大貫伸樹の続装丁探索29(齋藤昌三『書痴の散歩』再登場)

shinju-oonuki2005-08-19

 
先日、別のブログ「大貫伸樹の装丁探索、装丁探索其の四十二」で書いた大屋幸世『追悼雑誌あれこれ』のなかに、「古書通信」第214号(昭和37年2月)で齋藤昌三翁追悼特集号があると記されていたので、さっそく古書通信社の樽見さんに連絡を取ってバックナンバーを探してもらった。今日、神保町の古書市に行きながら、古書通信社に寄ると第214号をコピーしておいてくれた。
 
齋藤昌三翁追悼特集号に齋藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社昭和7年)の製本者である、中村重義が『書痴の散歩』について書いた文章が見つかったので、一度登場した『書痴の散歩』だが再度登場してもらおう。
 
「……そんなある日、先生から『中村君今度自分の随筆”書痴の散歩”を番傘の装幀で造りたいが何かいい案がないか、まだ君の仕事を見たことがないが、君の腕を見せて呉れ』と言われ、それは面白い案だとお引受けして、早速自家用?の番傘をコワして見本を造った、評判がよかった、先生も大喜び、早速本番となったが、困つたことには四百本からの古番傘を集めることだ、知人に頼んだり、大雨の朝二人して拾い集めてみたが二十本と集まらない。」
 
と、私は齋藤の文章からの情報しか、製本についての裏話を知ることができなかったが、一番苦労しただろう製本家・中村重義の苦労談を直接見ることができて想像していた以上の困難があったことを知った。
 
「……困った時は知恵の出るもので、下谷の屑屋の立場(タテバ)へ行つて頼んでみた。気持ちよく引受けてくれたが、但し自分たちで探してみろ、とのことで、二人して屑屋の倉庫へ入つてビックリした。あるわあるわ山のようにあつたが、使える物は一本もない、一日掛かりで四百本程掘出して一安心、とに角一風呂浴びてと白山に行き、前祝いに先ず一杯、あくる朝、僕は先生が持っていると思い、先生は僕が持っていると思っていた。僕は十円位持っていたが、傘一本二銭の割りで屑屋に支払ったので文なし、仕方なく水谷書店へ電話して主人に届けてもらい、支払いを済ませて帰つて、それから半月あまり毎日傘はがし、先生も毎日手伝いに来て兎に角できあがった。」
 
と、まるで子供のようには二人でしゃぎながら、大変な苦労などものともせずに、楽しみながら造っていた様子が生き生きと記されている。本当にうらやましいかぎりだ。
 
「……思ったより評判がよく、一人で三冊も申し込む人もあつて忽ち売切れ、それでも増刷はしなかった。ソコが先生のいいところ、扨それからは装幀材料として、どこで探してくるのか、おでんやの女将さんの前掛け、女帯、娘義太夫の肩掛け、蛇の皮、竹の皮、鮭の皮、古新聞など沢山集めてきて、これで装幀研究しておけと言われて、次々とゲテ物製本を六七十種も造つたが、どれも好評だったと思う。」(「古書通信」第214号(昭和37年2月)齋藤昌三翁追悼特集号)
 
中村という力強い相棒を見つけて、齋藤がゲテ本にはまって行く様子が手に取るように欲わかる。兎に角本になりそうな物なら何でも本にしてくれる製本家を見つけたのだから。