11月21日、「杉浦非水の眼と手」展(於:宇都宮美術館)内覧会、レセプションに行ってきた。外環・大泉から東北自動車道・宇都宮まで約3時間。インターからは、車で約10分。一般駐車場からは美術館が見えず戸惑ってしまうほどに広大な敷地の森の中にあり、紅葉がきれいな時期で景観も最高でした。



紅葉が美しい宇都宮美術館駐車場附近



「杉浦非水の眼と手」展パンフレット



宇都宮美術館外観



宇都宮美術館入り口にある「杉浦非水の眼と手」展看板



窓からの風景も採光も美しい宇都宮美術館エントランス


「杉浦非水の眼と手」展パンフレット



「杉浦非水の眼と手」展パンフレット


学芸員さんのご好意?で、館内で自由に写真が撮れる腕章を付けていただきましたが、だからといって撮影した展示内容の写真をブログに掲載してしまうのは気が引けるので、パンフレットに掲載されたものだけに自粛しています。



「杉浦非水の眼と手」展レセプション、この時に地震があった


レセプションの最中に地震があり、非水の夢がやっとかなってドイツへ旅行に行った時に、関東大震災の報を受け急遽帰国する羽目になった時のことを思い起こし、偶然にも自然がプレゼントしてくれた見事な演出となった。


展示内容は、ポスターや雑誌、非水自身がコレクションしたポスター、装幀原画、スケッチなど初めて公開される作品も多く、400数十点にも及ぶという膨大な量の作品群は、よくぞこんなにもたくさん制作したものだ、と感心させ、見る者を圧倒する。


私が一番に興味を持ったのは、日比谷図書館で明治45年に非水の装丁作品を集めて開催された「書籍装幀雑誌表紙図案展覧会」の出品作品一覧がないものか、といういことだったが、図録などは作られなかった可能性が高い事がわかった。今回の展覧会を担当した学芸員の前村文博さんによると、図録に書かれている内容は、残された展覧会の写真や新聞での展覧会の評論、非水の自伝などから展覧会の様子を推察したものだという。



「杉浦非水の眼と手」展図録より、写真1



「杉浦非水の眼と手」展図録より写真2


上記の2点のような写真の中から、展覧会に出品された作品を解読していくのだそうだ。この写真は会場に床から天井まで、明治45年に展示会が開催された時のようにほぼ実物大に拡大されて展示してあるのが印象的だった。単行本は、ケースの中に入っている。


写真1は、かつて三越のホームページにアップされていたのを見たことがあるが、写真2は初めて拝見した。公開されるのもおそらく初めてなのではないだろうか。この写真の公開のおかげで「書籍装幀雑誌表紙図案展覧会」復元に向けての私のテーマが一歩前進できたような感じがした。アルバムごと展示されていたが、展覧会の写真はこの2点だけなのだろうか。そう思うと他の頁もめくってみたいという気持ちが強くなり、学芸員に頼んでみようかな、と、フトドキな考えがよぎった。が、遠慮してしまった。


非水の写真は会場で始めて見たので、服装を真似して行ったわけではないが、偶然にも非水のように私もハッとをかぶっていたので、図書館員の方からは珍しくコスプレで会場に来るほどの非水ファンのように見えたのだろうか、写真撮影が許される腕章を付けてくれた。熱烈なファンであることは間違いなく、図書館員の酔眼には敬服するばかりだ。おかげで、展覧会場内での400枚にも及ぶ写真を撮影することが出来た。



「杉浦非水の眼と手」展入り口での筆者


もう一つ、期待を込めていたのは、杉浦夫人翠子との共同作業となる、非水が装丁を担当した翠子の作品についてだが、こちらも、これからの研究に期待をするということのようだった。


単行本の展示についてもかなりたくさん展示はされてはいるものの、数としては、まだまだ十分とはいえないように見受けた。非水は毎年たくさんの装丁作品を残しており、蒐集が充実すれば、明治・大正・昭和初期の美術史とリンクしている点で、美術史上における装丁の重要性が理解認識されるものと思っている。さらに装丁こそは非水の興味の変化を詳細に追うことが出来る最も適している資料だと思っている。


全体としての印象は、ひとりの人間がよくこんなにもたくさんの作品を生み出したものだ、と驚かされたことだ。そして一つ一つの作品の完成度が高いのも、超人的な非水をあらためて見せつけられた思いだ。