このわずかな紙魚(しみ)喰い後が……

  
さらによく見つめていると、裏表紙の紙魚の左下に、シミに食われた跡がある。タイトルや内容に相応しい紙魚に食われた跡のある紙を探し求めて、資材にしたのであり、これこそが齋藤が最も腐心したところなのだろう。
 
巻末の「普及版『紙魚繁昌記』の後に」には次のような一文がある。「裝釘に就いては、嚢のは翁の漫談酒樽の書斎からヒントを得て酒嚢應用は空前の賞讃を得たが、題名に因んで今囘も舊い蠧魚蝕ひ本を集めて表裝に利用して見た。従って前回同様一部も同一の表裝はないことになる。題簽に銀色を配したのも、この表装を活かす方便に蠧魚に因んだ色を選んだので、或いは澁過ぎたかも知れないが、本署には相應はしいかとも思ふ。見返しは翁の多くの印譜中から選んで案配して見たが、この方面に於ける翁の趣味の一端を窺ひ得らるれば幸ひである。」と、いつものような自画自賛混じりの装丁日記である。読者は当然前回の書物を知っているものとして書いているところが齋藤らしいところであり、ある意味ほほ笑ましくもある。