批判的精神はあっただろうが

 
さらに「岡野他家夫のいうとり、彼の造本の全てが優れていたわけではない。しかしゲテ造本がマニアの所産にとどまらず、そこに一貫して無個性なマスプロ造本への抵抗の姿勢が観られることは誰しも否定できまい。彼の方法は、いささか陳腐ではあった。ミニ・コミに徹することにより、また廃物を利用することにより、現今の造本界に対蹠的ポーズを打ち出そうというのであり、ここには造本界の現実に対する積極的な働きかけが見られない。頭からアンチテーゼを打ち出すことにより反省を強いるという行き方であろう。ただし昌三にそれだけの抵抗心があったか、ときとして疑問になる。」と当時35歳の精鋭の士であった紀田先生は手厳しい。