平福百穂の装丁本を久しぶりに購入した。森川汀川『歌集 峠道』(古今書院、昭和7年)古書価300円(函付き)がその本。古今書院の「アララギ叢書」の第1篇「馬鈴薯の花」から「山下水」まで230篇が全部百穂の装丁かどうかを確かめてはいないが、このシリーズだけでも百穂の装丁本はかなりの数にのぼるものと思われる。架蔵書も100冊くらいはあるかも知れないので、百穂の話しにも挑戦して見たい。



森川汀川『歌集 峠道』(古今書院昭和7年


平福百穂ひらふく ひゃくすい)1877(明治10)年-1933(昭和8)年10月30日)は日本画家。画家・平福穂庵の四男として、秋田県角館(仙北市)に生まれた。本名は貞蔵。
幼い時から地元の豪商那波家のコレクションなどで、秋田蘭画を見て育ったが、1890年から父から絵を学びはじめる。同年末に父が急死すると、翌年から父の後援者の援助を受け、本格的に絵を学び始める。同じ年の秋に開かれた亡父の追悼画会で画才を認められ、「百年」の百と「穂庵」の穂を取って「百穂」と号す。 1894年に上京し、四条派の第一人者川端玉章内弟子となる。 明治30年(1897年)川端塾の先輩だった結城素明の勧めにより東京美術学校に入学。1899年卒業後、素明らと无声会を結成、日本美術院ロマン主義的歴史画とは対照的な自然主義的写生画を目指す。大正5年(1916年)金鈴社結成後は、中国の画像石や画巻、南画への関心を示す古典回帰が見られる作品を発表、やがて昭和7年(1932年)の「小松山」など、自然主義と古典が融合した作品を生み出すに至った。
一方で1903年頃からは伊藤左千夫と親しくなりアララギ派歌人としても活動、歌集「寒竹」を残す。(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)