『丹下左膳』は、初めは昭和2(1927)年10月15日、東京日日新聞に『新版大岡政談・鈴川源十郎の巻』として連載がはじまり3年5月31日に完結する。昭和5年『続大岡政談』として再び同新聞に登場した。昭和8年6月7日、大阪毎日新聞、東日に再再登場した時に題名を『丹下左膳』と変更した。明るく正義感の強い諏訪榮三郎は、陰気な極悪人丹下左膳に人気の座を奪われてしまったということなのだろうか。


その後、昭和9年1月から9月まで『新講談丹下左膳』を読売新聞に連載した。これが「こけ猿の壺の巻」と「日光の巻」となるが、これらは一つの話で、のちに「こけ猿の巻」に統合される。「新版大岡政談・鈴川源十郎」は「丹下左膳・乾雲・坤竜の巻」と改題され、「丹下左膳・こけ猿の巻」とあわせて、『丹下左膳』と呼ばれている。


円本全集の一つでもある『現代大衆文学全集』全60巻は、1927(昭和2)年5月の第一回配本から毎月一冊、5年間に渡って平凡社から発行された。1冊あたり1円、四六版でほぼ1,000ページという大部のものだ。その中に続第1巻「林不忘集、新版大岡越前・つづれ鳥羽玉」があり、「新版大岡越前」の挿絵は山口草平が描いている。


林不忘の原文には、この時の左膳の刀に関する説明はない。挿絵家たちが勝手に想像を巡らし描いたのだろう。



挿絵:山口草平、林不忘『新版大岡政談』(『現代大衆文学全集 続第1巻』平凡社昭和5年


上記の挿絵は、道場破りの場面だ。前日、小田富彌、志村立美が描いた看板を抱えている挿絵は、同じ場面なので、比較してみると、三人三様の解釈があり面白い。小田富彌の絵では、大刀を1本しか持っていないが、山口草平と志村立美の絵では、大刀と脇差をさしている。


ちょっと待てよ、確か道場内では真剣は使っていないはずだが……。この場面で刀を使った挿絵は間違いではないだろうか? 装丁装画の場合はイメージ画とも考えられるので、必ずしも間違いとはいえない。 



志村立美が描いた『丹下左膳・乾雲坤竜の巻』(寶雲舎、昭和24年)では、腰には大刀のみで、手には木刀を持っている。私はこれが一番内容にふさわしい挿絵ではないかと思っている。「左膳は、そこらの木劍を振り試みて、一本を選み取ったかと思ふと、早やスウッ! と伸びて棒立ち。」と、道場にあった木刀で徹馬と戦ったと記してある。




ついでにもう一点競作させてみよう、と思った。が、小田富彌の挿絵が見つからず少し寂しい。下記の2点は山口草平と志村立美が描いたもので、左膳が「こらッ、お藤! 誰の差金で刀のさまたげをしたか、それを吐(ぬ)かせ!」と、叫びざま左手に髪を巻きつけ引き摺り廻す……。左膳を慕うお藤を折檻(せっかん)している場面だ。



挿絵:山口草平



挿絵:志村立美