齋藤昌三を仰天させた「マヴォ」

 
「……活字の組み方も横や逆轉の手間のかゝつた未來派的構成主義と稱する奔放ぶりで、繪と詩が主體となり、常識的には何が何ンだかエタイの判らぬ繪畫が多かった。殊に第三號は古新聞を綴合わせて、それに別刷りにした詩や繪を勝手に貼込んで本文としたり、踊りと題して同人の裸體の逆立の写真などアート刷りとしたりした。」と、齋藤もその奔放ぶりには舌を巻いている。
  
発禁になった第三号の表紙とは「表紙三分の一はどに紺紙を貼り、その上に商品用の符牒票二枚とカンシャク弾九粒と、女の頭髪と思はるゝもの一束が貼合わせてある。これが爆發物として發賣禁止になったのだが、仄かに聞いたことだが題名もオカシなものかも知れぬ。」と何から何までおかしなもののオンパレードのようで、ゲテ本の泰斗ともいうべき齋藤昌三をも仰天させている。
 
書影は齋藤昌三『げて雑誌の話』(青園荘、昭和19年