児戯にちかい?『時計』の装丁

  
「書物展望」第46号、湘雨荘痴人「机邊新景」にも、『時計』に対する批判が掲載されている。同じ冊子に2度も同一本の批判を乗せるとは、齋藤はよほどカンに障ったようだ。
 
横光利一氏の長篇創作としての『時計』は、『婦人の友』時代からレベルの高いものとして評判された名作である。名作であるとともに世評に登ったのは、新裝の外觀である。佐野繁次郎氏装とある。?木綿に白箔で背文字が大書されてあり、表紙のヒラは表だけ輕金屬板を、中央を長方形に抜いて、四隅を木綿絲でからげてある。新機軸の裝幀と云えぬこともないが、一言の説明もないので、只輕金屬で時計といふ機械を連想させるものか位にしか察せられない。おまけに木綿絲での縫付けは児戯にちかい。
 
その上外凾に表紙と反對に白木綿を貼ったのが、最大の失敗であった。布なるが故に、凾から出す時は必ず金属の角が喰込んで、どうにも出て來ない。凾を痛めるか、木綿絲が弱るか、この二つは永久に仲良く生涯を共に出來ないかと思ふ。」と、自ら製本を手がける齋藤ならではの機能的な指摘をしている。