2010-06-09から1日間の記事一覧
これで彼の名声は定まって挿絵界の第一線に飛び出したが、当時の彼の絵は青年らしい覇気に溢れビアズレーに発した形式が迎えられて、各雑誌から引っ張り凧になり、名声は一挙に上った。私は一介の雑誌編集者にすぎないが、彼は新聞雑誌の人気者にのし上がっ…
岩田専太郎:画、一竜斎貞山「音羽屋火事」(「講談雑誌」3月号、1920大正9年) 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災に罹災し、京都に転居、大阪にあった中山太陽堂(現クラブコスメチックス)の経営する広告・出版社プラトン社が雑誌「苦楽」を創刊するこ…
ペンを使った繊細な絵というだけではなく、大胆な構成やコラージュという貼り合せの技法を採り入れたり、と、前衛美術運動にも連動した斬新な様式を採り入れている。 岩田専太郎:画、吉川英治「鳴門秘帖」(大阪毎日新聞、大正15年〜) 9月には東京に戻り、…
そんな専太郎を川口松太郎は「多忙になると長い時間をかけて仕事をすることが出来ず、岩田式定型に安住して作風が硬化して行くのも已むを得なかった。そんな時に『絵がマンネリになりかけているぞ』と警告するのも私で、彼も素直に頷き『少し忙しすぎたんだ…