あの伊達得夫の出版社・書誌ユリイカ本、矢代静一『壁画』(書誌ユリイカ、1955(昭和30)年)を200円均一本の中から見つけた。この本は第一回(1955年)岸田國士戯曲賞・佳作でもある。巻末には「限定500部刊行のうち本冊は第250番本に当たる」とあり、万年筆で書いた矢代静一の直筆サインが入っている。


矢代静一は 『写楽考』(河出書房新社、1972年、翌1972年読売文学賞受賞)、『淫乱斎英泉』(河出書房、1975(昭50)年)などで知られる。



背の布が半分ほど虫に喰われてしまったのか劣化したのか、芯ボール紙がむき出しになっているが、この本は、たとえ価格が4,000円でも購入したかも知れないほど、うれしい掘り出し物だ。装丁家名が記されていない場合は殆ど社主である伊達得夫が装丁したものと思われる。表紙のセンターに金箔押した矩形があるだけだが、いざやってみると、それが意外に難しい。


函の左上に貼り題簽が小さくおさまっているのも伊達らしい小粋な意匠だ。黒い紙をはさみで切り抜いたような不定形の矩形に個性が光っている。段ボールの函というのもこの時代には珍しいのではないだろうか。特に装丁に使うのは珍しい。


国産段ボールが普及するようになったのは1909(明治33)年井上貞治郎が国産ダンボール紙を技術的に完成し、1920年大正9年)聨合紙器(今のレンゴー)が設立されてからだが、途中第二次世界大戦があり1955(昭和30)年ころにはまだそれほど段ボールは普及していなかったのではないかと思われる。


デザインから素材選びまでこだわりにこだわり抜いた、このシンプルでしゃれた装丁は伊達が手がけたものに間違いないとおもう。