2007-07-01から1ヶ月間の記事一覧
装丁に於ける文字の重要性はいまさら私が声を大にして叫ぶべきものではなく、当然のこととして受け入れられてきている。 しかし、創作文字と装丁の関連については、これまであまり語られることななかったのではないかと思う。自分自身への反省も込めて、大正…
☆☆吉祥寺、古書・百年での講演会迫る!あせるぅっ!!講演会が今週金曜日、と迫ってきたが、自宅は改装中で隣の家で寝泊まりしている始末だし、事務所は本業で大忙し。5時からはというと、「図書設計」の編集、家に帰ると片隅にまとまられた家具のすき間で「…
●東郷青児の装丁本は戦前のものが好きだが……東郷青児装丁の「詩学」をたくさん入手しましたので、そのうち2冊を紹介します。 ・「詩学」(岩谷書店、昭和24年1月) ・「詩学」(岩谷書店、昭和24年10月) 戦後の東郷青児の装丁本はあまり好きではないが、「…
先日古書市で購入しようと思ったが、ちょっと待てよ、うちにもこの本あったような気がするな、とおもって購入をやめたのが写真の本だ。100円コーナーなので購入してしまおうと思ったが、同じ本が2冊になると、場所をとるので1冊はごみ箱行きになってしまうた…
昨年10月にハードディスクがクラッシュしてしまい、バックアップをとっていなかったため、恩地考四郎に関するすべてのデータを失い、その後ほとんど恩地の本を購入することはありませんでしたが、久しぶりに購入しました。300円ですが大満足で、かなり嬉しく…
本業の方がちょっと忙しかったことや、自宅の方もインテリア改装をしていて、引っ越しのような慌ただしさでした。そのうえ「図書設計」の編集、「本の手帳」4号の編集が始ったことで、自由時間が全くなくなっていました。この2週間ほどでオブジェも10個つく…
34年、25歳の春に再び上京して、向島弘福寺境内にある結城素明の家に寄寓する。田口掬汀の斡旋を受け新聲社から発行する文藝雑誌「新聲」の表紙絵、挿絵を描くようになる。挿絵家・百穂の誕生である。 「この年七月発行の同誌に彼は初めて『田澤の夕照』『夏…
*画家百穂の誕生と名前のいわれ「二十四年七月、秋田市の傳神画會が主催して秋田繪畫品評會を開き、審査員として京都の鈴木派の頭領鈴木百年、東京南畫界の重鎮菅原白竜龍を招いた。この品評會は穂庵追弔を目的としたのであるが、出品も數百點あり、なかな…
・小高根太郎『平福百穂』(東京堂、昭和23年) ・「雙杉 平福百穂追悼号」(芸艸堂、昭和8年) ・「アララギ 平福百穂追悼号」(アララギ発行所、昭和9年)本棚から1冊見つけ出す ・『平福百穂 婦人之友表紙画集』(婦人之友社、昭和50年) これはかなり豪…
書き文字5人衆に芹沢が選ばれていた事への感謝の印だそうだが、それでお礼をするとはよほど芹沢に入れ込んでいるようで、私の出る幕などはないかもね。というより、これは芹沢硑介装丁本の話を書くように、という圧力なのかも知れないな。 芹沢装丁本は高価…
百穂の自著『歌集 寒竹』(古今書院、昭和2年)は歌集なので装丁の話などはなくて当然かも知れないが、「巻末記」に、わずかに美術や装丁にふれている箇所を見つけた。 「明治三十二年の春に、東京美術学校選科を卒業して羽後角館の郷里に歸った。……三十四年…
架蔵書の平福百穂装丁本は結局41冊だった。かわじもとたか『装丁家で探す本─古書目録に見た装丁家たち』(杉並けやき出版、2007年6月)で平福百穂を検索して見ると73点記載されている。まだまだ古書市へ通わなければならないようです。