2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧
A4判32頁、全頁カラー、定価1,000円+税50円+郵送料80円=1,130円。 〒157-0068東京都世田谷区宇奈根1-21-6 スタジオ・リンクス 星様気付 日本出版美術家連盟事務局販売部 fax/03-3749-8669 mail/e-hoshi@theia.ocn.ne.jp>
「粋美挿画」創刊号表紙 「粋美挿画」巻頭特集、2-3p 粋美挿画」巻頭特集、4-5p 粋美挿画」巻頭特集、6-7p 「粋美挿画」巻頭特集、8-9p 「粋美挿画」第40回日本出版美術家連盟作品展出品作品
「坂上の雲」は産経新聞(夕刊)」に1968(昭和43)年4月22日 〜1972(昭和47)年8月4日にかけて、4年半にわたり計1296回連載された。構想期間も含めると10年間に及び、司馬遼太郎は40代のほぼすべてを費やしたという。この小説は1999(平成11)年から 2…
岩田専太郎や高畠華宵、手塚治虫、名取春仙、山口将吉郎、山川惣治、茂田井武、梁川剛一、齊藤五百枝、小松崎茂、志村立美などなどそうそうたる面々が登場するが、このような知名度が高く、画集や自伝、エッセイ集などの著作物がある場合は、略歴を作るのも…
表紙のデザインについて1号から3号まで表紙意匠を担当した朔太郎は「この雑誌の装幀は、表紙の意匠から釘装まで、僕がすっかり自分で考へ、ただ表紙に入れる絵だけを恩地孝四郎君に描いてもらった。」(「詩壇に出た頃」)と自分が装幀を担当していたことを…
恭吉は快諾するが、刊行を待たずに夭逝。孝四郎は恭吉の遺志を継いで編集、装丁、挿絵を引き受け、恭吉の遺作11点に、孝四郎の「抒情よろこびあふれ」など3点を巻末に載せ、およそ2年の歳月を経て刊行にたどり着く。 恩地孝四郎:装丁、萩原朔太郎『月に吠…
さらに「すぐれた芸術は万人に通ずる根源の生命を保持する。人々はより高き、より深き、より正しき、より美しき精神を以てその未来への生活を保たなければならない。芸術によつて生きる世界こそ人類が把握しうる幸福な世界がある。……万人の芸術を求めよ。」…
「“……若し夫れ兄の画才に至りては天稟(*てんひん=生まれつき備わっている才能)他人の企及するところにはあらず、無声の詩の文字今更深き意義あるを覚え申し候……”と書いてうゐるのもまんざらの世辞ではない。ただ、この言葉のなかの“画才に至りては天稟”と…
宇野浩二は『文学の青春期』に『春の巻』に関して多くの行を割いている。「夢二が自作の絵の版木をたくさんもってゐる、それをもちこんで来たのに心をひかれ、また、その絵がすきになり、あまりうれなくても、たいした損はしないといふほどのつもりで出した…
出典について「河本亀之助の事項については『河本亀之助追悼録』(1921年1月、河本テル発行)所収の、関寛之“河本亀之助氏の生涯”、高島平三郎“追想録”を参照した。」(木俣知史「スケッチという概念をめぐって─画文をつなぐもの」甲南大学紀要、2009-03-25…
小田氏の要約の方が簡潔にまとめられているので、そちらを紹介すると「河本亀之助は明治末期に築地印刷所の重役であった。ところが金尾文淵堂の金尾種次郎を信用しすぎ、大きな損害をこうむったために、印刷所を辞め、出版社の洛陽堂を始めることになった。…
そういう孝四郎が雑誌・公刊「月映」第V号(洛陽堂、1915〈大正5〉年3月)に発表した、日本近代美術史上最初の抽象作品と言われている「あかるいとき」にしても、「美術新報」第12巻第10号(東西美術社、大正2年8月)に掲載されたブールリツク(ブルリューク…
恩地は村山知義の著書『構成派研究』(中央美術社、1926〈大正15〉年2月)などを読んでいたと思われ、 「機械的要素の芸術への導入の次には芸術の機械化がくるのは当然である。芸術品の個々の手工芸的制作は中世期的であり、ブルジョア的であり、不必要なぜ…