2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧
3年ほど前に「紙魚の手帳」に毎号10ページほど6回連載していた「挿絵家たちの署名」で、解読できない落款集というのををやった。今、その時の冊子をめくってみてもやはりわからないものはわからない。 いや、案外わかるのが増えているかも。結構進歩している…
この本にも下記のような検印紙が貼ってあり、鶴三の落款と思われる赤い印が押してある。気になるのはこの検印紙をつくった版画家だ。「S.M」と落款があるが、いったい誰が彫った版画なのか? う〜ん、昔、聖書を手描きで書いていた頃の写字生の絵で、かなり…
『現代名作名画全集 第一巻 宮本武蔵 石井鶴三集』(六興出版、昭和29年)の見返しに、かつてのこの本の所有者が貼ったと思われる、新聞か雑誌の切り抜きが貼ってあった。古本ならではのうれしい拾い物、思わぬ収穫だ。出典は不明だが、これが吉川英治が描い…
巻末に石井鶴三は「小生は前に一度挿絵集を出版したことがあるが、其時は不幸にして、本文作者との間に挿画に対する見解上相合はざるものありて、勢い其の出版が挿画の著作権を強調する如き性質を帯ぶるに至ったのであるが、此度の出版に於ては、かかる事も…
池中三樹/挿絵、『現代漫画大観』第8巻(中央美術社、昭和3年) 恩地孝四郎(1891年7月2日-1955年6月3日)の挿絵は、『長編小説全集』等でたくさん見かけることができるが、落款をなかなか見つけられなかった。こうなると意地でも見つけてやれ〜、とばかりに…
石井鶴三/挿絵、上司小剣『東京』(大鐙閣、大正11年) 石井鶴三/挿絵、『長編小説全集』16巻(新潮社、昭和3年) 新聞に掲載された絵を探していた私にとっては、ちょっと残念だったが、同じテーマので別の絵を見ることが出来たのはうれしく、ちょっと複雑…
「作と絵はそれぞれに対等の力と価値をもつものであらねばなければならない、──十年以前の新聞の続きものヽ殆ど大部分が、絵は作の従で、甚だしきははなはだしきは版下絵と呼ばれ、当の画家も本気で描かなかった、あれではならない──といふ一事でした。そこ…
挿絵/石井鶴三、『大菩薩峠』(光大社、昭和9年) 鶴三は「たとひ挿絵として描いたものであっても、それが其人の画である以上、つまり、他人の画を模したものではなく、画人が其人の画心のはたらきによりて画ける作である以上、それは明に画家の創作であり…
『石井鶴三挿絵集第一巻』(光大社、昭和9年) これが「挿絵事件」といわれるもので、介山と鶴三は挿絵の著作権を巡り10年にわたって争っていた。ことの発端は訴訟に発展する以前からくすぶっていた。 石井鶴三/挿絵、『石井鶴三挿絵集第一巻』(光大社、昭…
『大菩薩峠』は原稿用紙にすれば13,000枚にもなるかという記録的な大長編小説ということでも知られている。 (画像が見えたり見えなかったりしています。原因不明です。) 石井鶴三/挿絵、上司小剣『東京』(朝日新聞、大正12年) 石井鶴三/挿絵、中里介山…
挿絵/田中佐一郎、角川文庫『大菩薩峠』第10巻(昭和30年) 挿絵/清水錬徳、角川文庫『大菩薩峠』第11巻(昭和30年) 挿絵/横堀角次郎、角川文庫『大菩薩峠』第12巻(昭和30年) 13巻と14巻はともに正宗得三郎のサインだが、全く違うものになっていて、同…
新聞連載での第1回からここ「第六篇」まで挿絵を担当していたのは井川洗崖だが、井川洗崖が描いた挿絵を探しているが、なかなか見つかりません。 井川洗崖(いがわせんがい)1876-1961年、岐阜県生まれ。浮世絵師・富岡永洗に師事する。明治39年、介山とほぼ…
鶴三の挿絵は凸版での印刷技術をよく理解し、最も効果的な技法を使っているところに特徴がある。薄い色を使うと網点になってしまい、必ずしも思った通りの濃度が得られないので、濃い色を使ってスミベタと呼ばれる真っ黒で網点の入らない絵に仕上げているな…
『大菩薩峠』第1巻「甲源一刀流の巻」は明治45年(大正元年)、井川洗崖の挿絵を伴って都新聞の連載小説として始まった。新聞連載時の挿絵を見てみたいと思って探しているが、これがなかなか見つからない。 挿絵/井川洗突・野口昂明 他『大菩薩峠絵本 』(「…
木村武山(きむら ぶざん)(1876〜1942)茨城県笠間市箱田生。本名 信太郎。。明治23年(1890)上京し川端玉章に師事する。翌年東京美術学校に入学、29年卒業し、同校研究科で学ぶ。31年天心の率いる日本美術院に副員として参加する。39年日本美術院第一部(絵…
落款をテーマに書いているブログですが、落款がなくても見せたくなってしまう木村武山の挿し絵をお見せします。 上:『修養全集』第3巻(大日本雄弁会講談社、昭和3年) 下:『修養全集』第1巻(大日本雄弁会講談社、昭和3年) より。 これらの本には木村の…