表紙と背の資材の選択が美しいので、参考資料にと購入していた川端康成・川端香男里編纂『定本北条民雄全集下巻』(東京創元社、昭和55年12月20日)だが、これが青山二郎の装丁だとは気がつかなかった。小林秀雄が「並べるときたなくていかん」(『別冊太陽 青山二郎の眼』平凡社、1994年)といった青山の装丁とは、あまりにも異なる印象で、表紙の平には文字も挿絵もなく、すっきりとさわやかで清潔感溢れる見事な装丁に仕上がっている。


数日前に創元社東京支店の最初の一冊として『いのちの初夜』を紹介したが、青山二郎が装丁する創元社本の最初の本でもあった。因果なもので『定本北条民雄全集』上下巻は、恐らく青山二郎(1901年6月1日-1979〈昭和54〉年3月27日)の最後の装丁本ではないだろうか。青山二郎の装丁は、創元社にはじまり東京創元社(*)の装丁で終ったといえる。
(*)東京創元社は、1948年に創元社から同じ名前の創元社で独立(のれん分け)し、1954年に株式会社東京創元社として発足した。



青山二郎:装丁、川端康成川端香男里編纂『定本北条民雄全集下巻』(東京創元社、昭和55年12月20日



青山二郎:装丁、北条民雄いのちの初夜』(創元社昭和11年


昭和11年創元社東京支店の最初の一冊として刊行されたのが、北条民雄の『いのちの初夜』。この本は、北条民雄(1914年9月22日-1937年12月5日)が20歳の時にハンセン病を発病、入院後に創作を開始し、1936年『改造』(1936年2月号)に発表、第2回の文學界賞を受賞した短編小説。小林秀雄の尽力により創元社がその版権を手に入れることができたが、小林秀雄はすでに昭和9年ごろから創元社東京支店長・小林茂の相談役になっていた。