大貫伸樹の続装丁探索(齋藤昌三『書國巡礼記』)20

shinju-oonuki2005-07-29

齋藤昌三の書物随筆七部作といわれる本があり、昭和7年に刊行された『書痴の散歩』に始まり、『書國巡礼記』『書淫行状記』『紙魚供養』『銀魚部隊』『書斎隋歩』と続き、15年のブランクの後の昭和34年に『紙魚地獄』が刊行され、これ等をそう呼ぶようだ。『紙魚地獄』の発行は、斉藤が亡くなるのが36年11月なので、その1年前の発行となる。
 
齋藤昌三『閑版 書國巡礼記』(書物展望社昭和8年12月)は蚊帳を貼った装丁で、廃物利用のゲテ本として知られる。「巡礼を終えて」と題するあとがきに書かれた苦心談を読んでみよう。
 
「装幀に試みた蚊帳は、この夏腹案したもので、この寒さに向かって蚊帳でもあるまいと冷笑されやうが、ヒト様にはこんな失禮な裝幀を應用するのは申譯ないから、自分の物にするより他はないと決行したが、書物と夜、夜と蚊帳と、無關係でなくもないと勝手な理屈をつけて、自らの姿を影繪として、古くさい材料を活かす爲に、壁面に新しい洋畫を掲げて見た。従って背から裏表紙へかけては夜の感じを與へた?づくめとし、夜に因んで天銀とした。然し、どう考へても十二月の蚊帳では笑はれそうだ。そこで實は藏に納める意味で、外凾を昔風の土藏に見立てゝ、必要のない時は、いつでも蝕まれぬやうに収める事にした。だが、口さがない友人は云ふだらう。『藏のくの字もない身分で、もし有れば七ツやへ曲げ込むだらう』と。そう云われぬ先に、その通りその通りと斷って置く。」と、出来上がった艶っぽい表紙に照れているのか、弁解にどこか力が無い。
  
一説によると、蚊帳の中には奥方が待っているのにいつまでたっても中に入ってこない齋藤の姿を表しているとか。表紙の上に朱色の三角と帯があるが、蚊帳には確かにこのような補強のための布がついていた。
 
「とは云へ、これ丈ではどうも陰氣である。外が暗いから内には明るくといふので、見返しは光明色の和紙に、表紙との關係を多少に含めて陰陽に配し、自己の藏書票の中、爰にふさはしい四種を選ぶと共に、印譜を配合して、ようの東西を加味させた。藏書印の『會藏』は故堀碧堂作、他の三顆は岡村梅?君の作である。」
 
書影は齋藤昌三『閑版 書國巡礼記』(書物展望社昭和8年12月)