月産2本程度となり、大劇場も閉鎖されたし、また文化部に在籍する…
昨日に続き、月報からの引用です。 「新書太閤記」の新聞連載原稿とりに、そして挿繪の依頼に奥多摩の二俣尾駅近くにあった吉川邸へ、挿絵画家・玉村邸のある中野へと走り回った記者・河村英一の思い出話が書かれている文章を月報から引用させてもらおう。 …
吉川英治『太閤記』は昭和14年1月1日から20年8月23日まで読売新聞紙上に連載された新聞小説だ。この執筆時期はちょうど第二次世界大戦と重なり、戦時下に書き継がれ描き繋がれながら誕生した。この戦時下という特種な事情が、1つの小説に多くのさし絵家を登…
昨日、高円寺の古書・越前屋で吉川英治『宮本武蔵』第1巻(講談社、2002年、定価:3200円)、装丁/熊谷博人、装画/村上豊を100円で購入した。610頁のこの本は電話帳ほど厚い。全4巻のうちの第1巻。 分厚くてお得感があるからといって購入したわけではない…
落款には「SEIKWA」と書いてあり、目次には「新関健之助」と表記されている。「関」という字が旧字で読めず、「開」と読むのかもしれない。「新開」なら見覚えのある名前なのだが、欧文のイニシャルとリンクしない。 そこでまたも『五體字類』で探してみると…
1冊の本にたくさんのさし絵が入っている本は、ただ眺めているだけでも楽しい。まして、それらのさし絵画家がみんな大好きなメンバーだったらこの上なく嬉しい。そんな調子のいい本はそうざらにあるわけではない。『現代大衆文学全集』全60巻(平凡社、昭和3…
1929年、直木三十五『本朝野士縁起』(「名古屋新聞」昭和4年)でデビュー以来、吉川英治『江戸城心中』(「河北新報」昭和5年)、『銭形平次捕物控』『夢介千両みやげ』『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』をはじめとする数々の時代小説の名作…
サインは水島爾保布(みずしま におう、1884年12月8日 - 1958年12月30日)の「爾」。東京生れ。画家、小説家、漫画家、随筆家。本名爾保有。東京美術学校卒。1913年、長谷川如是閑に招かれ大阪朝日新聞で挿絵を描き始めた。代表作に『東海道五十三次』『見物…
横文字だから普通はこんな風に書くのだろうと思うかもしれません。確かにその通りなのだが、最後に○印をつけるところがこだわりなんでしょうね。このこだわり部分が他の落款とは違うンですね。 上から順に、加藤まさを(1897年‐1977年)、岩田専太郎(1901-1974…
その落款とは、これです。 (*ここまできて急に写真の更新ができなくなってしまいました。すぐにはてなフォトライフの自動引き落とし手続きをしましたが、1日経過した今日もまだ使用できない。ご来訪のブロガーの皆さまにはご迷惑をおかけいたしております。…
すると、決して不思議な文字ではなく、ちゃんとこの本の右下にも記載されている正式な文字なんですね。てっきり自己流の創作文字だとおもっていた、が私のほうが無知だったようです。この優れもの『五體字類』は15年ほど前に購入して本棚の肥やし化していた…
左端のちょうど真ん中辺に小さな字で、同じように略した文字があった。これにて一件落着〜!ですね。
数日前に、解読できない落款として下記のような落款を掲載した。 この落款が、偶然表紙に書いてあるのに出会い、「アッこれだ」と思い早速調べてみた。 上記の落款とほぼ同じだ。さし絵家は「細木原青起」に間違いない。しかし、どうも腑に落ちない。細木原…
これを魅せられてもいきなりは読めないでしょう。文字は理解できても言葉にはならないからだ。 これは本田庄太郎の落款だ。そうとわかれば後は謎解きごっこなので、遊び心を理解するにはこちらの気分もかなりリラックスしないと理解できない。ジョーダンだろ…
この浅野薫さんが昭和3年の浅野薫と同一人物ならば、最近倒産した新風社からの自費出版と思われる絵本だが、現役の絵本作家のようだ。 著書=『いのししの夫婦』(新風舎 、2006/06) 原作・絵/浅野薫 文/浅野都『猫のカルテット』(新風社、2005年06月21…
落款蒐集を進めていくうちに浅野碌耳というさし絵家が出てきた。この新たな資料を厶比べてみると浅野薫と浅野碌耳は同一人物なのではないかと思われる共通の特徴を数ヶ所見つける事が出来た。 上段の5個並んだ一番右の浅野薫が書く「画」と、下段の浅野碌耳…
まずは、浅野薫の落款をたくさん並べてみる事にした。毎回少しずつ変わる書き方の違いから、何かわかるのではないかという期待を込めて、集めてみた。「薫」はすでに上にあるので下の耳のかたちには「浅野」と書くのが普通であろう。 にらめっこしながら、「…
解読困難な落款は「面白絵本」(「小学生全集」86巻、昭和4年)に掲載されていた挿繪についていたもので、この本の目次には表紙/武井武雄、口繪/海野精光、挿繪/岡田なみじ、川上千里、武井武雄、海野精光、江森盛八郎、道岡敏、宮崎ミサヲ、杉雄二、太田…
前記の二つの作家名不詳落款は、多分、下記の「動植物絵本」(『小学生全集』25巻、昭和4年)に掲載されていた浅野薫の落款ではないかと思う。サインの上には草冠があり、下には四つ足を「大」と略してアルのが共通点だ。「点」の四つ足を「大』と書くのは…
『小学生全集』第81巻「海へ山へ」の表紙絵を描いたのは、表紙右下にあるその落款から創作版画家・前川千帆であることがわかる。しかし目次には装幀/海野精光とある。れは本の一例で、このような間違いは至る所に見つける事が出来る。ちなみに、背布に描か…
この本には 表紙/河目悌二、挿絵/今村寅士、小笠原寛三、江守盛八郎、明石精一、道岡敏、三国久 の7人がかかわっているが、サインを残しているのは小笠原だけだ。 サインをする事の意味が、一冊の本の挿絵を通して二つに分かれた。名前を隠して描くのか、…
加藤まさを(1897-1977年)が「月の砂漠をはるばると〜♪」と歌われた「月の砂漠」を「少女倶楽部」に発表したのは大正12年8月のこと。その後佐々木すぐるによって作曲され広く知られうたわれるようになった。 立教大学英文科在学中より、19世紀の英国イラス…
あの前衛的抒情画といわれる夢二のイメージはまだどこにも見られないが、これは夢二の初期の頃のさし絵だ。金槌のような飾りは左翼的なシンボルで、思想性を表わそうとしていたのだろうか。 左:M40年日刊平民新聞31、右:M40年日刊平民新聞36 左:M40年東京…
上から順に、馬場射地、初山滋、岡田なみじ。 初山滋の名前は分るが、落款は見慣れないのではないでしょうか。 初山はサインがない絵も多いうえ、サインの種類がたくさんあるので、 解読しにくい一人だ。今回のサインは鼠をからませているものと思います。こ…
夢二は落款を次々と変えていったのを年代順に並べてみよう。 左:1.「日本少年」明治43年 右:2.「日本少年」(明治44) 左:3.「婦人画報」(明治44年) 右:4.「少女画報」(明治45年) 左:5.「少女世界」(大正元年) 右:6.「新少女」(大正5年) 7:「…