2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧

こうした書物の画一化に抗するように、斎藤昌三の書物展望社が雑誌発行とは別に世に問うたのが、限定本刊行だった。その最初の登場が1932年(昭和7年)にでた内田魯庵著、斎藤昌三・柳田泉編『魯庵随筆 紙魚繁昌記』である。……この内田魯庵の書物エッセーのセレクションを彼の出版事業の第一弾とし、酒袋を利用した装丁、見返しには和本の反古を使って、紙魚ちらしの凝った本作りを行ったのである。」

内田魯庵著、斎藤昌三・柳田泉編『魯庵随筆 続紙魚繁昌記』(書物展望社、昭和9年)、”続紙魚繁昌記”だが、装丁はほぼ”紙魚繁昌記”と同じだ。背の部分の虫食いは後から出来たものではなく、材料の時から開いていた穴だ。 ◆『魯庵随筆 紙魚繁昌記』普及版跋よ…

齊藤昌三をゲテ本創作へと走らせた動機は何だったのか、奇抜な資材を使ったゲテ本とよばれる本が誕生するには、それなりの背景があったはず。限定本黄金時代を準備するファクターとは一体なんだったのだろうか、探ってみよう。

『書物の近代』等で知られる紅野謙介氏は「帝都東京に壊滅的な打撃を加えた1922(大正12)年の関東大震災も、新しい都市計画へ構想を膨らませリ一方、失われた明治に対する愛惜の情をかき立てた。……とりわけ帝国大学図書館をはじめ有数の図書館・文庫が炎上…

中一弥氏と師匠の小田富弥(1895[明治28]〜1990[平成2]年)が、同じ「娯楽倶楽部」(娯楽社、昭和23年)誌上で共演しているのを見つけ、僅か50ページほどの冊子にしては少々お高い感じがしたが、購入してきた。帰宅して読んでいるうちに、この本は41ページから44ページまで、切り取られていたことがわかった。ビニールに容れて売るときは気を付けてけてくださいよ、芳林文庫さん。

表紙は今村恒美が描いているが、何となく中一弥氏の挿絵が載っていそうな気がしたので、ガラスケースの中に展示されている上にビニール袋に入っているという気のいれようの展示だったが、思いきって店員さんに声をかけて拝見させてもらった。 表紙画:今村恒…

■11月にJR中央線・日野駅前にある実践女子学園生涯学習センターで「美しい本の話」と題する講座を3回に渡って開催予定。毎回たくさんの本をもっていきますので、実物を手に取ってご覧下さい。

・受講料=3,150円 ・日 程=11月2日、11月16日、11月30日(いずれも10:30〜12:00) ・内 容=1.洋装本の伝来と装丁の始まり ─橋口五葉の漱石本とアールヌーボー─ 2.幾何学模様の装丁は今でも斬新 ─恩地考四郎の前衛美術装丁─ 3.廃物を利用した豪華な装丁 …

斎藤昌三といえば、「愛書趣味」「書物展望」などの雑誌及び単行本の編集をする傍ら、たくさんの書物に関する執筆家として知られている。が、「書物展望社」を主宰し特異な資材を使ったゲテ本などと揶揄されることさえもある美しい限定本の造本家としての名声も高い。ゲテ本の中でも特に良く知られているのは、古番傘を使った齊藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社、昭和7年)と筍の皮を使った木村毅『西園寺公望』(書物展望社、昭和8年)とは齊藤昌三装丁の双璧といっても良いだろう。多くの評論家に酷評された本であり、悪評高き美しい本は、まさ

齊藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社、昭和7年) 木村毅『西園寺公望』(書物展望社、昭和8年) これらの本を実際に製本したのは、齊藤昌三が、製本部と読んでいる中村重義で、素材をさがしたり、それをどうやって加工したらいいのかと腐心し、齊藤と一心同…

11月にJR日野駅前にある実践女子学園生涯学習センターで「美しい本の話」と題する講座を3回に渡って開催予定。毎回たくさんの本をもっていきますので、実物を手に取ってご覧下さい。

受講料=3,150円 ・日 程=11月2日、11月16日、11月30日(いずれも10:30〜12:00)・内 容=1.洋装本の伝来と装丁の始まり ─橋口五葉の漱石本とアールヌーボー─ 2.幾何学模様の装丁は今でも斬新 ─恩地考四郎の前衛美術装丁─ 3.廃物を利用した豪華な装丁 ─番…

昭和16年(30歳)の時に野村胡堂「銭形平次捕物控」(「オール読物」連載)の挿絵を担当し、コンテ(鉛筆)を使って描いた話は一度書いた。が、同じ「銭形平次捕物控」が『国民の文学 第6巻』(河出書房、昭和43年2月)に入っているのを見つけた。「太陽」に連載された「男振」を探して早稲田の古書街を散策しているときに、店頭の棚の下段に、どこか見覚えのある絵があるのを見つけた。これはまちがいない!そう思うと古書価100円だけを確かめ、挿絵家名を確認もせずに購入した。

この全集には18点の挿絵(うち8点がカラー)が、あらたに描き直されて掲載されている。 中一弥:画、野村胡堂「銭形平次捕物控」(「オール読物」連載、昭和16年〜)30歳30歳の時の絵と、四半世紀をすぎた56歳の時の同じタイトルの絵を見比べてみると、線が…

「池波さんとの仕事で、自分がいちばん気に入っているのは、『太陽』という雑誌で連載した『男振』(昭和四十九年〜五十年)です。一年ちょっととつづきましたけど、これはいい小説でした、だから、いい絵が描けた。昔の編集者は、中さん、これ大した小説じゃないんだけど、ひとつ絵で引き立ててください。なんて、よく言ってました。でもそうはいかないんです。絵描きも読者の一人だから、小説が面白ければ力が入る。面白くなければ力が入らない。これはしょうがないんです。だから、池波さんのものは、みんななかなか面白い絵が描けたと思います。

そこで、さっそく、『太陽』に連載された「男振」を探してみた。東京八重洲口地下街、神保町、高田馬場、新宿と、休日を返上して古い『太陽』を探し歩き、やっと6冊ほど手に入れることができた。1冊200円から800円まで価格はさまざま。一度には掲載できない…

「池波(*正太郎)さんが『秘伝の声』を[産経新聞]に連載するとき、ご本人から直接電話を頂きました。でも、『秘伝の声』は、昭和六十年四月からの連載予定なのに、一年前の昭和五十九年の春には、連絡をいただいていたと思います。池波さんはせっかちでしたから。

そうしたら、その年の暮れになって、[朝日新聞]から、明くる昭和六十年二月から城山三郎さんの『秀吉と武吉』の挿絵をお願いできないか、という依頼があったんです。これは、豊臣秀吉と瀬戸内水軍の元締め、武吉が絡む話のようでした。」(前掲『挿絵画家…

昭和46年、中一弥氏60歳の時に「長谷川伸賞」を受賞した。長谷川伸賞については、小説家、児童文学作家であり、動物を主人公とした「動物文学」「動物小説」というジャンルを確立させ、椋鳩十と並び称される戸川幸夫が開会式で「故長谷川伸先生を記念して創設され、文学、演劇の進歩、向上のために、研鑽と業績によって貢献した人、また傑れた実績を持ちながら、つねに縁の下の力持ちとして脚光のかげに隠れているひとと、有力有望な新人の顕彰をおこなうものですが、第六回の本年は、四十年間ひたすら、時代小説のさし絵に精進されてきた中一弥

『大衆文藝』(新鷹会、昭和46年8月号)、長谷川伸賞授賞式、右が中氏。写真:青山与平 『大衆文藝』(新鷹会、昭和46年8月号)、懇親会で土師清二と語り合う中氏。(写真:青山与平) 「銓衡経過」として、村上元三は「今回この賞は、さし絵画家として四十…

所沢の古書市で、多田裕計『世界文学全集26 織田信長』(講談社、昭和36年8月)をさりげなく手にしてパラパラと挿絵家の名前を探したら中一弥とあった。こんなことは、そう頻繁にあるわけではない。欲しい本が1冊も無く、釣りで言う「坊主」のときには本当にがっかりする。が、今回のように予期しない掘り出し物の場合はかなり嬉しい。気分がいいせいか、絵までもが、品のあるいい絵に見えてきてしまう。

中一弥:画、多田裕計『世界文学全集26 織田信長』(講談社、昭和36年)函 中一弥:画、多田裕計『世界文学全集26 織田信長』(講談社、昭和36年)口絵 この本には、中氏は本文中の挿絵もたくさん描いている。昭和36年1月に50歳を迎えており、私が唱えている…

中一弥:画、乙川優三郎「麗しき花実」最終回(朝日新聞、2009年)が、9月9日に201回で最終回を迎えた。中一弥の最終回の挿絵に登場する人物が、右側を向いているのか、左側を向いているのかに興味がありましたが、右向きでした。これは、話が進展せず過去に戻るとか、なにか前向きではないストーリーを予感させる。

中一弥:画、乙川優三郎「麗しき花実」最終回(朝日新聞、2009年)内容的には、積極的な選択にも思えるが、女の幸福を捨てて松江に帰るというのが挿絵画家・中一弥には、右向きの顏を選択させたのではないだろうか。 挿絵画家のタッチのことや、登場する女性…

『三界飛脚』の同じシーンの挿絵を2点見つけた。

上のモノクロ挿絵は46歳の油の乗り切っているころの挿絵だ。下は、59歳の時に『日本伝奇名作全集9 三界飛脚(全)』に描きおこしたものだが、長編小説の挿絵を描きおこすのに、初出の時と全く同じシーンを同じような構図で描いたのはいただけない。違う場面…

中一弥氏の40歳代は挿絵の絶頂期

尾崎秀樹『さしえの50年』(平凡社、1987年)には昭和元年から50年までに活躍した88人のさしえ画家たちのさしえとプロフィールがきさいされており、その中に中一弥も紹介されている。そこには、「村上元三や池波正太郎と組むことがおおく、村上元三の 「大久…

中一弥氏の挿絵の画材は、前述のように筆とペンだけだと思っておりましたが、それだけではなく、鉛筆を使って描くこともあった。野村胡堂「銭形平次捕物控 矢取娘』(「オール読物」S16年)は、中氏の挿絵では珍しいコンテ画と呼んでいる鉛筆画だ。

「『オール読物』から、野村胡堂さんの『銭形平次捕物控』の依頼がきたときは嬉しかったですね。たしか、昭和十六年のことです。『銭形平時』は、コンテ(鉛筆)で書いたんですよ。あるとき、外国の雑誌をめくっていたら、コンテで描いたスケッチがあった。…

これは、中一弥:画、山手樹一郎「甘辛鼠小僧」(博文閣、『娯楽倶楽部』昭和27年11月号)の挿絵で、中氏が41歳の時に描いたものだ。細い線に張りがあって力強く、魅力的な絵に仕上がっている。挿絵が掲載されているスペースも2ページ分使われており、その分、原画が大きく描かれているだろうから、絵が伸び伸びしてみえるということもあるだろう。

中一弥:画、山手樹一郎「甘辛鼠小僧」(博文閣、『娯楽倶楽部』昭和27年11月号)、中氏41歳。 中一弥:画、山手樹一郎「甘辛鼠小僧」(博文閣、『娯楽倶楽部』昭和27年11月号) 「デビューしたころは、ケント紙を使っていたんですが、昭和8年ごろから少年雑…

最近では、新聞小説が単行本になっても、挿絵が掲載されることは希になってしまった。中一弥の新聞掲載時の挿絵が載っている、村上元三『五彩の図絵』上、下(朝日新聞社、昭和49年)を見つけた。佐多芳郎が装丁しているので、まさか、本文中に中一弥の挿絵が載っているとは思もってもいなかったので、見つけたときは感激でした。しかも上下巻セットで200円と格安だったのが嬉しさを倍増させた。所沢まで行った会があった。

佐多芳郎:画、村上元三『五彩の図絵』上、下(朝日新聞社、昭和49年)、佐多芳郎の装画にしては華がない。 新聞掲載時の挿絵が378回分全て掲載されているわけではありませんが、それでもありがたい。村上元三『五彩の図絵』上巻の最初に登場する挿絵は下記…

中一弥が作り上げた「秋山小兵衛」はこのようなさっそうとしたイメージの老人として登場した。

中一弥:画、池波正太郎『剣客商売 白い猫』 中一弥:画、池波正太郎『剣客商売』、なるほどこれが、清貧をよそっていたが大金持ちの吉野さんや三井老人のイメージから生まれた秋山小兵衛像か。若い女性のひざまくら、老後はこうありたいものだ。 かつて、私…

小説の挿絵に登場する人物のイメージは、どのように作られていくのであろうかということに興味を持ち、かつて『丹下左膳」のキャラクターについて書いたことがあるが、これは作家によって大部違うものである。今回は、池波正太郎ほか『剣客商売読本』(新潮文庫、平成12年)に、作家の残した「基メモ」と命名された創作ノートにある作家がイメージしたキャラクターを見て見よう。

池波正太郎「基メモ」最初の2ページより、左は前田青邨の写真で、右端には秋山小兵衛とある。右はゲーリー・クーパーとジェームズ・スチュアートで秋山大治郎とある。主人公となる親子の剣士の名前が記されている。 この3枚の写真は、登場人物のイメージを作…

仲一弥氏のモノクロームへのこだわりは分ったが、カラーの絵も本人が悲観(謙遜?)するほどに決して悪いものではなく、むしろ、下記の作品などはさわやかで見事な色使いだと思われる。装丁としてのインパクトも充分だ。そしてなにより色っぽい。

仲一弥:画、池波正太郎『ないしょないしょ』(新潮文庫、平成4年) 仲一弥:画、池波正太郎『おせん』(新潮文庫、平成12年)

「今でも、本のカバーの注文があって、そのための絵を描くことがあります。最近では、装丁家が別にいることが多いので、絵を隅に置いたり、極端に大きくしたり、また、小さくしたりします。ときどき、僕が考えたようには使ってくれないこともあります。昔は、絵描きが装丁すると、そのまま本になったものです。今は、分業制が多く、手順としては仕方のない面もあるのでしょうが、こちらとしては、装丁家の考えを見越した上で絵を描かないと、たまに、とんでもない扱いをされてしまうこともあります。」(末國喜巳・構成『挿絵画家・中一弥』集英社新

下記の装丁を名指しで批判しているわけでははないが、中氏の不満に思っているのはこのようなものではないかというものを探して掲載してみた。 中一弥:画、池波正太郎『おとこの秘図(上)』(新潮文庫、昭和60年)、装丁:辰巳四郎 中一弥:画、池波正太郎…

挿絵画家・中一弥氏は、色を使うのが苦手だという。「僕は、色彩にあまり興味がない。というより、僕の挿絵には色彩がいらないんです。死んだ女房が、あなたは色音痴だって、よく言ってましたが、これは見事に僕の本質を言い当てていました。たしかに色音痴という部分はあります。画家でも、色彩の豊富な画家とそうでない画家がありますから。色は恐い。難しい。そして、奥が深い」(前掲『挿絵画家・中一弥』)と、謙遜もあるだろうが自らが苦手意識のあることを暴露している。

中一弥:画、池波正太郎『編笠十兵衛』(新潮社、昭和45年) 中一弥:画、池波正太郎『剣客商売 勝負』(新潮社、昭和54年) 中一弥:画、池波正太郎『剣客商売 十番斬り』(新潮社、昭和55年) 中一弥:画、池波正太郎『剣客商売 二十番斬り』(新潮社、昭…

もう一つは、中一弥氏は右利きなのだろう。右手で円弧を描くときは、左半分は巧く描けるが、右半分を描くのは難しい。鉛筆のような先端が堅い筆記具の場合はまだ書きやすいが、筆で描くとなるとかなり難しい。80年ものキャリアがある一弥氏に、そんな苦手意識があるはずもなかろうが、私の場合は、紙を回転させて右側の円弧になるようにして描いている。

さらに、筆記具はやや右側に傾けて使うことが多いので、穂先の左側はよく見えるが、右側は見にくく、筆の傾きの下側の面にあたる部分は、きれいな線を描きにくい。こんなことが、左向きの顔がたくさん描かれる理由ではなかろうか。 この説が正しいなら、左利…

考えられる理由は2つある。その一つ目は、タテ組の文章の場合は、右の行から左の行へと読み進むため、その流れに沿って人間の向きや動きや顔の方向も右から左えと向かっていたほうが自然なのだろう。右向きの顏の場合は、忘れ物をして戻っている場合とか、争いをしていて形勢逆転するシーンとかは、それまでの流れを変えるわけだから、逆に進むような表現の方が効果的に表現できるのではないだろうか。

でもそれだけの理由だとしたら、タテ組の文章の挿絵はみんな左を向いていなければならなくなってしまう。 中一弥:画、乙川優三郎「麗しき花実」164(朝日新聞、2009年) 中一弥:画、乙川優三郎「麗しき花実」167(朝日新聞、2009年) 中一弥:画、乙川優三…

新聞が回収袋3袋分も溜まって回収に出す寸前だったので、今朝は6時に起きて新聞小説、中一弥:画、乙川優三郎「麗しき花実」(朝日新聞、2009年)の切り抜きをやった。40回分ほどの切り抜きができた。切り取りながら、床に並べられた挿絵を眺めていて、登場人物が一人の場合は、なぜかほとんどの顔が左を向いていることに気がついた。

中一弥:画、乙川優三郎「麗しき花実」143(朝日新聞、2009年) 中一弥:画、乙川優三郎「麗しき花実」156(朝日新聞、2009年) 中一弥:画、乙川優三郎「麗しき花実」161(朝日新聞、2009年)

日本の分子生物学の発展に大きな足跡を残した渡辺格の追悼文集「渡辺格追悼文集」(ディー・エヌ・エー研究所、2009年8月、非売品)が大型サイズのA4版176Pで刊行された。約180点に及ぶ写真や、利根川進氏、荒川修氏、鎮目恭夫氏などなどたくさんの科学者や友人達による研究の検証や交友録で構成され、見ごたえ読みごたえ十分な冊子として完成した。執筆者たちの顔ぶれからも、渡辺格氏の偉大さがどれほどのものかを推し量ることができる。

ご存知の方も多いと思うが、渡辺格は、1953年にWatosonとCrickによりDNA二重らせん構造モデルが提出され分子生物学という言葉が定義されるまえに、「生命現象の研究と科学の役割」という論文を岩波書店の「科学」22巻496~500(1952年)に発表、分子生物学が…

朝日新聞朝刊に連載中の中一弥:画、乙川勇三郎「麗しき果実」の挿絵の左右寸法は、通常切手約4枚分で、ハガキの半分よりやや小さいくらいの大きさだが、細かい部分まで細密に描かれている。こんなに細かい部分まで、98歳の画家が原寸大で描いているとは思えない。一体どのくらいの寸法で描いているのだろうか?

中一弥:画、乙川勇三郎「麗しき果実」(朝日新聞、2009年8月) そんな疑問を持つ人は多いのではないか、と思い早速調べてみた。「昔は新聞連載の挿絵を描くとき、掲載時の大きさの六、七倍の大きさで描いたものですが、今は、だいたい四倍の大きさで描けば…