こんなところにアイディアが

shinju-oonuki2005-07-20


一見、なんの変哲もない装丁のように見えるが、これがなかなか一筋縄では行かない曲者なのである。背の部分に穴が空いているがこれは、虫に喰われたわけでも、後で傷をつけたわけでもない。資材を選択するときから承知していた傷なのである。このシミに食われたあとこそが、齋藤が苦心した所なのであろう。

表紙に使われている布は、伏見の酒造家増田信一氏の好意で集められた酒嚢を使っている。酒嚢についてはこの本の3年前に刊行した『紙魚繁昌記』に書いてあるようだが、あいにく所有していない。しかし、齋藤昌三「装釘自賛」(「書物展望」第二巻第三号、昭和7年)に、苦心談が詳しく書かれているので、一部を転載してみよう。
  
「よい内容を盛った随筆集は大衆的でないので部數は尠いが永久的生命はある。従って持久性のある裝釘であらねばならない。天性の不器用と繪心のない自分が偶然にもこれ等二三の裝釘を試みるに至ったが、最近の魯庵翁の『紙魚繁昌記』もその一つである。」と、重いイントロである。
 
「……こん度の『紙魚繁昌記』は題名からして苦しんだが、それが内容外観一齋の統一上には却って好都合でもあった。初め題名に就いては「書物展望」の同人間にもかなり意見はあったが、自分は、我を通して仕舞った。今になっても決して不釣合ひの書名ではないと信じているが、故翁の爲には冒とくの罪は免れない。
 
然し蠧魚に関した文稿であるからは、裝釘は東洋趣味の澁いものでやって見たいと思い、材料も最も堅牢質を選むと共に製本にも深甚の注意を加へて、誇大的に云へば群小亂出の出版は悉く癈滅する折が出現しても、この一本のみは永久に殘る位の自信のあるものにして見たいと迄考へたので、それには、いつか一度自著の裝釘にでも試験してみたいと思ってゐた酒嚢を此の際使用することが最も適切だと信じ、先ず東京堂製本部の仲村君を呼んで相談して見た
が、どうも質が強靱に過ぎて六ヶ敷いといふことだった。」何とも長いセンテンスだが、内容は、採用しなかった案の解説だ。
 
気を取り直して読み進んでみよう。「兎に角在來品でない所に興味もあるから篤くと研究して見て呉れと懇談して二三の見本を造らして見た。その結局は面白い効果があるように思へるからやって見ませうといふので、今度は材料の心配となってきた。幸ひ誌友の増田君といふのが関西の醸造家として知己でもあるので照會して見たら、物が物だけに進んで取揃へて進んぜようといふ返事に大體の安心は得られた。」