2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

いつ購入したのか記憶がないが、中野實「明日の愛情」(読売新聞朝刊、昭和16年9月26日〜17年3月16日)が書棚から出てきた。私は、岩田専太郎はどちらかというと時代小説の挿絵を得意としているかのようなイメージを持っていたが、「明日の愛情」では、現代小説の挿絵も見事にこなし、マルチな挿絵画家ぶりをみせてくれている。

岩田専太郎:画、中野實「明日の愛情」第1回(読売新聞朝刊、昭和16年9月26日) 戦争の足音が聞こえてきた開戦2ヶ月ほど前に連載が始まった事もあり、書き出しが「けたゝましくつゞけざまに、サイレンが咆えはじめた。『訓練空襲警報……。『訓練空襲警報……。…

ネットで購入した冨田常雄の著書3点『白虎』(大阪新聞社、昭和21年)、『江戸無情』(新潮社、昭和38年)、『春色江戸巷談』(昭和41年)が届いた。いずれにも岩田専太郎のさし絵がたっぷり挿入されている。『白虎』には見開き毎に、昭和21年から半年間にわたって連載された時の挿絵が総数140点程入っている。『江戸春色巷談』には1頁大の挿絵が12点入っており、お気に入りの本だ。+専太郎50歳代である昭和30年代に描かれた『江戸無情』などの挿絵は、線の美しさやコントラスト(白と黒の配分)の見事さ、大胆な構図やデフォル

岩田専太郎:画、冨田常雄『江戸無情』(新潮社、昭和38年) 岩田専太郎:画、冨田常雄『江戸無情』(新潮社、昭和38年) 岩田専太郎:画、冨田常雄『江戸無情』(新潮社、昭和38年) 岩田専太郎:画、冨田常雄『江戸無情』(新潮社、昭和38年) 岩田専太郎…

岩田専太郎が「講談雑誌」第7巻第1号に描く第4作目は、三遊亭小円朝「怪談牡丹灯籠」のさし絵。

岩田専太郎:画、三遊亭小円朝「怪談牡丹灯籠」(「講談雑誌」第7巻第1号、大正10年) 岩田専太郎:画、三遊亭小円朝「怪談牡丹灯籠」(「講談雑誌」第7巻第1号、大正10年) 岩田専太郎:画、三遊亭小円朝「怪談牡丹灯籠」(「講談雑誌」第7巻第1号、大正10…

「講談雑誌」第七巻一号に7作品のさし絵を描く

岩田専太郎が描く「講談雑誌」三作目はこれ「宮城野信夫の父」。針金平綴じといって、本を閉じた状態で背に近い部分を大型のホッチキスのようなもので閉じる製本だが、本の中央頁をひらこうとすると、これが開きが悪く、ノドの部分は画像が綴(と)じられて…

乗り物しか描かないとか時代小説のさし絵しか描かない、というように専門性を売り物にしているさし絵画家は多いが、岩田専太郎のすごさの一つに、どんなジャンルのものでも柔軟に対応して描いてしまうということがあるだろう。前回掲載した「実録伊達騒動」で見せた浮世絵風の時代小説のさし絵も見事であるが、今回紹介する馬場春宵「檻の虎」は全く異なるタッチで、車や電話機などのモチーフも洋服姿の人物やヘアスタイルなど、最も新しい時代を採り入れて描いている。この幅の広さは、すでにデビュー当初から鍛えられていことが、今回のさし絵紹介

岩田専太郎:画、馬場春宵「檻の虎」(「講談雑誌」大正10年1月) 岩田専太郎:画、馬場春宵「檻の虎」(「講談雑誌」大正10年1月) 岩田専太郎:画、馬場春宵「檻の虎」(「講談雑誌」大正10年1月) 岩田専太郎:画、馬場春宵「檻の虎」(「講談雑誌」大正1…

SF小説や官能小説のリアルなイラストを得意としているさし絵画家・星恵美子さんに絵を描いてもらい、カオリ株式会社の名刺をデザインした。

名刺のデザイン依頼は過去40年間で3〜4度しかなく、貴重な経験だ。カオリ株式会社はダンス用の衣裳を制作する会社で、アイススケートの浅田真央の衣裳も担当しているという。

「講談雑誌」第7巻1号(博文館、大正10年1月)がとどいた。巻頭小説、桃川如燕「実録伊達騒動」のさし絵を岩田専太郎が描いている。専太郎が挿絵画家デビューして10ヶ月目頃の作品と思われる。僅かの間に博文館・生田調介の絶大なる信頼を受けるようになり、この号では、「実録伊達騒動」のほか、三上於菟吉「悪魔の恋」、生田葵「告白の日」、楠田敏郎「大阪の女」、寶井馬琴「宮城野信夫の父」、三遊亭小円朝「怪談牡丹灯籠」、寶井琴窓「妖婦の恋」、馬場春宵「探偵奇譚檻ノ虎」掲載さし絵の半分以上となる50数点のさし絵を描いている。

岩田専太郎:画、「実録伊達騒動」(「講談雑誌」博文館、大正10年1月) 岩田専太郎:画、「実録伊達騒動」(「講談雑誌」博文館、大正10年1月) 岩田専太郎:画、「実録伊達騒動」(「講談雑誌」博文館、大正10年1月) 岩田専太郎:画、「実録伊達騒動」(…

昨日は千駄木にある金土日館(岩田専太郎美術館)に行った。冨田常雄「江戸無情」(読売新聞夕刊、昭和37年)の原画18点と、冨田常雄「鳴門太平記」(週刊サンケイ、昭和37年)2点、冨田常雄「書生草紙」(産経新聞、昭和35年)4点、「春色江戸巷談」(報知新聞、昭和40年)など総展示点数26点と、やや物足りない感じがした。それでも、印刷物と違って原画は大きいこともあり、グレーの微妙なトーンや筆のかすれなどを目の当たりにして、迫力満点だった。ビアズレーを思わせる構図の大胆さや人物の微妙なデフォルメなども専太郎さし絵

岩田専太郎:画、冨田常雄『江戸無情』(新潮社、昭和38年) 岩田専太郎:画、冨田常雄『江戸無情』(新潮社、昭和38年) 岩田専太郎:画、冨田常雄『江戸無情』(新潮社、昭和38年) 岩田専太郎:画、冨田常雄『春色江戸巷談』(講談社、昭和41年) 岩田専…

7月19日(月)みごとな夕焼け、左の方に富士山があるのだが今日は見えなかった。

日暮里辺りを走る電車の中からスカイツリーを撮影した。中央白い空に濃い青のボール状に浮かんでいるようなのが、スカイツリーだ。

図書設計79号刊行。巻頭特集7ページを執筆。

「図書設計」79号が予定よりも3ヶ月ほど遅れてやっと刊行の運びとなった。私は巻頭特集「夢二、白秋らが育んだ恩地孝四郎の出藍の装本」7ページを執筆させてもらった。 「図書設計」79号、表紙挿画:武井武夫の刊本作品No.4「善悪読本」昭和13年 「図書設計…

やはりこれが、岩田専太郎のデビュー作か。「図書設計」巻頭特集執筆

■以前にも書いたが、岩田専太郎は1919 年(大正8年)12月、父親の友人・吉田六に勧められ「講談雑誌」を発行していた博文館・生田調介宅を夜中にいきなり訪ね、さし絵画家としての採用を願い出て、挿絵画家として採用される。1920年(大正9年)19歳の時に「…

「さし絵画家にも長老先輩、若手新進、洋画日本画出身者色とりどりだが、さし絵画家の組織した挿美会の機関誌「さしゑ」に斯界の先輩諸公として、さしえ長距離選手の十位までのランキングがかかげてある(但し昭和三十年四月現在)さし絵画家としての経歴年数の長い人々を選出したのである。」(津島壽一『芳塘随想』芳塘刊行会、昭和36年)

一、約五十年 細木原 青起 二、四十年 清水 三重三 三、三十六年 田中 比左良 四、三十五年 岩田 専太郎 五、三十五年 寺本 忠雄 六、約三十四年 神保 朋世 七、三十二年 林 唯一 八、三十年 川原久仁於 九、三十年 嶺田 弘 十、三十年 宮田 しげを 4位の岩…

岩田専太郎の最初のさし絵は?

この岩田専太郎の「講談雑誌」に寄稿した挿絵がデビュー作となるので、早速探してみた。専太郎の挿絵が掲載された「講談雑誌」は、とりあえず ・田中空雷「大探偵譚 人形の片腕」(「講談雑誌」第6巻4号、大正9年4月) ・百川如燕「実録伊達騒動」(「講談雑…

専太郎は「私の家の向かい側は、浅草の常磐座に出ている役者の家で、その隣りが常磐津の女師匠の家だった。常磐津の女師匠は、たぶんお妾さんだったのであろう。いろんな男の人が出入りしていたが、たいがいお弟子さんで、どれが旦那かは、わからなかった。お師匠さんは、私を可愛がってよく抱きにきてくれたが、たしか二歳か三歳のはずなのに、不思議と、袋に包んだ三味線の壁にかかっていることや、赤いおおいのある鏡がおいてあったことを覚えている。長火鉢もよく磨いてあって、鉄びんがちんちんと音を立てている静かな家だった。」(岩田専太郎

と書いており、「袋に包んだ三味線」や「長火鉢もよく磨いてあって、鉄びんがちんちんと音を立てている」など、まさにこの文章にかかれているとおりの幼い頃の記憶のなかの風景をもとにして、室生犀星「続妲妃」(プラトン社「苦楽」、大正14年)の挿絵は描…

戦後、単行本になった岩田専太郎;装丁・挿画、大佛次郎『天狗廻状』(講談社、昭和23年)には、5点の挿絵が挿入されている戦後間もない時代背景を物語るように、紙も印刷も悪く、刷りも悪く挿絵もきれいに再現されていない。そんなことも専太郎のやる気を起させなかったのかもしれない。。新聞掲載時の挿絵と違って、集中力が切れてしまったのか、きままに描いているようにみえる。巻末広告には「怪しき廻状をめぐり鞍馬天狗疾風迅雷の活躍」とある。

岩田専太郎;装丁・挿画、大佛次郎『天狗廻状』(講談社、昭和23年) 岩田専太郎;装丁・挿画、大佛次郎『天狗廻状』(講談社、昭和23年) 岩田専太郎;装丁・挿画、大佛次郎『天狗廻状』(講談社、昭和23年) 岩田専太郎;装丁・挿画、大佛次郎『天狗廻状』…

神保町へ行ったついでに古書モールへ立ち寄った。特に目ぼしい収穫はなく帰ろうとした時に、手に取るのもはばかられるようなよれよれのスクラップブックを見つけた。パラパラとめくってみたら、これまた、一度貼ったものをはがしたせいか、挿絵の一部が破れている新聞小説挿絵のスクラップがでてきた。なんとこれが岩田専太郎の挿絵60点張り込みだった。たまたま、岩田専太郎の挿絵を集め始めたばかりでで、専太郎物なら何でも欲しいと思っていたので、これはラッキーだった。いくら専太郎の挿絵といえど、よくぞこのボロスクラップに1000円も

岩田専太郎:画、大佛次郎「天狗廻状」(「報知新聞」昭和6〜7年) 岩田専太郎:画、大佛次郎「天狗廻状」(「報知新聞」昭和6〜7年) 岩田専太郎:画、大佛次郎「天狗廻状」(「報知新聞」昭和6〜7年) 岩田専太郎:画、大佛次郎「天狗廻状」(「報知新聞」…

出版美術家連盟員名簿、会員数230名のうち一部を掲載(『出版美術家連盟1955年鑑』より)……❷

の 野口昂明 野崎青郊 野沢和夫 野木行雄 は 芳賀まさを 長谷川露二 畠山一夫 畠野圭右 花野原芳明 花房英樹 浜 康雄 濱野正雄 林 唯一 原 やすお 馬場のぼる 原 一司 早見利一 ひ 久 久男 平野林作 ふ 藤形一男 藤沢龍雄 伏石繁男 古沢日出夫 ほ 細木原青起…

何とか復刻したいと思っていたが、とりあえずブログにでも掲載して、知ってもらおうと更新し続けた『出版美術家連盟1955年鑑』掲載作品紹介もこれで最後だ。連盟員の名簿も今日の掲載で、全230名を更新した事になる。この頃に挿絵画家が230名も組織されているのは、驚異的な数字と思えるが、挿絵の第二黄金時代と言われるのがうなずけるデータだ。

山川惣治:画「傷つける友」(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) (1908 年2月28日-1992年12月17日)昭和20年代(1945年から1954年)〜昭和30年代(1955年から1964年)に活躍した絵物語作家。 福島県郡山市生まれ。戦前より紙芝居作家として、戦後は絵物…

出版美術家連盟員名簿、会員数230名のうち一部を掲載(『出版美術家連盟1955年鑑』より)……❶

55年前の連盟員名簿だが、私の知る限り、堂昌一氏や中一弥氏、濱野正雄氏など現在もご健在で活躍されているのには驚かされる。あ 相沢光朗 鮎川 万 秋 玲二 麻生 豊 阿部和助 安藤 裕 い 石井達治 石井 治 石渡一正 石田英助 伊勢良夫 伊勢田邦彦 伊藤幾久造…

まだ続く『出版美術家連盟1955年鑑』掲載作品紹介と連盟員名簿…1

林唯一:画「バレーの練習」(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 濱野政雄:画、(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 久久男:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 藤沢龍雄:画「鏡獅子」(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 細木原青起…

挿絵画家の略歴を探すのは難しい。作品と名前は分かってもどんな人物なのかはなかなか調べる事が出来ない。55年前の年鑑の名簿を元に、単に生没年を調べるだけでも手のうちようがない場合が多い。年鑑などにも略歴は残っていないし、著書でもない限り調べるのは難しい。いい絵を残していながら、挿絵史の中に残せないのは残念でもある。本日掲載した中では、名取春仙、野口昂明、馬場のぼるは調べる事が出来るものと思う。挿絵画家たちが自らの足跡を後世に残そうと努力をしない限り、ただひたすら忙しく仕事をこなしても、何も残らない。

中島喜美:画「ローレライ」(『出版美術家連盟1955年鑑』、昭和30年) 下記のように古書データなどを探せば、作品はそこそこ集まるが、やはり略歴は分からない。 ・「裏窓6月号 女隠密・女スパイ特集/島本春雄 中島喜美/S32年」 ・「画:中島喜美「被虐の鹿…

またまた『出版美術家連盟1955年鑑』掲載挿絵紹介

田河水泡:画、『出版美術家連盟1955年鑑』(昭和30年) 田代光:画、『出版美術家連盟1955年鑑』(昭和30年) 田中比左良:画、『出版美術家連盟1955年鑑』(昭和30年) 田中武一郎:画、『出版美術家連盟1955年鑑』(昭和30年) ツゞキ敏:画、『出版美術…

なんとか縮刷版でもいいから『出版美術家連盟1955年鑑』を復刻出来ないものかと画策いたしておりますが、ブログ掲載でいいじゃないか、とのご意見もありました。ところが、日本出版美術家連盟会員の方々はブログで見る事が出来ない人が多いという事で、紙に印刷して復刻しようではないか、との話に向かって進んでいる。

佐藤春樹:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 志村立美:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 神保朋世:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 陣野重晴:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 霜野二一彦:画(『出版美術家連盟195…

続々『出版美術家連盟1955年鑑』掲載作品紹介

川原久仁於:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 木下欣久:画「子ねずみのるすばん」(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 木原三樹:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 木俣清史:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年) 栗原正幸:…