2006-02-01から1ヶ月間の記事一覧

新たな1行が加わった 

昼休みに、目録を開いて照合したが、この本の記載はない。やった〜! こうして、製作中の「恩地孝四郎装幀作品リスト」に新たな1行がさらに加わった。

さらに越えなければならないハードルが 

購入するには、もう一つのハードルがある。この本が、果たして「恩地孝四郎装幀作品目録」(『装本の使命』)に記載されていたかどうかである。明らかに見たことはない本ではあるのだが、記憶が曖昧で、目録に記されていたかどうかまでは判断が出来ない。700…

黒い本には弱いんだよね 

片っ端から黒い本を手に取り恩地孝四郎の名前を探す。それらしい本があったので、目次や前書き、あとがき、奥付自社広告などから装丁家名を探す。『決定版現代日本小説全集第二巻 吉川英治集 檜山兄弟』(アトリエ社、昭和11年)の奥付に「装幀・恩地孝四郎…

安さにはかなわない 

恩地の装丁を1冊見つけたら、急いで出勤しよう、と強く心に念じて本棚を眺め回す。時間が気になるから結構急ぎ気味に眺める。そんなときに限って黒い本が沢山並んでいるんだよね。おまけに、古書価を知っている本がかなり並んでいるので、今日は安い!という…

300円均一でゲット

朝の通勤で急いでいるというのに、油を売っていけと誘惑する奴がいる。通勤路を遮るように新宿サブナードで、古書市をやっているではないか。意志が弱く、誘惑に弱い私は、ついふらふらと「古書浪漫洲」をのぞいてしまった。

アンディさんコメントをありがと〜う♪

アンディさんからまたも、貴重な情報が送られてきた。「最近ゲットした恩地目録に記載のない本をお知らせします」といって「高倉輝著作集第一輯「女人焚殺」大正11年 初版函天金 布装 アルス刊」のデータを送ってきてくれた。 私は、はじめて見るデーターで…

恩地孝四郎が、『アトリエ美術大講座』に「新傾向図案構成法」を執筆

『アトリエ美術大講座 図案創作法2 図案科』(アトリエ社、昭和11年12月)に恩地孝四郎が、「新傾向図案構成法」を執筆している。「凡て藝術である以上、新しいといふことの缺けてゐるものは既に価値がない。それらはたゞ存在してゐるだけのものにすぎない。…

『亜細亜詩脈』創刊号の表紙が送られてきた!

古本を集めていて最も嬉しいのは、あまり見かけることのない、集書目的にかなった本の情報が入ってきたり、あるいは実物が手に入ったりすると、考古学上の大発見でもしたかのような嬉しさが前身を襲う。おいらの手は、ゴット・ハンド!なんてね。 福岡市の創…

恩地孝四郎装丁の楽譜「歌謡名曲選2 朝はどこから」(日本放送協会、昭和21年6月)

♪「朝はどこから 来るかしら/あの空越えて 雲越えて/光の国から 来るかしら……」♪と、小学生の頃に口ずさんだ懐かしい歌だ。写真は、朝日新聞社選定、森まさる・作詞、橋本国彦・作曲の楽譜の表紙である。 四葉のクローバに、明日の夢を象徴させたのであろう…

恩地孝四郎装画「亜細亜詩脈」のコピーが送られてきた

福岡市の創言社・坂口さんから手紙と「博多版元新聞」と「亜細亜詩脈」という詩誌のコピーが送られてきた。 私がこの表紙を見るのは全く初めてで、もちろん誌名も知らなかった。恐らく発行部数も少なく、坂口さんの手紙によると「創刊は1926年10月、12月号ま…

あの玄文社か?

長谷川巳之吉が「自分が好きな文学や詩だけを創りたい」と第一書房を設立し、する前に勤めていたのが、たしか、玄文社という出版社だったのではないかと思う。そうだとしても、第一書房が第一冊目の松岡譲「法城を護る人々」を発行するのが昭和12年6月なので…

このミステリーじみた話も、じきに謎が解けた。

改造社版の序に「この本は最初大正十三年春友人内山理三氏にお頼みして玄文社から出させていたゞいたものでございます。ところが不幸にして玄文社は一時解散の止むなきにいたりましたので、この本もその後絶版のまゝになっていたものでございます。このたび…

恩地孝四郎装丁、吉田絃二郎『一人歩む』は2社から同時発売されていたのか?

1月30日、アンディさんからのコメントで、『一人歩む』が私が所有している本の他に、違う出版社からも恩地孝四郎装丁で発売されているという連絡をいただき、私もさっそく探し下記の2冊を入手した。 ・吉田絃二郎『一人歩む』(玄文社、大正13年1月17日初版…

広川松五郎装丁、クレエビイル、小松耕輔訳『音楽の聴きかた』(目黒書店、大正9年9月初版、大正10年11月3版)

広川松五郎の単行本の装丁としてはごく初期の傑作である。この頃の松五郎の装丁としては、室生犀星『抒情小曲集』(感情詩社、大正7年9月)があるが、復刻本もありこちらの方はよく知られている。 自費出版『感情』の表紙の装丁を手がけたのがやはりこの頃で…

恩地孝四郎の初期の装丁本『我等何を為すべき乎』(洛陽堂、大正4年12月初版、大正5年9月再版)を購入

『恩地孝四郎装本の業』(三省堂刊)では、『我等何を為すべき乎』の発行年を「T5」としていながら「奥付が欠けているため刊行月日不明」としている。 『恩地孝四郎装幀美術論集装本の使命』(阿部出版)も、同様に大正五年発行としているが、『恩地孝四郎装…

ビアズレイの挿絵を取り入れた雑誌の装丁 

『読書雑誌』(日本読書組合、昭和21年7月創刊号)は、ビアズレイの装画を取り入れた恩地意匠の表紙である。恩地はアールヌーボーにはあまり興味を示さず、前衛美術に走ったものとばかり思っていたが、どうしてどうしてしっかりと勉強していたようで、驚かさ…

恩地孝四郎装丁『おばあさん』『読書雑誌』

今までは戦前の本にこだわってを集めて来たが、恩地孝四郎の装本リストを作るとなると草もいっていられなくなってきた。今回掲載したのは、戦後間もなく発売された2冊である。 細川武子『お話 おばあさん』(東亜春秋社、昭和21年2月初版)は「東亜春秋社叢…

恩地孝四郎装丁、和田富子訳『タゴール有閑哲学』(朝日新聞社、昭和4年9月)

機械刷り木版画だろうか?見事な装丁だ。墨、薄紫、金泥の3色刷りにタイトル金箔押と印刷も豪華だ。表紙の中央やや上に黒で刷られたペーズリー模様は、見返しにも黄土色に色を変えて続いている。見返しも木版画のように見えるが、裏面にバレンでこすった跡が…

アンディさん興味深いコメントありがとう。

確かに『日本の古本屋」にも吉田絃二郎『一人歩む』(玄文社 、大13)4000円 というのが1件ありました。発行年月日が同じの異装本があるんですね。どこかなぞめいていますね。今ではこんなことは考えられないと思うのですが。誰か出版社に勤めている人がい…

○にmのモノグラム 

写真は広川松五郎装丁、松村英一『代匠記・考略解・古義 万葉集』(紅玉堂書店、大正14年3月第5版)である。表紙4の地から15ミリのところ中央にある○のなかにmのモノグラムが松五郎の印で、古書市ではこれを目当てに探しまくる。ちなみにこの本は高円寺の古…

広川松五郎装丁本に関しては第一人者の高村美佐さんにせまってきた〜!

高村美佐さんはかつて広川松五郎装丁本を「七十冊を確認した」(「いんてる」日本校正者クラブ、2001年)といっていた。「冊」というのは微妙な表現で、たとえばシリーズ本、上下巻、同じ装丁を流用している雑誌などをどのようにカウントしているのか、やや…

40冊を超えた広川松五郎の装丁本蒐集 

先日、広川松五郎の装丁本をやっと30冊集めることができた、と書いた。しかし、その後、『優勝者となれ』などを購入してリストに記入し、本棚に仕舞おうとしたら、すでにその本は本棚に並んでいた。 同じ本を2冊購入してしまうことはよくあることで、欲しい…

有川治助『ジョン・ワナメーカ人及びその事業』(改造社、昭和4年)が届いた!

先週金曜日に発注した『ジョン・ワナメーカ人及びその事業』が朝、事務所に来たら届いていた。さっそく懸案だった『ヘンリ・フォード』の広告を巻末で探してみた。や〜、あった、あった。さらに、装丁者の名前も小さく記されていて、晴れて、『ヘンリ・フォ…

広川松五郎装丁、渡辺素舟『現代日本の工芸美術』(図案工芸社、昭和3年)

広川松五郎が装丁した本がやっと30冊集まった。歌集とかは高価な本もあって、古書市で出会った本を全て購入しているわけではないので、まだまだ集まるものと思っている。「広川松五郎 高村豊周展」(新潟県立近代美術館、2000年)の図録には松五郎の装丁は「…

ネットで『ハーバート・フーヴァー大統領となるまで』『ジョン・ワナメーカ 人及びその事業』も入手!

ネットで検索したら、北海道のブックビックボックスにW・アーウィン 加藤三郎訳、『ハーバート・フーヴァー大統領となるまで』 (改造社、昭和4年、1,050円+送料)がヒットしたのでさっそく注文した。巻末広告があれば嬉しいのだが……。祈るばかりである。い…

恩地孝四郎装丁、有川治助『ヘンリ・フォード 人及び其の事業』(改造社、昭和2年12月初版、昭和4年3月52版)

前回『マーシャル・フィールドと世界一の大商店』でみたように、『ヘンリ・フォード 人及び其の事業』の装丁者は恩地孝四郎であることを確認できた。しかし、逆に『ヘンリ・フォード 人及び其の事業』の巻末広告を調べたが『マーシャル・フィールドと世界一…