水木しげるが描くとこうなる『丹下左膳』


これまでいろいろな画家・イラストレータ・漫画家が描いた左膳をみてきたが、水木しげるが描くと、どことなくお化けが出てきそうな背景に水木の確かな特徴と存在感を感じる。植え込みの陰から半分顔を出しているところなどはどことなくユーモラスで、漫画家らしい。


右の腰に帯刀しているところをみるとやはり水木も映画の影響を受けているものと思われる。頑強な体格はどことなく大河内傳次郎風でもある。



『一人三人全集II』(河出書房新社、昭和45年)


左膳の本来の容姿は「枯れ木のような、恐ろしく痩せて背の高い……赤茶けた髪を大髻に取り上げて、左目はうつろに窪み、残りの、皮肉に笑っている細い右目から口尻へ、右の頬に溝のような深い一線の刀痕が眼立つ」と言うように、細身の背の高い赤毛の外国人の血が混じってるかも知れないな、と思わせるような風体なのだ。頬がこけているくらいでないとね。太った「ニヒルな剣士」ってのは、ないでしょう。ちょっといただけませんね。



月報(『カラー版・国民の文学10 林不忘』河出書房、昭和43年)


「カラー版・国民の文学月報 第6回配本」に「戦後歴代の丹下左膳俳優」が顏写真入りで掲載されている。キャプションには「右上より、大河内傳次郎、坂東妻三郎、水島道太郎。中上より大友柳太郎、丹波哲郎中村錦之助、。左上より中村竹弥、松山英太郎(TBS放映中)」とある。昭和43年に松山英太郎丹下左膳を演じていたんだ。私はちょうど予備校通いで単独上京したばかりで、テレビなどはなかった。


中村竹弥って、ちょっと肥満気味ではなかったかな? この写真では大友柳太郎か丹波哲郎あたりがよいかと思いますが、あなたは誰をお好みですか?


私がキャスティングするとしたら、今のタレントで選ぶと阿部寛とか照英のような感じ。オダギリジョー高橋克典もいいかな。日ハムの投手ダルビッシュなら申し分なしだ。



「裾に女物の下着がちらちらする」とあり、この辺は小田富彌も志村立美もしっかりと強調して描いていたが、挿絵家ではなく漫画家として売れっ子の水木に、分厚い全集の中に口絵を4点だけ描かせるというのは、無理があったのかも知れない。全集を読んで4点しか描かないのでは……。


ゲゲゲの鬼太郎』は年、劇画路線を推進していた『週刊少年マガジン』で読み切り作品『墓場の鬼太郎』「手」が掲載された。鬼太郎作品、初の大手出版社雑誌掲載である。当初は不定期掲載で人気も出ず、3話で打ち切りを検討された。だが夏休みが終わる時期に、当時の貸本読者や大学生たちからの激励の葉書が届き、打ち切りは回避された。


1968年に、タイトルを『墓場の鬼太郎』から『ゲゲゲの鬼太郎』にかえることでスポンサーの了解を得て、テレビアニメ化を果たす。それに合わせて1967年『少年マガジン』11月12日号から作品名を『ゲゲゲの鬼太郎』と改題。こうして『ゲゲゲの鬼太郎』は水木の代表作として広く知られる様になっていった。


1969年、人気絶頂の最中に『少年マガジン』の連載が終了。連載やアニメ放映の終了後も、人気は衰えず、ブームが冷めやらぬ1971年に再びテレビアニメ化された事に合わせて、小学館の『週刊少年サンデー』で新作が描かれた。


この丹下左膳の絵が描かれた1970(昭和45)年は、『少年マガジン』から『週刊少年サンデー』に移行する時に描かれたもので、鬼太郎がメジャーになり水木の絶頂期に描かれたものだ。全集なんか読んでいる暇なんかないよね。