2005-07-27から1日間の記事一覧
さらに「岡野他家夫のいうとり、彼の造本の全てが優れていたわけではない。しかしゲテ造本がマニアの所産にとどまらず、そこに一貫して無個性なマスプロ造本への抵抗の姿勢が観られることは誰しも否定できまい。彼の方法は、いささか陳腐ではあった。ミニ・…
昌三には、造本界批判やマスプロ造本へのアンチテーゼというような意味での反抗心はなかったのではないか、と思う。単純に本を通しての創作を楽しんでいたのであり、そうして出来た書物の方が、大量生産される画一的な書物より満足感を与えてくれたのではな…
「有隣堂の新刊紹介が独立して輸出ばかりの竹村商会ができ、そこで日本の書物の輸出を受持ち、この本はどのくらい送ったらよいか、これはあまり専門的すぎるので数は出ないなどと自分で考えてやっておりました。その時ロスアンゼルスの小野さんと直接交渉し…
『限定本』3(東京文献センター、昭和42年)に齋藤昌三夫人・千代の「夫・少雨荘を語る」というインタビュー記事を掲載している。夫れによると「もともと本が好きでしたから、私が嫁いでくるときには、大蔵省の役人で、役所から帰ってくると横浜の有隣堂へア…