2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

数冊しか所有していないが大正〜昭和初期の「婦人画報」の表紙は美しい。昨日購入した数冊は武井武雄が表紙絵を描いているが、今でも書店にあったら充分に通用するほどに個性的で力強く魅力的だ。

この「婦人画報」(昭和2年、3月号)には、美しい挿絵がたくさん掲載されている。その多くが、武井武雄によって描かれたものと思われるが、表紙の「RRR」以外は、なぜか「T」の字の縦棒に団子をさしたようなサインや、「Ta」など、普段あまり目にしないサイ…

戦時中の雑誌に記載されている挿絵にはサインを記さない絵がよくある。坪内節太郎(1905[明治38]-1979[昭和54]年)の挿絵にはサインはあるが名前の「坪」ではなく「壷」という文字を使っているいるのはなぜか、何かカムフラージュする意図があるのだろうか? 

坪内は1926(大正15)第4回春陽会展初入選、上京 1928(昭和3)毎日新聞連載小説「懐疑狂時代」(小酒井不木)の挿絵担当。以降、新聞や雑誌(〈新青年〉など)の挿絵を多数描く

麻生豊(1898[明治31]-1961[昭和36]年)といっても知る人は少ないだろうが、北澤楽天が主宰する漫画家養成塾「漫画好楽会」を経て、報知新聞社に漫画記者として入社。当初は政治漫画を中心に執筆していたが、関東大震災(大正12年)直後、編集長から震災で打ちのめされた心の痛手、復興への厳しい生活の毎日、そうした社会に安らぎを与え世の中を明るくするような漫画を依頼され、1922年(大正11年)から報知新聞夕刊で『ノンキナトウサン』を連載。日本初の新聞四コマ漫画といわれる「ノンキナトーサン」は1926年(大

ねじ釘の頭を模したものとして知られる柳瀬正夢(1900-1945年、本名:正六)の日の丸に斜めの白い閃光が走るサインは名前との関連性がないので、いきなり解読しろといわれても難しい。

柳瀬正夢:画、「戦旗」(戦旗社、昭和5年) もう一つ、正夢がよく使う「いろは」マークと呼ばれるサインは「夢」をもじったもの。 柳瀬正夢:画、『黒い仮面』(金星社、大正13年) 「夢」を図案化したもう一つのサイン。 柳瀬正夢:画、『審くもの審かれる…

「李」「杢」「枩」「柰」などと同じようにこのサインももともとの漢字にありそうな村上松次郎のサイン。「松」の木偏とつくりを上下に並べ替えたもので、一度見たら忘れない。昭和16年「家の光」の目次にあった赤と青の2色刷りの絵だが、今では滅多に見られない2ミリほども版ずれした印刷物で、どこか懐かしい。

初山滋や竹久夢二はたくさんの種類のサインを使う挿絵画家画として知られているが、この挿絵画家も難解なサインを連発する一人だ。このサインはなかなか読めない。細木原青起のサインだと分かっても、「何でこうなるの?」といいたくなる。

東郷青児(1897-1978年)のサインは「青児」と書くのがよく知られているが、若い頃は「Si・iedi」と書いていた。『紫の恋』の装丁は青児24歳、7年間に及ぶフランス留学から帰朝した時の作品でピカソやマルク等の影響が見られる。私は、偉くなる前のこの頃の作品が好きだ。

新関健之助の挿絵だがサインはなぜか「SEIKWA」とある。もしかして「にいぜき」ではなくて「せいかん」と読むのではないか、とか編集者が名前を間違って表記したのではないかなどといろいろと思いを巡らしてみた。なんてことはないペンネームが「青花(せいか)」だった。そうならそうで、紛らわしいことをしないで活字での表記も「青花」にして欲しい。一件落着ふ〜っ!

本棚を漁っていたら「東京パック」「戦旗」など今まで見落としていたプロレタリア系の雑誌が出て来た。ここにも他の雑誌には顔を見せないたくさんの挿絵画家たちが挿絵を描いていた。画像左「東京パック」の表紙絵は岡本唐貴、「戦旗」はあのねじ釘の画家・柳瀬正夢が描いている。

戦時中の雑誌には戦後活躍する挿絵画家たちがたくさん寄稿している。「少女の友」「令女界」「主婦の友」などの女性誌からの収穫が大きく、挿絵画家収集が500名を越えたばかりだというのに、急に大幅に増えて530人に達した。画像左「少女の友」の表紙絵は中原淳一が描いている。

久しぶりに、高円寺、神保町の古書市連チャンしたが収穫なし。帰路立ち寄ったケヤキ書店で見つけたのが掘り出し物の斎藤佳三:画、楽譜「かちどきの唄」。斎藤佳三(1887-1955)といえば、山田耕筰と一緒にドイツ留学の帰朝時にヴァルデンから「颶風(DER STURMシュトルム)社」同人の作品150余点を預かり、日比谷で「シュトルム展」を開催しカンディンスキーやマルク、アァキペンコなどドイツ表現主義の紹介者として知られている。国民服の考案者でもある。

斎藤佳三:画、楽譜「かちどきの唄」(ビクター出版社、昭和4年) 斎藤佳三のサイン

活字での画家名記載がないので誰が描いたのか判断が難しい挿絵だが、運良くサインがあった。「せつ」とクローバーのような記号が記されている。直ぐにひらめいたのは長沢節(1917年-1999年)。掲載誌「少女の友」(昭和19年12月)が発行された時の長沢は27歳なので長沢のサインの可能性は充分にある。戦前から『新女苑』、『それいゆ』、『ひまわり』といった雑誌に挿絵を寄稿し、1954年、節スタイル画教室(後のセツ・モードセミナー)をサロン・ド・シャポー内の一室で始める。画像右は長沢節『弱いから、好き』(文化出版局、

解明できそうで出来ないハーモニカの楽譜の表紙に記されたサインの例だ。「磨」という一字だけは読めるが、これだけでは画家の名前と結びつかない。このサインはこれまでの501人のサインにはない。 これだけ見事な絵とサインがあるのだから、直ぐに誰が描い…

昭和戦前の挿絵画家500名収集の500人目は戦後活躍した人と思っていたので漏れていた山川惣治。1947年に絵物語として単行本で描き下ろし大ヒット作になった『少年王者』や1951年より産経新聞に連載された『少年ケニヤ』は大きなブームを呼んだ代表作。そんな山川が昭和19年「富士」12月号巻頭に描いた「空挺部隊絵とき」。これで500人達成!!「Sante!!(サンテ!!) 乾杯」

昭和戦前の挿絵画家500名収集で、昨日購入した資料から思い掛けない著名な画家が漏れていたことが分かった。小松崎茂(画像左)、山田伸吉(右)。小松崎の挿絵デビューは昭和13年なのでデビュー間もない作品だ。

何度も見かけたが、誰なのかが分からなかったサインが、サインはあるが画家名が記されていない「ローレライ」(画像左)と、サインはないが挿絵画家の名前が「広瀬貫川」と活字で記載されている「健康時代」(画像右)との2つを同一人物のものと判断して、解決した。

吉川英治『日本名婦傳』(全国書房、昭和18年)の表紙にあるサインは「龍」。「龍」といえば川端龍子だろうと思ってパラパラと装丁家名を探すと、「装幀 荒井龍夫」とあった。よく似たサインにまたもひっかかるところだった、といってもこの本も購入してしまった。左が龍子、右が龍夫。

神保町に行ったついでに古書モールに立ち寄り「コドモアサヒ」「講談社の絵本」「小波お伽全集」等を購入。「小波お伽全集」の挿絵にあるサイン「たけい」と読んでしまい武井武雄の挿絵と思って購入したが、なんとサインは「たけし」で、井上たけしでした。この絵、武井武雄の絵に見えてしまったのが間違いの元だった。そういえば、古書モールのお姉さん、領収書のハンコ探しに夢中でサービス券をくれなかったな。

「別冊太陽」眺めていたら、なかなかサインを残してくれない挿絵画家・松野一夫のサインを谷譲次「一人三人全集14」にあることを発見し、松野のサインが欲しいだけで早速ネットで高価な「一人三人全集14」購入してみた。松野一夫のサイン、いきなり4点もゲットだぜ!

松野一夫:画、「一人三人全集14」(新潮社、昭和10年) 松野一夫:画、「一人三人全集14」(新潮社、昭和10年) 松野一夫のサイン、「一人三人全集14ゆもれすか・あめりかな」(新潮社、昭和10年) 松野一夫のサイン、「一人三人全集14ヤトラカン・サミ博士…

偶然イニシャルが同じということもあるが、竹久夢二のように時代の寵児ともなると画風だけではなく、サインまでよく似たものを見つけることが出来る。サインは左から夢二、須藤しげる、一木紝。

「猪熊弦一郎」「足立源一郎」二人の「ゲンイチロウ」がよく似たサインを使っている。それにしてもなぜ二人とも「Gen」ではなく「Guen」なのか。向井潤吉にしても「J」でなく「Z」では「ずんきち」と訛りのあるサインになりはしないのだろうか。

洋画家・林鶴雄の紀行文「北支」(婦人公論、昭和17年)のスケッチに記されたサインが画像左。どこかで見たことがあるような気がして調べてみると画像右の川端龍子のサインによく似ていることが分かった。崩して書くと「鶴」と「龍」は似ているのだろうか? まさか活字表記の間違いで同一人物のサインということはないだろうな〜? 不安だ。

さし絵に書き込まれた署名を何と呼んだらよいのか? 決まった表現は無いようである。筑波大学の五十殿利治さんは「落款」と呼んでいるが、欧米ではモノグラムというようだ。単にサインでもよさそうな気もする。日本には古く署名を「花押(かおう)」という図案化・文様化された署名もある。

戦前昭和のさし絵画家名収集が目標の500人まであと20人ほどのところまでたどり着いた。松野一夫や岡本一平のようにあまりサインを残さない画家もたくさんいて、作業が進まない一因となっている。そんな中、やはりサインを残さない一人だった恩地孝四郎のサイン付きさし絵を見つけた。

恩地孝四郎:画、「家庭」昭和8年 例えはよくないが、結婚して10年も子供ができなかった知人が一人生まれたら次々に出産したのと同じように、恩地孝四郎のサイン付きさし絵も次々に見つかる。 恩地孝四郎:画、「家庭」昭和8年 これも恩地孝四郎のサイン付き…