2005-08-03から1日間の記事一覧

齋藤も一目置いていた?

齋藤は、この装丁を見て、「やられた!!!」と思ったに違いない。怒りの根源はコンプレックスだったのではないだろうか。そんな意味では、『時計』はあの齋藤が最も気になる装丁であり、一目置いた装丁ともいえる。 書影は佐野繁次郎装丁、横光利一『時計』…

正論だが、説得力に欠ける

齋藤の指摘は正論だが、ちょっと待った!といいたい。確かに『げて雑誌の話』では金属を鋲を打って留めており、一見非の打ち所のない本のように見えるが、なぜか批判のまな板に登らない。それは、装丁として批判のまな板に乗せるほど面白い試みではなかった…

児戯にちかい?『時計』の装丁

「書物展望」第46号、湘雨荘痴人「机邊新景」にも、『時計』に対する批判が掲載されている。同じ冊子に2度も同一本の批判を乗せるとは、齋藤はよほどカンに障ったようだ。 「横光利一氏の長篇創作としての『時計』は、『婦人の友』時代からレベルの高いもの…

アルミ装の嚆矢『時計』に怒る齋藤

ゲテ装本として、これまでに多くの人に批判のまな板の乗せられてきた書物の中で、最も登場回数の多いのは、『西園寺公望』『春琴抄』『時計』だろう。自慢すべきかどうかは、判断に悩むところだろうが、とにかくこれらを三大げて装本といってもいいだろう。 …

大貫伸樹の続装丁探索(齋藤昌三『書國巡礼記』)21

かつて表紙のアルミを使った齋藤昌三『げて雑誌の話』(青園荘、昭和19年)紹介したが、アルミの表紙といったら、何と言っても佐野繁次郎装丁、横光利一『時計』(創元社、昭和9年)を見ないわけにはいかない。