2008-07-08から1日間の記事一覧

1930年代の民衆の表現への欲望を浮き彫りにし、思想性の違いを超えて迎えられた彦造のエロティシズム

石子順造は伊藤彦造の思想性の強い表現手段について「三・一五や四・一六の共産党の検挙や治安維持法の改定を引きついで、浜口首相が撃たれ、『満州事変』が始まり、十月事件から血盟団事件、五・一五事件、そして国際連盟の脱退から滝川事件、共産党の岩田…

前日のブログに、伊藤彦造は自分の挿絵の落款に「自一家成」とか「大和魂ヲ養成セヨ」「憂国の絵師伊藤彦造」などというメッセージを書き込み、一時ジャーナリズムから敬遠されていたが、昭和12年、吉川英治「天兵童子」の挿絵に伊藤新樹の名で再び返り咲いた、という話を書いた。

伊藤新樹とは「荒木大将にちなんで『伊藤新樹』と署名していた。」(石子順造『俗悪の思想』太平出版社、1971年)とあるように、荒木大将こと荒木貞夫に心酔してこのような雅号を使っていたようだ。 このことに関連して、彦造は「私の家はむかしから武人の家…