正論だが、説得力に欠ける

 
齋藤の指摘は正論だが、ちょっと待った!といいたい。確かに『げて雑誌の話』では金属を鋲を打って留めており、一見非の打ち所のない本のように見えるが、なぜか批判のまな板に登らない。それは、装丁として批判のまな板に乗せるほど面白い試みではなかったということでもある。
 
機能的でないところは確かに齋藤の云う通りだが、『時計』の面白さは、布と金属と赤いセロファンという異なる素材を組み合わせ、装丁にはかつて経験のない金属という素材を持ち込んだところが何とも斬新で、ゲテ本の代表格の面白さがあるのである。
 
これは、佐野がパリで学んだパピエコレ(コラージュ)という新しい美術の表現方法で、この手法を用いた作品もある。そんな佐野がファインアートの作品でも表現手段としている手法で創作された本としてみると、何とも芸術的な馥郁たる香の漂う装丁といえないだろうか。所詮、画家は言葉で作品を説明するのを嫌うもので、作品が全てを語っているとでも言いたげである。