挿絵:橋本関雪。関雪は1904〈明治37〉年、日露戦争開戦とともに、洋画家・山本芳翠、北蓮蔵、石川欽一郎、日本画家・村田丹蔵、寺崎広業、久保田金遷などと従軍画家として参戦、『ほかに「戦時画報」からは、小杉未醒が派遣され従軍した。
彦造は大正から昭和にかけて主に挿絵を描き活躍する。1925(大正14)年1月、「大阪朝日新聞」連載の番匠谷英一の戯曲「黎明」の挿絵を描いたのが処女作で、1925(大正14)年に、行友李風の小説「修羅八荒」の挿絵で評判を得、22歳という若さで挿絵画家としての地歩を築いた。剣の世界を躍動感あふれる筆致で描き、美貌の剣士が活躍する冒険活劇で人気を確立した。
挿絵:伊藤彦造、行友李風「修羅八荒」(朝日新聞、1925〈大正14〉年)