2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

髷物と呼ばれる時代小説の挿絵を描く画家が少なくなってきたのか、新装版では残念ながら表紙からも装画が消えてしまった。やはり時代小説の表紙は装画で飾っていただきたい。装画の魅力をぜひ見直して欲しい、そんな願いを込めて、本日購入したばかりの成瀬数富が描く4人目の「木枯し紋次郎」を紹介しよう。

成瀬数富:画、笹沢佐保『木枯し紋次郎 上州新田郡三日月村』(「時代小説文庫」富士見書房、昭和58年5月) 成瀬数富:画、笹沢佐保『木枯し紋次郎 赦免花は散った』(「時代小説文庫」富士見書房、昭和56年7月) 成瀬数富:画、笹沢佐保『木枯し紋次郎 六地…

はてなさん、記事の間に広告をいれるのは止めて欲しい。興ざめだ!

股旅物の挿絵では岩田専太郎にも引けを取らない堂昌一の装画もいいのでぜひご覧頂きたい。

紋次郎は上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれ、生まれてすぐに間引きされそうになる所を姉おみつの機転に助けられる。「間引かれ損ない」として薄幸な子供時代を過ごした紋次郎は、10歳の時に家を捨てて渡世人となる。 堂昌一は「七歳の時、父は他界した…

紋次郎の挿絵を見たいと思っても「木枯し紋次郎」の挿絵は今ではなかなか手に入らない。初出の挿絵が掲載された「小説現代」を探すとなるとなおさら難しい。古書店でもネットでも雑誌を扱う店が少ないからだ。挿絵を担当した挿絵画家の作品集、『岩田専太郎命作画集』(毎日新聞社、昭和49年)や『堂昌一挿絵画集』(ノーベル書房、平成4年)には「木枯し紋次郎」の作品が多少掲載されているが、B4判(257×364mm)と大きく扱いづらく価格もそれなりに高価だ。

単行本や文庫本にまとめられたときには挿絵が掲載されていないことが多い。そんな中、 堂昌一:挿絵、笹沢佐保『帰って来た紋次郎 悪女を斬るとき』(新潮社、1999年) は、7点の挿絵が挿入されているありがたい本だ。古書価400円で購入。 堂昌一:挿絵、笹…

挿絵が挿入されているもう一冊、

堂昌一:挿絵、笹沢佐保『帰って来た紋次郎 最後の峠越え』(新潮文庫、平成13年) にも挿絵が5点の挿絵が挿入されている。文庫判だが古書価100円とお買い得だ。 堂昌一:挿絵、笹沢佐保『帰って来た紋次郎 最後の峠越え』(新潮文庫、平成13年) 堂昌一:挿…

三代目「木枯し紋次郎」の挿絵は堂昌一によって生み出された。『堂昌一挿絵画集1992』(ノーベル書房、平成9年)には「木枯し紋次郎」(小説現代・河北新報、1975)と記されており、この制作年が正しければ第二代目なのかも知れないが、手元の資料不足でなかなか当時の「小説現代」での確認が出来ない。

堂昌一:画、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(小説現代・河北新報、1975) 堂昌一:画、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(小説現代・河北新報、1975) 堂昌一:画、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(小説現代・河北新報、1975) 堂昌一:画、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(小説現代…

これは、初代「木枯し紋次郎」。岩田専太郎:画、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(「小説現代」昭和47年2月~48年6月号)

縞の合羽に三度笠、弓懸け(手っ甲)、脚絆にわらじ履きの股旅姿という股旅姿だけではなく、身長、体重などの体型も「木枯し紋次郎」のイメージは専太郎によってほぼ完成されていた。 岩田専太郎:画、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(「小説現代」昭和47年2月~48…

今年初めて西部会館古書市に足を運んだ。最初に手にした雑誌に小林秀美;画、笹沢佐保「木枯し紋次郎 念仏は五度まで」(「小説現代」昭和50年7月号)を見つけた。小林は、岩田専太郎が昭和49年2月に急逝したため、その後継者として岩田が昭和46年3月から「小説現代」に連載していた「木枯し紋次郎」の挿絵を昭和50年3月〜52年1月まで担当することになった。その時小林が担当した二代目「木枯し紋次郎」の挿絵がこれだ。

小林秀美;画、笹沢佐保「木枯し紋次郎 念仏は五度まで」(「小説現代」昭和50年7月号) 小林秀美;画、笹沢佐保「木枯し紋次郎 念仏は五度まで」(「小説現代」昭和50年7月号) 小林秀美;画、笹沢佐保「木枯し紋次郎 念仏は五度まで」(「小説現代」昭和50…

伊勢田邦彦:画、野口活『新島襄』(「新偉人ロマンス」橘書房、昭和26年)を入手した。これまでは、伊勢田自身が『からくり黒兵衛』(児童憲章愛の会、昭和53年)に記載されているの略歴に、

1921年京城に生まれる。 京城師範学校(旧制)卒。 1947年より挿絵執筆。 1975年第3回作家クラブ賞(絵画部門)受賞。 出版美術家連盟理事。 と、書いているように、挿絵執筆は昭和22(1947)年に始まり、江戸川乱歩『怪人二十面相』(光文社、7月初版)が…

たった今、ネットで注文した日本の古本屋・千葉県の古書店から、「昭和17年は誤記で、ご指摘の通り昭和26年でした」とのメールがはいった。危うく間違った話を書くところだった。せっかくの推察が間違いだということが証明されてしまった。ショック!

伊勢田邦彦:画、野口活『新島襄』(「新偉人ロマンス」橘書房、昭和26年)

これが通信教育で学んだだけの新人の挿絵かと思われるほどに、デッサン力は秀でている。しかし、挿絵としては魅力に欠ける。標準レンズのカメラで同じアングル(目の高さ)で、人物が全身映るように撮影した素人写真のようで、画面構成は単純で人物の表情にも工夫がなく、読者を引き込むだけの力がない。

これまでデビュー作と思われていた江戸川乱歩『怪人二十面相』(『江戸川乱歩全集1』光文社、昭和22年)と比較してみると『怪人…』の方が、わずかに上達しているように見えるので、『新島襄』のほうが若いときに描いたものと推察される。

伊勢田邦彦(邦貴)のご遺族から送られてきた資料の中に、伊勢田邦彦・挿絵、海野十三「怪塔王」(「名作リバイバル全集11 海野十三傑作集1 』普通社、1962年)の原画が入っていたので一部を公開しよう。「怪塔王」初出は「東日本小学生新聞」(東京日日新聞社、1938(昭和13)年4月8日〜12月4日)に連載されたもの。いつか初出の時の挿絵を探しだし、並べて鑑賞したいものだ。原画は印刷物とは違い、ホワイト修正など苦心のあとを見ることができ、伊勢田の製作時の息遣いが聞こえてくるようだ。41歳の作品だ。

伊勢田邦彦・画、海野十三「怪塔王」(「名作リバイバル全集11 海野十三傑作集1 』普通社、1962年)原画 伊勢田邦彦・画、海野十三「怪塔王」(「名作リバイバル全集11 海野十三傑作集1 』普通社、1962年)原画 伊勢田邦彦・画、海野十三「怪塔王」(「名作…

伊勢田邦彦:画、横溝正史『大宝窟』(講談社、昭和51年)は「少年クラブ」(昭和28年1月号〜12月号)に連載されたものを文庫本にまとめたもので、21点の挿絵が再録されている。伊勢田が32歳のときの仕事である。『怪人二十面相』から6年が経過し、確かなデッサン力から生まれる顔の表情などは大きな進歩を成し遂げ、不安や恐怖感、緊張感など単なる描写だけでは表現出来ない空気や雰囲気までを見事に描き出している。やがて到来する第二次挿絵黄金時代に歩調を合わせるかのように、伊勢田の才能は着実に開花し始めている。

伊勢田邦彦:画、横溝正史『大宝窟』(講談社、昭和51年) 伊勢田邦彦:画、横溝正史『大宝窟』(講談社、昭和51年) 伊勢田邦彦:画、横溝正史『大宝窟』(講談社、昭和51年) 伊勢田邦彦:画、横溝正史『大宝窟』(講談社、昭和51年) 伊勢田邦彦:画、横…

挿絵画家・伊勢田邦彦(大正10〈1921〉年1月24日〜平成21〈2009〉年9月15日)の戦後最初の仕事と思われる20点の大きな挿絵が挿入されている江戸川乱歩『怪人二十面相』(『江戸川乱歩全集1』(光文社、昭和22年11月)。26歳の仕事である。戦前は紙芝居を描いていたとはいうものの戦時中のブランクを考えると挿絵の仕事では新人といってもよく、いきなりの大仕事が舞い込んだ。

前半の挿絵は本文を説明するだけで、挿絵としての魅力には欠けるが、後半に近づく従って登場人物の表情が豊かになり、画面の構成にも動きが出て迫力が増しているのが分かり、この一冊を見るだけでも伊勢田が1点ごとに魅力的な挿絵について追求し続けているこ…

しかし、ネットで検索したら伊勢田邦彦:挿絵、野口活『新島襄』(「新偉人ロマンス」橘書房、 昭17年)という児童書を見つけた。早速、注文した。本当に伊勢田のさしえが入っていたら、伊勢田自身の記憶を遥かに遡る昭和17年にデビューしたということになる。

もう一冊、江戸川乱歩『怪人二十面相』(『江戸川乱歩全集1』(光文社、昭和22年11月)もある。この辺が伊勢田の挿絵デビューではないだろうか。

昭和20年代後半から30年代は挿絵画家が大いにもてはやされた時期で、雑誌のインタヴュー等にも頻繁に登場した。伊勢田邦貴も例外ではなく、略歴を作る上では大いに助かっている。

「読切読物倶楽部」昭和29年6月号 「近代生活から生まれる健康な挿絵…… 現代もの、少年もの、はてはいくの・ひさしの別名で挿絵界に縦横無尽の活躍をされている伊勢田邦彦先生のお宅は東京渋谷代官山の近代洋風建築。この建物にいかにもふさわしいジャン・マ…

8月8日に購入した「幸せの葉っぱ」を、水に浮かべてちょうど1週間になる。まるで離れ小島のような雰囲気を醸し出してきた。

かつての挿絵画家たちは小説のタイトル文字まで書いていた。絵だけではなく文字にもさまざまな工夫を凝らし、レイアウトデザインもこなす、まさに総合的なデザイナーでもあった。印刷の時に別に書いたタイトルを組み込むのではなく、「片目の魔王」や「天馬少年」などは絵の一部として描き込み完全に馴染んでいるのがすごい。

伊勢田邦彦:挿絵、北條誠「悲恋星」(「東京」昭和28年2月号〜) 伊勢田邦彦:画、掲載紙・制作年不明 伊勢田邦彦:挿絵、北條誠「ただ一人の人」(「平凡」昭和30年5月号〜) 伊勢田邦彦:挿絵、阿部知二「九十三年」(「希望の友」昭和42年) 伊勢田邦彦…

本名・伊勢田邦男で描いた作品14点がでてきた。出版社などに売り込みにこれを持って行くプレゼンテイション用に描いたのだろうか、「ユーモア物挿絵見本」と書いてある。実際に印刷物に用いられなかったとしたら、一般の目に触れるのは今回が初めての可能性が強い。

画面の隅に2605とあるのは、おそらく昭和26年5月ということだろう。そうだとすると伊勢田30歳の時の作品だ。 伊勢田邦男:画「ユーモア物挿絵見本」(昭和26年5月) 伊勢田邦男:画「ユーモア物挿絵見本」(昭和26年5月) 伊勢田邦男:画「ユーモア物挿絵見…

挿絵画家・伊勢田邦貴の略歴を作ろうと資料をあさっていたら、伊勢田邦貴自らが作った手書きの略歴が出てきた。しかし年号はほとんど入っていない。

伊勢田邦貴自らが作った手書きの略歴タイプアップしてみよう。 年譜 大正10年(1921年)京城〈現ソウル〉生まれ 昭和?年(19?年)官立京城師範学校普通科入学 朝鮮美術展覧会入選 (普通科4年)2回 ( 5年) 演劇科1年中退 挿絵の通信教育(現在の日本通信…

挿絵画家・伊勢田邦貴(邦彦)のご遺族から送られてきた資料の中に、挿絵雑誌「さしゑ」(昭和30年4月1日創刊、発行所挿美会、発行人成瀬一富、編集人高橋加壽夫)を刊行した「挿美会会員名簿」が出て来た。13人のメンバーについては「さしゑ」1号にも掲載されているのですでに知ってはいたが、全員の住所が分かったのは、これが初めてだ。

「挿美会会員名簿」表面、1954年1月 「挿美会会員名簿」中面、1954年1月 「挿美会会員集合写真」(「さしゑ」1号。挿美会、昭和30年4月1日) 伊勢田邦貴:画、富沢有為男「金と雪」(「講談倶楽部」昭和29年2月号)、伊勢田33歳の時の作品だ。 伊勢田邦貴:…

挿絵画家・伊勢田邦貴(本名は邦男〈くにお〉)(大正10〈1921〉年1月24日〜平成21〈2009〉年9月15日、ペンネーム:伊勢田邦彦、幾野久、いくのひさし)のご家族から段ボール一箱分の原画を含むたくさんの資料が送られてきた。その中から、とりあえず作品抄録を作ろうとおもい、送って頂いた資料を漁っていたら、2000年「昭和ロマン館オープニング」に貸出した作品を控えたメモ帳が出て来た。

伊勢田邦彦作成、2000年「昭和ロマン館オープニング」に貸出した作品を控えたメモ帳 「昭和ロマン館オープニング」貸出作品控えメモ帳 「昭和ロマン館オープニング」貸出作品控えメモ帳 挿絵界にデビューした昭和23(1948)年から昭和44〈1969〉年までの21年…

日本出版美術家連盟理事・星恵美子先生から武部本一郎『SFアート傑作集1 火星の美女たち』(岩崎書店、1981年)が送られてきた。星先生の憧れのさし絵画家らしく、連盟の機関誌「粋美挿画」3号の「すばらしきJPALの先輩たち」の欄で、武部本一郎を取り上げてみませんか、というご提案のようだ。

武部本一郎『SFアート傑作集1 火星の美女たち』(岩崎書店、1981年) 浅学の私は、あいにく武部本一郎を全く知らずこの画集で初めて出会い、一気に魅せられてしまった。今日も E・R・バローズ『失われた大陸』、『火星の王女 (少年少女世界名作全集)』、『…

星恵美子先生から『FINAL LEGEND V』(インカ帝国、2011)を恵贈された。憧れだったという武部本一郎への傾倒ぶりがうかがえる作品集だ。

星恵美子『FINAL LEGEND V』(インカ帝国、2011) 星恵美子『FINAL LEGEND V』(インカ帝国、2011) 星恵美子『FINAL LEGEND V』(インカ帝国、2011)

鴨下晁湖(1890−1967年)明治-昭和時代の日本画家、挿絵画家。

明治23(1890)年2月25日東京に生まれる。本名は鴨下中雄。東京美術学校(現東京芸大)に学び、中退して、松本楓湖(ふうこ)に大和絵系の歴史画を学ぶ。後に、楓湖の師弟が多く集まる巽画会に入会し評議員を務めた。 1907年の第1回文展に『山法師』を出品し、3…

鴨下晁湖の作品図版付きで800字位の略歴を書くだけなので資料はほぼ揃ったのだが、つい勇み足で、どうも集めすぎているようだ。今日紹介する挿絵は平山蘆江「第二の世界」(『現代大衆文学全集續5』平凡社、昭和5年12月)。挿絵だけで読者を魅了するほどの力はまだ感じられないが、昭和3年38歳の時に描いたデビュー作と比較すると、この2年間で、与えられたスペースに対する画面構成感覚がだいぶ慣れてきたように思える。日本画家として成功していても、必ずしも挿絵を描けるとは限らない。この頃は帝展の常連でもあったが、まだ単に文章

鴨下晁湖:挿絵、平山蘆江「第二の世界」(『現代大衆文学全集續5』平凡社、昭和5年12月) 鴨下晁湖:挿絵、平山蘆江「第二の世界」(『現代大衆文学全集續5』平凡社、昭和5年12月) 鴨下晁湖:挿絵、平山蘆江「第二の世界」(『現代大衆文学全集續5』平…

挿絵画家・鴨下晁湖の資料がどんどん集まってきた。晁湖の挿絵界デビューは大佛次郎「市井鬼」(「文藝春秋」昭和3年1月号)だが、とりあえずちょっとずれたが「文藝春秋」昭和3年4月号を入手できた。

鴨下晁湖:挿絵、大佛次郎「市井鬼」(「文藝春秋」昭和3年4月号) 鴨下晁湖:挿絵、大佛次郎「市井鬼」(「文藝春秋」昭和3年4月号) 2冊目は、新・講談社の絵本『舌切雀』(講談社、2001年)復刻版。 鴨下晁湖:装画、新・講談社の絵本『舌切雀』(講談社…

今朝は4時30分に烏が鳴いた。これがいわゆる明烏(あけがらす)なのだろうか。吉原に遊びに行った者たちが帰り支度を始める目安でもあったらしい。時計代わりに起床時を知らせることでは一番鶏が知られているが、明烏よりも目覚めが悪く時間もあまり正確ではないのであまり信用は出来ないという。そこで明烏と一番鶏の声を聞いた時刻の空の様子を撮影して比較してみようと思い、とりあえず明烏の声を聞いた時の空の様子を撮影してみた。

2011年4時35分の空の様子 その後、5時30分まで待ったが一番鶏の声を聞くことが出来なかった。寝坊しているのか、留守なのか?

昨日紹介したのは新潮社版『眠狂四郎無頼控』だが、今日は桃源社版、御正伸:装丁、鴨下晁湖:挿絵柴田錬三郎『眠狂四郎無頼控』(桃源社、昭和46年)「剣の人々」「桃花無明剣」の2冊がネット通販から届いた。

御正伸:装丁、鴨下晁湖:挿絵、柴田錬三郎『眠狂四郎無頼控』(桃源社、昭和42年)、「剣の人々」「桃花無明剣」 新潮社版には挿絵が章扉ごとにタイトルの下に挿入されているのでサイズが小さく数も各巻15点前後だが、桃源社版は各巻二十数点が1頁大で挿入…

事務所の本の整理をしていたら、風呂場に積まれた本の中から、中尾進:装丁、鴨下晁湖:挿絵、柴田錬三郎『眠狂四郎無頼控』2巻、4巻、5巻(新潮社、昭和32年)が出て来た。いつ購入したのかも忘れていたが、古書価50円だ。『眠狂四郎無頼控』は「週刊新潮」に1956(昭和31)年5月より昭和33年3月まで100話連載され、挿絵を担当した66歳の晁湖にとっての挿絵の代表作品となった。

中尾進:装丁、柴田錬三郎『眠狂四郎無頼控』4巻、5巻(新潮社、昭和32年) 鴨下晁湖:画「夜鷹の宿」(柴田錬三郎『眠狂四郎無頼控』新潮社、昭和32年) 鴨下晁湖:画「海の亡霊」(柴田錬三郎『眠狂四郎無頼控』新潮社、昭和32年) 鴨下晁湖:画「運命図絵…