一方、華宵がいなくなり発行部数が落ちてしまった『少年倶楽部』の編集長加藤謙一は、華宵と親しかった野間清治社長に相談したが「一人のスターに頼っているから、こんなばかげたことになるんだ。雑誌は挿絵で売るんではない。活字で売るんだ。」(『少年倶楽部時代』)と一括される。『少年倶楽部』はこの時から、読み物に重点を置く編集方針に変更し、新しい才能の発掘に東奔西走した。その結果児童出版史上に残る『少年倶楽部黄金時代」を築き上げる。


吉川英治神州天馬侠」、挿絵:山口将吉郎
高垣眸龍神丸
佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」「紅顔美談」「少年讃歌」「一直線」
山中峯太郎「的中横断三百里
などが連載され、読み物中心の内容本位の構成になり、次第に落ち込みは回復し、ついには昔日をしのぐ部数を見るようになる。


挿絵家は、華宵の画風に近い山口将吉郎、伊藤彦造を初めとして、斉藤五百枝、樺島勝一岩田専太郎、林唯一、河目悌三、羽石弘志、田中良、田代光、伊藤幾久造、梁川剛一などを新たに採用し、世に送り出すことになる。これらの挿絵家たちの活躍は、華宵の抜けた穴埋めの役割を十分に果たしてなおあまりある。
ここに、これまでにない昭和初期の特徴的な細密描写による迫力ある魅力的な挿絵を誕生させることになる。



挿絵:山口将吉郎、吉川英治神州天馬侠』(『少年倶楽部大正14年8月号)



挿絵:山口将吉郎、吉川英治神州天馬侠』(『少年倶楽部』大正15年7月号)



挿絵:伊藤彦造吉川英治『天兵童子』(『少年倶楽部昭和12年



挿絵:伊藤彦造吉川英治『天兵童子』(『少年倶楽部昭和12年
山口将吉郎も、伊藤彦造もこの迫力だ。決して華宵の力量に劣るものではないのは、ここの掲載した挿絵だけでも十分に伝わるのではないだろうか。




挿絵:樺島勝一山中峯太郎「的中横断三百里」(『少年倶楽部昭和5年
これが目に入らんか、といいたくなるほどの樺島勝一の挿絵。写真ではないかと思わせるほどの細密画だ。これらの挿絵が昭和初期に主流のスタイルとなり、一つの表現スタイルとなって確立される。