その後、昭和9年1月から9月まで『新講談丹下左膳』を読売新聞に連載した。これが「こけ猿の壺の巻」と「日光の巻」となるが、これらは一つの話で、のちに「こけ猿の巻」に統合される。「新版大岡政談・鈴川源十郎」は「丹下左膳・乾雲・坤竜の巻」と改題され、「丹下左膳・こけ猿の巻」とあわせて、『丹下左膳』と呼ばれている。
円本全集の一つでもある『現代大衆文学全集』全60巻は、1927(昭和2)年5月の第一回配本から毎月一冊、5年間に渡って平凡社から発行された。1冊あたり1円、四六版でほぼ1,000ページという大部のものだ。その中に続第1巻「林不忘集、新版大岡越前・つづれ鳥羽玉」があり、「新版大岡越前」の挿絵は山口草平が描いている。
林不忘の原文には、この時の左膳の刀に関する説明はない。挿絵家たちが勝手に想像を巡らし描いたのだろう。
挿絵:山口草平、林不忘『新版大岡政談』(『現代大衆文学全集 続第1巻』平凡社、昭和5年)
上記の挿絵は、道場破りの場面だ。前日、小田富彌、志村立美が描いた看板を抱えている挿絵は、同じ場面なので、比較してみると、三人三様の解釈があり面白い。小田富彌の絵では、大刀を1本しか持っていないが、山口草平と志村立美の絵では、大刀と脇差をさしている。
ちょっと待てよ、確か道場内では真剣は使っていないはずだが……。この場面で刀を使った挿絵は間違いではないだろうか? 装丁装画の場合はイメージ画とも考えられるので、必ずしも間違いとはいえない。
志村立美が描いた『丹下左膳・乾雲坤竜の巻』(寶雲舎、昭和24年)では、腰には大刀のみで、手には木刀を持っている。私はこれが一番内容にふさわしい挿絵ではないかと思っている。「左膳は、そこらの木劍を振り試みて、一本を選み取ったかと思ふと、早やスウッ! と伸びて棒立ち。」と、道場にあった木刀で徹馬と戦ったと記してある。
ついでにもう一点競作させてみよう、と思った。が、小田富彌の挿絵が見つからず少し寂しい。下記の2点は山口草平と志村立美が描いたもので、左膳が「こらッ、お藤! 誰の差金で刀のさまたげをしたか、それを吐(ぬ)かせ!」と、叫びざま左手に髪を巻きつけ引き摺り廻す……。左膳を慕うお藤を折檻(せっかん)している場面だ。