以前から探していた「出版美術家連盟1955年鑑」を、昨日行われた日本出版美術家連盟「百」展のオープニング・パーティの席に、会長の濱野彰親さんが持ってきてくれた。先日お借りした「さしゑ」5冊をお返しして、代わりにこの本をお借りすることが出来た。これで、日本出版美術家連盟の1955年当時の会員名が殆ど分かりそうだ。


『出版美術家連盟1955年鑑』(出版美術家連盟、1955年)275×243mmもある本なので、私のスキャナーに入らず下3cm位切れてしまう。



『出版美術家連盟1955年鑑』あとがき
「あとがき」には「二百以上を有し」とあるが、名簿を数えると会員数は230名であった。



『出版美術家連盟1955年鑑』奥付



『出版美術家連盟1955年鑑』機関および役員名簿
役員は18名で、うち一名を理事長、二名を専任理事とし、理事会において互選される。下記は18名の理事名。


理事長……岩田専太郎
専任理事…鴨下晁湖
専任理事…林 唯一
理事………石田栄助
〃…………伊勢田邦彦
〃…………加藤敏郎
〃…………志村立美
〃…………田河水泡
〃…………田代 光
〃…………土端一美
〃…………永松健夫
〃…………西原比呂志(事務局)
〃…………花房英樹
〃…………原やすお
〃…………藤沢龍雄
〃…………宮尾しげを
〃…………嶺田 弘
〃…………山川惣治
〃…………渡辺郁子


これら230名の会員の中から、年鑑に参加したのは、81名だけだが、これら81名が1955年を代表する挿絵家たちといえるだろう。これから、毎日少しずつ作品を紹介していこう。


年鑑刊行の7年前、日本出版美術家連盟が1948(昭和23)年に発足した時の発起人は下記の15名だが、大半が入れ替わっている。(☆)は年鑑発行時にも再任されている理事で、長期にわたって人気と信頼を保っていたとも言える。
岩田専太郎(☆)
小野佐世男
鴨下晁湖(☆)
川原久仁於
清水三重三
須藤しげる
田代光(☆)
田中比左良
田河水泡(☆)
寺本忠雄
冨田千秋
細木原青起
嶺田弘(☆)
宮尾しげお(☆)
梁川剛一



相沢光郎:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、1955年)

個人の略歴なども調べて掲載しようと思いましたが、挿絵家のデータは、多くの場合ネット検索でも何もヒットせず、下記のような書籍に関する挿絵や挿画などのデータが見つかる程度でしかありませんでした。ますます、挿絵家たちの略歴や代表作などのデータを記録しておく必要性を感じました。
相沢光郎:画、柴野民三『にんぎょ姫』(「なかよし絵文庫・42」偕成社、 昭44年)
相沢光郎:画「10円札」
相沢光郎:画、宮脇紀雄『森のきょうだい』(「講談社の絵本」昭和33年)



伊勢田邦彦:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、1955年)
伊勢田邦彦:画、紙芝居連続ラジオドラマ菊田一夫原作『鐘の鳴る丘東京篇』昭13年



岩井泰三:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、1955年)
『ほまれの鉄腕(絵/岩井泰三)』「少年」掲載1954年
『少年拳闘王(絵/岩井泰三)』 「少年」読切掲載、1955年
『リングの王者(絵/岩井泰三)』「少年」2月〜10月号連載?1956年
『白亞館の決闘(絵/岩井泰三)』「少年クラブ夏の増刊」掲載※柔道家・山下善韶の物語1956年



岩崎良信:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、1955年)
岩崎良信『ももたろう』( 『小学館の育児絵本』小学館、1990/01)
岩崎良信『どうぶつなかよし 1・2・3歳ちえあそび百科』(講談社、1983/12)



田吉夫:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、1955年)



岩田専太郎(1901明治34年〜1974昭和49年):画(『出版美術家連盟1955年鑑』、1955年)




石川治:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、1955年)



上西憲康:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、1955年)
上西憲康:絵、チブンソン:原作「黒い矢」(講談社、昭和31年)
上西憲康:画、山下与志一『花と口笛』
伊馬春部『土手の関取』
上西憲康:画、庭さち子「青い樹氷」(新婦人、1956年5月)
上西憲康:挿絵、渡辺啓助「もとすり横町の洋裁店」(『宝石』122巻)
上西憲康:挿絵、岸 秀「くらげ殺人事件」 (『宝石』123巻)



上田三郎:画「あぶないよ」(『出版美術家連盟1955年鑑』、1955年)
案画:上田三郎「かわいい動物双六」(「ぼくらの幼稚園」森の子供社、1948(昭23)年)
上田三郎「いろいろなちょうちょ」(「ぼくらの幼稚園」森の子供社、1948(昭23)年)