2009-01-01から1年間の記事一覧

これが、もう一冊の『善太と三平』、小穴隆一装丁版。

内容は、版画荘版の続篇に当たるようなもので、内容の重複はなく、新たな話が17篇掲載されていた。 小穴隆一:装丁、坪田譲治『善太と三平』(童話春秋社、昭和15年) 提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から小穴 隆一(おあな りゅういち…

装丁:川上澄生、坪田譲治『善太と三平のはなし』(版画荘、昭和13年)を古書価1000円で見つけた。保存状態はあまり良くないが、なかなか手に入らない本なので、この価格は掘り出し物といえるだろう。この本とよく似たタイトルで、小穴隆一:装丁、坪田譲治『善太と三平』という本を確か以前購入したように記憶していたので、同じ内容の本なら、二人の装丁家が同一テーマで競っているようで、比べてみたら面白いかも知れない、そう思って購入した。

装丁:川上澄生、坪田譲治『善太と三平のはなし』(版画荘、昭和13年) 川上澄生については、新潟県の美術館で見たりして版画家としての澄生は知っていましたが、装丁家としての仕事は萩原朔太郎『猫街』(版画荘、昭10年)、 『ゑげれすいろは人物』(濤書…

高橋春佳とおぼしきサインをもう一つ見つけた。三瓶一次『生活より祈りへ』(厚生閣書店、昭和3年)がそのサインが載っていた本。

高橋春佳:装丁? 三瓶一次『生活より祈りへ』(厚生閣書店、昭和3年) サインの拡大 残念なのは、この本にも装丁家名は記されていない。その上、イニシャルが似ているので不安にさせるような装丁家の名前が、巻末広告に記載されている。その名前は「松下春…

先日、装丁が気に入って購入してしまったが、誰が装丁したのか分らない、という話を書きましたが、その装丁とよく似た画風の絵ハガキを見付けました。サインも見ようによっては似ているように思いましたが、どうだろうか。

絵:高橋春佳、「年賀状/幾何学模様」(山口青旭堂、昭和初期頃?) 高橋春佳のサインの拡大。 装丁者不明、斎藤薫雄、梯一郎『児童陸上競技の指導と実際』(厚生閣、昭和4年) 『児童陸上競技の指導と実際』の背にあるサイン よく比べて見るとどことなく…

前回の続きで古書市での買い物4冊目は復刻本だが、与謝野鉄幹『紫』。この本は、与謝野晶子『みだれ髪』が三六判という当時としてはまだ奇抜な判型で刊行されたが、雑誌の予告では、この『紫』と同様の体裁で刊行される予定だったという事で興味があった。しかし、本物は3〜4万円もするので手が出せず、今回500円で購入できたので、これで満足することにして、本物の購入はあきらめた。

与謝野鉄幹『紫』(東京新詩社、明治34年)復刻版。 『明星』第13号に記載された『みだれ髪』刊行の予告では、 「女史の『みだれ髪』は本月二十日を以て発行いたすべく候。体裁は小生の『紫』と同一の体裁に成り、それに藤島氏の挿画を得て、桃色のリボンを…

伊上凡骨は、与謝野晶子『小扇』(金尾文淵堂、明治34年)、与謝野鉄幹・晶子『毒草』(本郷書院、明治37年)などで、彫師としてだけではなく、新たな版画の技法を創出して歴史に名を残す事になった。彫師の立場からの表現の可能性を追い求めた。具体的にいうと、藤島武二が描いた原画のもつパステル等のタッチを木版画でそのままに再現しようとしたのである。つまり、彫版の技法そのものが美術としての版画を創出できると考えていた。彫りの技法を高める事による、絵師、彫師、摺師の共同制作になる複製物制作という伝統的な木版画から、美術と

藤島武二:装丁、与謝野鉄幹・与謝野晶子『毒草』(本郷書院、明治37年) 刺激的なタイトルからは、二人の思い入れの程がうかがえる。読を振り撒く本というような意味合いがあるのだろうか。 朝鮮朝顔、毒茸、浦島草などの毒を含む植物を配している。チョウ…

先週、高円寺の古書市で購入してきた本の第3冊目はこれ。岸田劉生:装丁、武者小路実篤『第二の母』(聚英閣、大正8年)古書価800円。岸田劉生の装丁も好きなのだが、伊上凡骨彫刀とあるのが気になって購入してしまった。伊上凡骨は木版画の彫師だが、気骨のある彫師で、「伊上凡骨(いがみ ぼんこつ)1875‐1933明治-昭和時代前期の木版彫師。明治8年5月21日生まれ。24年に上京、初代大倉半兵衛に木版彫刻を学ぶ。33年「明星」の挿絵で注目される。水彩画や素描の質感を木版でたくみに表現した。「光風」の口絵、竹久夢二の

岸田劉生:装丁、武者小路実篤『第二の母』(聚英閣、大正8年)

平福百穂の装丁本を久しぶりに購入した。森川汀川『歌集 峠道』(古今書院、昭和7年)古書価300円(函付き)がその本。古今書院の「アララギ叢書」の第1篇「馬鈴薯の花」から「山下水」まで230篇が全部百穂の装丁かどうかを確かめてはいないが、このシリーズだけでも百穂の装丁本はかなりの数にのぼるものと思われる。架蔵書も100冊くらいはあるかも知れないので、百穂の話しにも挑戦して見たい。

森川汀川『歌集 峠道』(古今書院、昭和7年) 「平福百穂(ひらふく ひゃくすい)1877(明治10)年-1933(昭和8)年10月30日)は日本画家。画家・平福穂庵の四男として、秋田県角館(仙北市)に生まれた。本名は貞蔵。 幼い時から地元の豪商那波家のコレクシ…

アール・デコ風あるいは前衛美術風の装丁に見つめられるとつい「♪おじさん私をお家へつれてって〜♪」というメロディが頭の中を駆け巡り、気がつくと購入していることが多い。斎藤薫雄、梯一郎『児童陸上競技の指導と実際』(厚生閣、昭和4年)もそんな風にしてわが家の書棚に並んだ。しかし、問題がある。装丁家名がどこにも記されていないことだ。

タイトルの創作図案文字が何とも言えなくいいですね。ちょうどこの頃に、このタイトルのようなキネマ文字と呼ばれる映画のタイトルが盛んに使われていた。印刷物もキネマに負けじと創作図案文字の題字を作り出していたんですね。というより、創作図案文字の…

パロディは本歌取りか? パロディ事件と呼ばれる、マッド・アマノ(本名 天野正之、デザイナー)と 白川義員(写真家)との間で争われた日本における著作権等の侵害訴訟事件があるが、これは、本歌取りではないのだろうか。

「1970年1月、マッド・アマノが自身のフォトモンタージュをまとめた作品集『SOS』を出版。その一部が『週刊現代』1967年6月4日号に「マッド・アマノの奇妙な世界」として発表された。その中の1枚が白川義員撮影のアルプスを滑降するスキーヤーの写真をもとに…

本歌取りとは、

「和歌、連歌などの技巧の一つ。すぐれた古歌や詩の語句、発想、趣向などを意識的に取り入れる表現技巧。新古今集の時代に最も隆盛した。転じて、現代でも絵画や音楽などの芸術作品で、オリジナル作品へのリスペクトから、意識的にそのモチーフを取り入れた…

島木健作『随筆と小品』(河出書房、昭和14年)

の4点が『別冊太陽 青山二郎の眼』(平凡社、1994年)に掲載されている。 『別冊太陽』に掲載された写真と青山の絵が同じアングルである事から察して、一部は博物館まで足を運んで実物を模写したのではなく、恐らくは図録に掲載された写真を元に描いたのでは…

「日本映画」(大日本映画社、昭和18年)

青山二郎『眼の引越』(創元社、昭和27年)

室生犀星『純粋小説全集 弄獅子(らぬさい)』(有光社、昭和11年)

骨董陶器の伝説的な目利きとして高名な青山二郎だけあって、その能力を装丁にも応用して、装丁用に描かれた絵の多くは陶器に描かれた模様を模写したものが多い。青山が描いた装画の元となった陶器を探し求めたものが、「本歌取り」として、

表紙と背の資材の選択が美しいので、参考資料にと購入していた川端康成・川端香男里編纂『定本北条民雄全集下巻』(東京創元社、昭和55年12月20日)だが、これが青山二郎の装丁だとは気がつかなかった。小林秀雄が「並べるときたなくていかん」(『別冊太陽 青山二郎の眼』平凡社、1994年)といった青山の装丁とは、あまりにも異なる印象で、表紙の平には文字も挿絵もなく、すっきりとさわやかで清潔感溢れる見事な装丁に仕上がっている。

数日前に創元社東京支店の最初の一冊として『いのちの初夜』を紹介したが、青山二郎が装丁する創元社本の最初の本でもあった。因果なもので『定本北条民雄全集』上下巻は、恐らく青山二郎(1901年6月1日-1979〈昭和54〉年3月27日)の最後の装丁本ではないだ…

直木三十五『南国太平記』前編(誠文堂、昭和6年)には、装丁家名の記載はないが、青山二郎の初めての装丁本であるという、えびなのり氏の主張に耳を傾けて見よう。

「直木三十五の長篇『南国太平記』の前篇が出たのは、昭和六年(1931)年の四月で、四六判箱入の上製本。装幀者の記載はなく、中篇の中扉の対向にようやく〈装幀・挿絵 岩田専太郎〉と印刷される。扉の意匠は専太郎でいいにしても、表紙の図柄や線は専太郎の…

青山二郎の装丁の最盛期は、昭和10年代とも言われている。中野重治『子供と花』(沙羅書店、昭和10年)、中村光夫『二葉亭論』(芝書店、昭和11年)、中原中也『在りし日の歌』(創元社、昭和13年)、川上徹太郎『道徳と教養』(実業の日本社、昭和15年)などが、その代表的な作品だ。

中野重治『子供と花』(沙羅書店、昭和10年) 中原中也『在りし日の歌』(創元社、昭和13年) 中村光夫『二葉亭論』(芝書店、昭和11年) 川上徹太郎『道徳と教養』(実業の日本社、昭和15年)

青山二郎の装丁料がほぼ大卒の初任給と同じだ、と言う事が分ったが、時代によってものの価値観が違うので、それだけでは客観的な換算にはならないので、別の方法で換算して見よう。同一出版社からの出版物と言っても書物の価格は一定ではないので、この方法も的確な方法とは言えないかも知れないが、刊本の定価に換算すると何冊分だったのか、という事を計算してみよう。

手もとにあるのは ・北条民雄『いのちの初夜』(創元社、昭和11年)定價壹円三十銭 の場合だと、50円÷1.3円=約38.5冊分に相当する。 ・柳田国男『昔話と文学』(創元社、昭和13年)定價壹円貳十銭 の場合だと、50円÷1.2円=約41.7冊分に相当する。 北条民雄…

青山二郎と創元社東京支社との関係について

昭和11年、創元社東京支店の最初の一冊として刊行されたのが、北条民雄の『いのちの初夜』。この本は、北条民雄が20歳の時にハンセン病を発病、入院後に創作を開始し、1936年『改造』(1936年2月号)に発表、第2回の文學界賞を受賞した短編小説。小林秀雄の…

青山はまめな性格で、手がけた装丁のメモを「書物雑誌装幀書目」という台帳のようなものを作って記録しているので、「30冊位」というのは間違いはないだろう。

青山二郎「書物雑誌装幀書目」 青山の装幀について、師匠の中川一政は「小林秀雄の文芸評論集やジイド全集は、青山二郎の整本装釘によるものだが、文芸評論の菊判一杯に四号位の活字を使った組方など、なかなかゆっくりしていて立派である。むずかしい文章も…

青山が『文芸懇話会』で「もう三十冊位になるかしら」という、昭和11年までに装幀したという単行本は、

・直木三十五『南国太平記』前編(誠文堂、昭和6年) ・青山二郎『陶経』(私家版限定五十部〔二郎龍書房〕、昭6年) ・小林秀雄『文芸評論』(白水社、昭和6年) ・小林秀雄訳、ランボウ『酩酊船』(白水社、昭和6年) ・青山二郎『甌香譜』(工政会出版部…

青山二郎は、「青山学院」の取り巻きである小林秀雄、川上徹太郎とともに昭和12年に四谷愛住町に移転してきた創元社東京支社の編集顧問をしており、そのころから多くの創元社出版物の装丁を引き受けるようになる。地図で見ると、四谷愛住町と花園町は隣町で、徒歩でも7〜8分くらいの所で、今は曙橋や四谷三丁目が最寄り駅になっている。他にも松村泰次郎、高市菫生などの「青山学院」に出入りする社員がおり、創元社とは深い関係があったようだ。

「四谷わくわくマップ」(四谷地区協議会、新宿歴史博物館、平成21年)部分。ピンクの○にGとあるのが四谷花園アパートがあった花園東公園。右中央に緑色で愛住公園とあるあたりが、創元社東京支社があったところ。「それいけ!アンパンマン」のやなせたかし…

昨日、新宿区の開架式図書館へ行って、本を読んでいたら、たまたま座った席の脇の棚に、村上護『四谷花園アパート』(講談社、昭和53年)という気になるタイトルの本があったので、パラパラとめくって見た。なぜ気になったのかというと、私の事務所の最寄りのバス停が新宿花園だから、という単純な動機でしかない。読み始めたら、何と青山二郎の「青山学院」があったのが、この「四谷花園アパート」らしいということが分り、中原中也も一時住んでいて、小林秀雄らが出入りしていたという。この「青山学院」の話のことは、うすうすは知っていたが、

それまでは青山二郎の装丁にはあまり興味がなかったが、急に身近に感じてきたので、早速、「四谷花園アパート」があったらしい、花園東公園へ足を運んで見た。どこかに「四谷花園アパート跡」等の石碑でもないかと思って探して見たが、そんな案内表示さえも…

仕事で神保町へ行ったので、ついでに「本の手帳」8号の原稿をとりに古書「玉晴」さんへ足を伸ばす。原稿と一緒に、広川松五郎:装丁、依田秋圃『山と人とを想いて』(東邦堂、大正12年)をいただいた。

広川松五郎:装丁、依田秋圃『山と人とを想いて』(東邦堂、大正12年) 久しぶりに、広川松五郎の装丁本を入手したが、芸大の染織科の教授だった広川の装丁は、どれも魅力的でムラがなく、生真面目な性格が良く出ている。平成6年に作った架蔵する松五郎装丁…

浅間六郎『霧の夜の客間』(新潮社、昭和五年)は、佐野繁次郎が装丁した本の中では、かなり初期のものだがあまり知られていないようだ。最近では佐野繁次郎装幀本コレクションのバイブルのようにいわれている「佐野繁次郎装幀図録」(「spin03」みずのわ出版、2008.3)にも記載がなく、佐野本コレクションのカリスマ的存在になった執筆者の西村義孝氏のコレクションにも入っていないのではないかと思われる。

佐野繁次郎:装丁、浅間六郎『霧の夜の客間』(新潮社、昭和五年) 表紙には、貸本屋のラベルが貼られていて、表紙絵の女性の顔が隠れてしまっているのが何とも残念でたまらない。なんとかしてこのラベルをはがしたいのだが、力任せに剥がすと、この時代の紙…

昨日の「杉浦非水の眼と手」展(於:宇都宮美術館)の興奮が覚めやらず、古書市に行ってもつい非水の装丁本に目が行ってしまった。明治45年3月30日〜4月12日に開催された日本最初の装丁展とおもわれる「書籍装幀雑誌表紙図案展覧会」に出品された作品を探して、展覧会以前に刊行された非水装丁本を探しているが、これがなかなか見つからない。あったとしてもかなり高価な場合が多い。与謝野晶子『夢之華』(金尾文淵堂、明治39年)が18,000〜60,000円というぐあいに。

杉浦非水:装丁、福田重政『聖賢格言集』(杉本梁江堂、中山春秋社、明治45年2月20日) この本は展覧会開催の約40日ほど前に刊行されており、展覧会には出品されたものと思われる。非水のサインが見当たらないと思ったら、サインだけが表4にありました。こ…

11月21日、「杉浦非水の眼と手」展(於:宇都宮美術館)内覧会、レセプションに行ってきた。外環・大泉から東北自動車道・宇都宮まで約3時間。インターからは、車で約10分。一般駐車場からは美術館が見えず戸惑ってしまうほどに広大な敷地の森の中にあり、紅葉がきれいな時期で景観も最高でした。

紅葉が美しい宇都宮美術館駐車場附近 「杉浦非水の眼と手」展パンフレット 宇都宮美術館外観 宇都宮美術館入り口にある「杉浦非水の眼と手」展看板 窓からの風景も採光も美しい宇都宮美術館エントランス 「杉浦非水の眼と手」展パンフレット 「杉浦非水の眼…

与謝野晶子『みだれ髪』(東京新詩社、明治34年8月)には、藤島武二が描いた7葉の挿絵が挿入されている。目次には著者である晶子の目次よりも先に、藤島の挿絵の目次の頁があるが、これは晶子が、西欧の知識も豊かな画家・藤島をいかに尊敬しているかという証とも解釈できる。つまり、『みだれ髪』は与謝野晶子の句集というよりは、晶子と藤島との共同作業による画文集ということを考えていたのではないだろうか。

これは、複製絵画としての挿絵を単に文章を解説する絵ではなく、画家の一つの表現としての絵として認めていることといえる。藤島自身も、晶子の句の説明を越えた、文学と美術の共闘という視点に立った独自の解釈と表現を意識して描いているように思える。 藤…