アルミ装の嚆矢『時計』に怒る齋藤

 
ゲテ装本として、これまでに多くの人に批判のまな板の乗せられてきた書物の中で、最も登場回数の多いのは、『西園寺公望』『春琴抄』『時計』だろう。自慢すべきかどうかは、判断に悩むところだろうが、とにかくこれらを三大げて装本といってもいいだろう。
 
ゲテ仲間? ともいうべき齋藤昌三でさえ、俺のゲテ本なわばりを荒らすならルールを守って解説を書かんかい、と言わんばかりに「横光利一氏の『時計』の表裝に經金屬を貼ったのを手にして、佐野繁次郎裝丁とだけで何の説明もされてないことだが、何か物足らないやうに思ふ。あの金屬の中央を長方形にエグリとったことが、一つのねらひかも知れないが、内容との關係がどうも判斷出來ない。尚、糸で四隅を綴合はしたことも不手際のやうだ。なぜ鋲打ち〆めにするか、科學粥を應用しなかったのだろうか。」(「書物展望」第46号、昭和10年)と苦言を呈している。
 
齋藤がいうように、確かに糸で綴じたせいで、古書市などで見かける『時計』は表紙のアルミが付いていない場合が多く、不手際とのそしりは免れないだろう。