2009-12-02から1日間の記事一覧

青山二郎と創元社東京支社との関係について

昭和11年、創元社東京支店の最初の一冊として刊行されたのが、北条民雄の『いのちの初夜』。この本は、北条民雄が20歳の時にハンセン病を発病、入院後に創作を開始し、1936年『改造』(1936年2月号)に発表、第2回の文學界賞を受賞した短編小説。小林秀雄の…

青山はまめな性格で、手がけた装丁のメモを「書物雑誌装幀書目」という台帳のようなものを作って記録しているので、「30冊位」というのは間違いはないだろう。

青山二郎「書物雑誌装幀書目」 青山の装幀について、師匠の中川一政は「小林秀雄の文芸評論集やジイド全集は、青山二郎の整本装釘によるものだが、文芸評論の菊判一杯に四号位の活字を使った組方など、なかなかゆっくりしていて立派である。むずかしい文章も…

青山が『文芸懇話会』で「もう三十冊位になるかしら」という、昭和11年までに装幀したという単行本は、

・直木三十五『南国太平記』前編(誠文堂、昭和6年) ・青山二郎『陶経』(私家版限定五十部〔二郎龍書房〕、昭6年) ・小林秀雄『文芸評論』(白水社、昭和6年) ・小林秀雄訳、ランボウ『酩酊船』(白水社、昭和6年) ・青山二郎『甌香譜』(工政会出版部…

青山二郎は、「青山学院」の取り巻きである小林秀雄、川上徹太郎とともに昭和12年に四谷愛住町に移転してきた創元社東京支社の編集顧問をしており、そのころから多くの創元社出版物の装丁を引き受けるようになる。地図で見ると、四谷愛住町と花園町は隣町で、徒歩でも7〜8分くらいの所で、今は曙橋や四谷三丁目が最寄り駅になっている。他にも松村泰次郎、高市菫生などの「青山学院」に出入りする社員がおり、創元社とは深い関係があったようだ。

「四谷わくわくマップ」(四谷地区協議会、新宿歴史博物館、平成21年)部分。ピンクの○にGとあるのが四谷花園アパートがあった花園東公園。右中央に緑色で愛住公園とあるあたりが、創元社東京支社があったところ。「それいけ!アンパンマン」のやなせたかし…